山梨県大月市の岩殿城を訪ねました。
岩殿城は、武田勝頼が織田軍の甲斐侵攻を受け新府城を捨てて武田家重臣の小田山信茂を頼って岩殿城を目指しましたが、小山田信茂は勝頼を裏切って入城を拒み、勝頼は天目山にて自刃し、ついには武田家は滅亡したという戦国ドラマの舞台となった山城です。
大月駅
大月駅のホームには岩殿山の観光案内板があります。私は大月を通過するたびにこの案内板を見て是非一度岩殿山へはいきたいと思っていました。
大月駅の背後に迫る岩殿山。大きな岩盤は鏡岩といいます。
山の中腹に「岩殿城跡」の看板があります。
高月橋から見上げる岩殿山
岩殿山の南の山麓を桂川が流れます。
山麓の駐車場
岩殿城跡への入口
「富士の眺めが日本一美しい街」という大月市の観光案内
ふれあいの館の看板
丸山公園の冠木門
大月の街並み
岩殿山城の看板の裏側
丸山公園
公園の高麗門
ふれあいの館。1階は地元出身の写真家・白籏史朗の写真館、2階は展望台です。
富士見百景の看板
中央高速
岩殿山城の絵図
丸山山頂
大手門、稚児落し方向への分岐点。稚児落しはかなり急な壁面で鎖場となっているそうです。鎖と聞いただけで私はギブアップです。
揚城戸跡。巨大な自然石を活かした虎口です。
番所跡
西の物見台跡
馬屋跡
秀麗富嶽十二景八番山頂(標高630m)。岩殿山の山頂はこの先ですが、この地点のほうが富士山がきれいに見えるため秀麗富嶽に指定されています。
南の物見台
乃木大将の詩碑
東屋
馬場跡
倉屋敷跡
本丸への道
烽火台
本丸跡
帰路、ふれあいの館に入館しました。
2階の展望台からは富士山が見えるそうです。この日は雲におおわれて全く姿を見せません。
富士山の方向
岩殿山城のパノラマ図
城主・小山田信茂の史料。山梨では勝頼を見捨てた小山田信茂は敵役ですが、地元・大月では勝頼を裏切って織田方にくだり戦いを避けることによって地元農民を救ったということが評価されているようです。
500円札の富士山の写真は岩殿山の西方、雁ケ腹摺山からの撮影です。昭和17年に名取久作さんが撮影したものです。
白籏史朗写真館の内部
ふれあいの館から見上げる岩殿山
岩殿城は、武田勝頼が織田軍の甲斐侵攻を受け新府城を捨てて武田家重臣の小田山信茂を頼って岩殿城を目指しましたが、小山田信茂は勝頼を裏切って入城を拒み、勝頼は天目山にて自刃し、ついには武田家は滅亡したという戦国ドラマの舞台となった山城です。
大月駅
大月駅のホームには岩殿山の観光案内板があります。私は大月を通過するたびにこの案内板を見て是非一度岩殿山へはいきたいと思っていました。
大月駅の背後に迫る岩殿山。大きな岩盤は鏡岩といいます。
山の中腹に「岩殿城跡」の看板があります。
高月橋から見上げる岩殿山
岩殿山の南の山麓を桂川が流れます。
山麓の駐車場
岩殿城跡への入口
「富士の眺めが日本一美しい街」という大月市の観光案内
ふれあいの館の看板
丸山公園の冠木門
大月の街並み
岩殿山城の看板の裏側
丸山公園
公園の高麗門
ふれあいの館。1階は地元出身の写真家・白籏史朗の写真館、2階は展望台です。
富士見百景の看板
中央高速
岩殿山城の絵図
丸山山頂
大手門、稚児落し方向への分岐点。稚児落しはかなり急な壁面で鎖場となっているそうです。鎖と聞いただけで私はギブアップです。
揚城戸跡。巨大な自然石を活かした虎口です。
番所跡
西の物見台跡
馬屋跡
秀麗富嶽十二景八番山頂(標高630m)。岩殿山の山頂はこの先ですが、この地点のほうが富士山がきれいに見えるため秀麗富嶽に指定されています。
南の物見台
乃木大将の詩碑
東屋
馬場跡
倉屋敷跡
本丸への道
烽火台
本丸跡
帰路、ふれあいの館に入館しました。
2階の展望台からは富士山が見えるそうです。この日は雲におおわれて全く姿を見せません。
富士山の方向
岩殿山城のパノラマ図
城主・小山田信茂の史料。山梨では勝頼を見捨てた小山田信茂は敵役ですが、地元・大月では勝頼を裏切って織田方にくだり戦いを避けることによって地元農民を救ったということが評価されているようです。
500円札の富士山の写真は岩殿山の西方、雁ケ腹摺山からの撮影です。昭和17年に名取久作さんが撮影したものです。
白籏史朗写真館の内部
ふれあいの館から見上げる岩殿山