能登空港には「日本五大山城 七尾城」という観光案内広告が掲げられています。
七尾城の城山山麓に七尾城史資料館があります。七尾城の城主は畠山氏。畠山氏の子孫が荏原製作所の創業者で、畠山一族の寄付によってこの資料館は造られました。
資料館の前には三橋美智也の歌「古城」の歌碑。大ヒットした「松風さ~わ~ぐ…」という歌です。作詞家が七尾城を見て作詞したということではなく、歌がヒットした後に歌の内容が七尾城のイメージに合うことから歌碑が建てられたそうです。
本丸北駐車場。ここまでは車で登れます。徒歩の場合は資料館から約1時間かかります。
本丸北駐車場から眺め。七尾の町並み、七尾湾が見えます。
2代当主・畠山義忠の歌碑。畠山氏は室町時代の守護大名で、義忠は和歌の素養が高く文化への関心が高かった。
調度丸付近
野面積みの石垣は圧巻です。高さ3mくらいで段々になっています。
桜馬場への道
桜馬場付近。七尾城は防衛上の砦というより、畠山一族が日常も居住した山上の城郭都市といえます。遊佐屋敷、温井屋敷、少し離れて長屋敷と重臣たちの屋敷がありました。
遊佐屋敷跡
本丸下の石垣と石段
城主・畠山氏が居住した本丸跡。標高300m
北側・七尾湾の方向
本丸跡の城山神社
七尾城址の石碑。立派な石碑です。
本丸南側の土塁
本丸南側の断崖絶壁
本丸北側の石垣
桜馬場下の野面積みの石垣と石段
本丸北駐車場付近
旧百間馬場の城山展望台への入口
展望台付近からの眺望
紅葉は真っ盛りです。
展望台。標高380m
展望台からの眺望
展望台付近の遊歩道
七尾城は代々の当主は暗愚で、遊佐・温井・長の重臣3家が支えて約170年続いたが、上杉謙信の攻撃を受けてついに落城。七尾城は難攻不落だったが、重臣たちの内紛、暗愚な城主への不信、裏切りなどが原因で滅亡したとされています。
これらの話は南條範夫「続・古城物語」(富士見書房時代小説文庫)の中の短編「七尾城の桜の馬場」によるものです。文庫本の帯には「畠山一族の叛逆、陰謀、虐殺の数々を秘めた七尾城! その城壁から人々の怨念が…。日本の古城にまつわる残酷物語が今、明らかに。」とおどろおどろしいいキャッチコピーが書かれています。
この七尾城の物語はあくまで小説、しかも昭和の時代に書かれたものです。事実かどうか、どこからが創作かは私には分かりません。
荏原製作所と七尾城の関係は初めて知りました。創業者は守護大名の子孫だったんですね。旅をしていろいろ歴史を知るのは楽しいです。