日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

水戸城の巻 明治以降は「学問の府」に変身を遂げた徳川御三家の名城

2014-12-30 13:43:24 | 茨城
徳川御三家、水戸光圀公、斉昭公の水戸城へ行きました。水戸は何度もきています。水戸芸術館、偕楽園、徳川ミュージアムなどは見ていますが、弘道館は行ったことがありません。今回改めて水戸城の跡を歩いてきました。

水戸駅の改札口をでるといきなり烈公のパネル。徳川斉昭も売り出し中です。歴史ブームですね。

駅の歩行者デッキ上には水戸の定番、水戸黄門一行の像


駅前通りの大銀杏

三の丸跡の水戸市立三の丸小学校。校門が冠木門です。時代劇のセットのような小学校です。

小学校の校庭

小学校の前の通りは三の丸歴史ロードという名称です。


水戸藩の藩校・弘道館の入口。

「偕楽園と弘道館を世界遺産に」という旗が立っています。



「尊攘」の幅。水戸藩の侍医・松延年の書

弘道館記碑の石摺り。烈公斉昭の書です。

至善堂。徳川慶喜は大政奉還のあと水戸城のこの場所で謹慎生活を過ごしました。

徳川斉昭と七郎麻呂(のちの将軍・慶喜)の像

烈公梅

至善堂の外観

弘道館の売店。水戸藩遺墨拓本を販売しています。

徳川慶喜向学の地の碑

斉昭公の像

弘道館のある三の丸と藩主の居館があった二の丸跡を結ぶ大手橋。

大手橋の下を陸前浜街道・県道232号線が伸びています。

大手橋近くの土塁

初代水戸藩主・徳川頼房公の像

茨城大学付属小学校の校門。旧茨城師範学校跡

旧茨城師範学校跡の碑

市立水戸第二中学校の校門

二の丸展示館。旧彰考館跡

彰考館跡の碑

「大日本史」は彰考館で編纂されました。

見晴し台入口。第二中学の校庭の隅が水戸城二の丸の端で、その場所に見晴し台があります。


見晴し台から那珂川を見渡せます。水戸城は那珂川と千波湖に挟まれた丘陵地にあります。

水戸城跡の大椎

県立水戸第一高校へといく本城橋


本城橋の下をJRの水郡線が通っています。

県立水戸第一高校の校門

一高の校内に水戸城の薬医門が移設されています。


水戸一高の校舎。堂々たる建物ですね。

水戸第三高校の校門

公園側から見た弘道館の外塀です。

弘道館公園

孔子廟

学生警鐘


旧茨城県庁舎、現在は茨城県庁三の丸庁舎。1999年に県庁は三の丸の南約5km、千波湖の南側に新築移転しました。

種梅記碑

八卦堂

鹿島神社

三の丸庁舎前の土塁

茨城県立図書館。以前の茨城県議会議事堂です。現在の議事堂は県庁舎と同様に千波湖の南にあります。


三の丸の空堀

再び三の丸小学校です。

小学校の塀

水戸駅前から見る二の丸の城山。二の丸下の道路が大手橋の下を通り、水府橋で那珂川を渡って6号線に合流し、いわき方向へ伸びています。

水戸城周辺は歴史の宝庫ですね。いまも幕末、尊皇攘夷の空気が漂っていて、桜田門外の変、天狗党の乱を思い出さずにはいられません。
御三家の城にふさわしくかなり大きな城郭です。徳川時代の藩主の居館は二の丸にありました。各地の城跡は大学がつくられたケース(金沢城、仙台城など)、陸軍の拠点となったところ(熊本城、広島城など)がありますが、水戸城跡は弘道館があったことで学問の拠点として城跡に師範学校などがつくられました。水戸が「学問の府」と言われる所以です。

茨城師範学校は現在の茨城大学になっています。
茨城師範学校予備科は県立水戸中学となり、戦後今の県立水戸第一高校になりました。
市立水戸高等女学校は戦後県立水戸第三高校になり、新学制のもとでも女子校として続いてきましたが、2007年に共学化しました。
県立水戸高等女学校は戦後県立水戸第二高校となり共学化しましたが、、男子は一時在籍したが今は全員が女子生徒で実質的には女子校です。
旧制高校の水戸高校は偕楽園の北にありました。戦後は茨城大学に統合され、旧制高校の跡地は現在「水高スクエア」となっています。


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