2012年8月に会津若松城を訪ねました。
若松城の別名は鶴ケ城。戦国時代の末期に蒲生氏郷が近代城郭として築城、その後上杉景勝が入封し、江戸時代は保科正之・会津松平家の居城として幕末を迎えた。戊辰戦争では新政府軍と1ヶ月に及ぶ籠城戦を戦い、ついには落城、「会津の悲劇」として語られている。
早乙女貢の「会津士魂」はお薦めです。
若松城はこの時が2度目の訪問ですが、このころは城の撮影にあまり関心が高くなかったようで、写真は4点しかありませんでした。
会津若松市郊外の会津藩校日新館。史跡ではなくテーマパークです。実際の日新館は若松城の西隣にありました。戊辰戦争で消失しましたが、詳細な図面が残っていたため、1962年に復元されました。
戊辰戦争時の会津藩本陣
飯盛山の白虎隊士の墓地
さざえ堂。最上階へあがってから螺旋状の回廊を歩いて巡礼します。
白虎隊記念館
御薬園。典型的な大名庭園。戊辰戦争時は新政府軍の傷病兵治療所となった。
2011年8月に母成(ぼなり)峠を訪れました。新政府軍を迎え撃ち激戦となった古戦場です。石碑は会津松平家13代目当主・松平保定の書です。
沼尻高原と磐梯熱海を結ぶ県道24号線、標高972mの峠にあります。
若松城の別名は鶴ケ城。戦国時代の末期に蒲生氏郷が近代城郭として築城、その後上杉景勝が入封し、江戸時代は保科正之・会津松平家の居城として幕末を迎えた。戊辰戦争では新政府軍と1ヶ月に及ぶ籠城戦を戦い、ついには落城、「会津の悲劇」として語られている。
早乙女貢の「会津士魂」はお薦めです。
若松城はこの時が2度目の訪問ですが、このころは城の撮影にあまり関心が高くなかったようで、写真は4点しかありませんでした。
会津若松市郊外の会津藩校日新館。史跡ではなくテーマパークです。実際の日新館は若松城の西隣にありました。戊辰戦争で消失しましたが、詳細な図面が残っていたため、1962年に復元されました。
戊辰戦争時の会津藩本陣
飯盛山の白虎隊士の墓地
さざえ堂。最上階へあがってから螺旋状の回廊を歩いて巡礼します。
白虎隊記念館
御薬園。典型的な大名庭園。戊辰戦争時は新政府軍の傷病兵治療所となった。
2011年8月に母成(ぼなり)峠を訪れました。新政府軍を迎え撃ち激戦となった古戦場です。石碑は会津松平家13代目当主・松平保定の書です。
沼尻高原と磐梯熱海を結ぶ県道24号線、標高972mの峠にあります。