日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

二俣城の巻 徳川家康の嫡男・信康が武田と内通の嫌疑で切腹

2015-09-10 17:47:08 | 静岡
遠州鉄道の終点、西鹿島駅に到着。西鹿島で天浜線に接続しています。私は西鹿島で下車し、徒歩で天竜川を渡り二俣城へ向かいます。

遠鉄・西鹿島駅。現在は浜松市天竜区ですが、かつては二俣町でした。二俣町は1958年に天竜市となり、2005年に浜松市と合併、2007年浜松市が政令指定都市となったのに伴い浜松市天竜区となりました。天竜区は旧佐久間町、旧水窪町などを含み、天竜川の中流部から上流部まで、長野県と県境を接する広大な区で、日本有数の林業地帯です。

途中で見かけた映画会のポスター。私は中学の時にこの「反逆児」の映画を見たのを覚えています。主演は中村錦之助。織田信長の映画だと思ってましたが、松平信康の映画だったんですね。原作は大佛次郎。

天竜川に架かる鹿島橋を渡ります。前日東海地方を台風が通過しているので水量は多いです。

天竜浜名湖線の鉄橋

橋をわたるとすぐにトンネル。このトンネルの上は鳥羽山(標高108m)。鳥羽山城という二俣城の出城があったようです。

二俣城へいく坂道



城跡の旭ヶ丘神社へ上がる石段



二の丸跡

城山稲荷神社


本丸虎口

本丸跡








天守台

天守台の木々の隙間から天竜川が見えます。

二俣城は戦国時代に今川氏が砦を築きました。その後、今川滅亡後は武田と徳川が争奪し、徳川が勝ち取り大久保忠世を城主としました。織田と同盟していた徳川に家康の正室・築山御前と嫡男・信康が武田と内通をしたとの嫌疑がかけられ築山は殺害、信康はこの二俣城で幽閉後に切腹をさせられました。徳川にとって大きな悲劇の舞台となった城です。城の近くに信康を葬った清瀧寺があります。

本丸北の虎口

北郭跡の旭ヶ丘神社

本殿


本丸と北郭を結ぶ石橋


市街地側の二俣城址入口


信康山清瀧寺。信康を祀った寺です。

山門

本堂


信康廟

本田宗一郎は旧二俣町の出身。宗一郎は小学生時代、この鐘を正午の30分前に突いて早めし(早い時間に弁当を食べること)をしたそうです。

井戸櫓

清瀧の滝
信康は家康の長男・嫡男でしたが切腹。次男の秀康は豊臣との和睦に際して豊臣の養子となりましたが、秀吉に実子が誕生すると結城家の養子とさせられました。秀吉の死後、結城秀康は関ヶ原の戦いでは上杉の備えとして関東に留まり大事な役割を果たします。三男秀忠は関ヶ原の戦いに遅参、家康は激怒し面会を拒絶。秀忠は廃嫡となって秀康が嫡子に復帰してもおかしくなかった。関ヶ原の勲功で秀康は越前65万石の大大名となるも若くして病死。
信康は信長の「信」の字をもらい、秀康は秀吉の「秀」の字をもらいました。家康の長男・次男は2人とも苦労しましたね。

本田宗一郎ものづくり伝承館

旧二俣町役場



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天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅から帰路へつきました。