日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

会津・鶴ケ城の巻 戊辰戦争で落城、今年天守再建50年を迎える

2016-03-22 14:52:27 | 宮城・福島・山形

会会津鶴ヶ城の天守は今年再建50年です。会津若松駅と白虎隊の像

蒲生氏郷の墓所がある興徳寺


「限りあれば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山風」蒲生氏郷の辞世の歌碑


蒲生氏郷の墓。上から「空風火水地」を意味する五輪塔

同じく蒲生氏郷の歌碑


会津藩最後の藩主・松平容保の歌碑「百とせを三たびかさねし若松のさとは幾千代栄えゆくらん」

興徳寺瑞雲閣

旧会津中学校の碑


藩校日新館の跡地に日新館という名前のスイミングスクールがあります。観光施設としての「藩校日新館」は市の郊外にあります。


南町通濠


西追手門付近

西出丸の駐車場


梅坂




鐘撞堂




太鼓門の石垣

武者走り


天守台の野面積み石垣


鶴ヶ城稲荷

蒲生時代の表門跡





1966年(昭和41年)に再建された天守

本丸井戸

本丸跡


干飯櫓

天守入口

天守売店

鶴ヶ城模型


天守下の塩蔵

天守最上階

磐梯山。手前に白虎隊墓地がある飯盛山

会津若松市街

干飯櫓へつながる南走長屋

干飯櫓内部

干飯櫓の鉄砲挾間

石落とし


江戸時代の表門・鉄(くろがね)門

鉄門の表側


上杉謙信仮廟所跡。上杉景勝は会津移封の際に謙信の墓を会津へ移しました。米沢移封の際には米沢へ移しました。

笠間稲荷神社


五軒丁濠




馬洗石



月見櫓


茶壺櫓

廊下橋





奥御殿の庭の跡

御三階跡

表御庭跡


麟閣。千利休の高弟だった蒲生氏郷は利休の子・少庵をかくまいました。麟閣は少庵がつくった茶室です。

寄付

中門

腰掛待合

つくばい


茶室

にじり口






「荒城の月」の碑。「荒城の月」の碑は確か大分県竹田市の岡城址にもあったと記憶しています。仙台青葉城にもありました。他にも岩手県二戸市の九戸城、富山市の富山城にもあるそうです。

藩主居間の庭跡

奥御殿跡


戊辰戦争後の鶴ヶ城の写真



廊下橋付近の石垣

廊下橋






二の丸


東門

東門入口

司馬遼太郎文学碑

土井晩翠の像



秋月悌次郎の「北越潜行」の詩碑

「八重の桜」山本八重の像

県立博物館


北出丸

鶴ヶ城は若松城、会津城などいくつかの呼び名があります。文部省は若松城として史跡指定をしました。そういえばい「会津」という地名も本来は旧国名ですが、会津若松市=会津というイメージもあります。明治期に若松市が発足、戦後、会津若松市となりました。かつて若松市は北九州にもありました。九州の若松市と区別するためというより、会津人としては積極的に会津の2文字を付けたかったのだと推察します。


戊辰戦争で大破した鶴ヶ城の整備に貢献した遠藤敬止の頌徳碑

北出丸から見た天守

武徳殿


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