日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

武州松山城の巻 扇谷・山内上杉、古河公方、北条、越後上杉が争った武蔵野の平山城

2014-12-29 13:41:25 | 埼玉


埼玉県東松山市の隣、吉見町にある松山城を訪ねました。松山城といえば伊予松山城、備中松山城が有名ですが、この武州松山城は関東の戦国史を知る上では貴重な城です。
荒川の支流、市野川に沿った丘陵地に室町時代に扇谷上杉に属する上田氏が最初に築城し、扇谷上杉の古河公方、山内上杉に対する防衛拠点であったが、その後は北条の手に落ち、さらに越後上杉が攻略、それを武田・北条連合軍が奪い返し、秀吉の関東攻略では前田・上杉の大軍に攻められ陥落しました。関東の平野の中央部、交通の要衝に位置し戦国時代には何度も攻防戦の舞台となった城として知られています。
江戸時代は川越藩の所領となり、松山城は廃城となっています。



登城口。本曲輪への道です。




本曲輪跡

本曲輪跡から見た東松山市街。東松山市は戦後松山町を中心に周辺の町村が合併し市制が施行されました。

ニノ曲輪への道

ニノ曲輪跡

堀切



曲輪4。曲輪4は仮の呼称という意味でしょうか。



城跡の土塁のすぐ下に短期大学や民家、畑が迫っています。


松山城の下の岩室観音


松山城の城山の下は岩盤です。岩盤の穴に観音堂があります。岩室観音は松山城の城主・上田一族によって代々護持してきましたが、秀吉の関東攻略によって松山城は落城し、岩室観音も焼失しました。

松山城のすぐ近くの吉見百穴。有名な横穴式墓遺跡です。


明治時代には百穴は古代人の住居と考えられていましたが、その後の研究で横穴式墓であることが明らかになりました。


戦争末期には百穴の岩盤下に陸軍の地下工場が造られました。中島飛行機大宮工場の工場設備が移設され航空機の部品を生産する予定でしたが本格稼働する前に終戦となりました。






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