豊後竹田駅に到着。私は約50年前の学生時代に一度岡城を訪ねています。駅裏の断崖から落下する落門の滝(落差60m)。
豊後竹田の駅舎
タクシーで岡城の駐車場まできました。
武者揃え本陣
鉄砲方詰所跡
大手門の石垣です。
大手門石垣
古大手門跡西の丸跡東門跡西の丸御殿跡阿蘇山?
祖母山(標高1756m)?角櫓跡
中川民部屋敷跡
近戸門
近戸門の石垣普請方跡
賄方跡但見屋敷跡
城代屋敷跡
貫木門跡鐘櫓跡太鼓櫓跡
本丸石垣
くじゅう連山。左が久住山(1786m)、中央は大船山(1786m)、右は黒岳(1357m)。
武具庫跡
三の丸本丸石垣
本丸跡
写真左から傾山(1602m)、祖母山(1756m)、越敷岳(1043m)
三の丸
荒城の月の碑
天満神社
金倉跡
本丸と二の丸をつなぐ階段
階段と公衆トイレが一体になっています。
滝廉太郎。大分市内にある銅像とまったく同じ銅像です。
大手門石垣五衛門谷トンネル。帰りは徒歩で城下町へ向かいました。
岡城公園入口
岡城と城下の間にいくつもの岩山がそびえています。
岡城は中世に豊後国守護大友氏の分家・志賀氏が築城、島津と豊臣の豊薩戦争では島津の大軍を迎え、志賀氏は城を守り抜きました。大友氏の豊後没収とともに志賀氏も岡城を退去、その後は中川氏が入城し、江戸時代を通じて岡藩の岡城として幕末まで続きます。
岡城の石垣は見事、圧巻です。播磨の竹田城は天空の城として人気ですが、この岡城も見逃してはいけませんね。九州一二の名城かと思います。
約50年ぶりに岡城へきました。大手門付近の石垣はなんとなく記憶していますが、それ以外はまったく憶えていません。駅からどうやって城跡まできたのか。多分、西の丸あたりだけを見て引き返したのだと思います。当時は本丸は未整備、滝廉太郎像もなかったのかも知れません。
ここ数年積極的に各地の城を訪ねていますが、10年前に行ったところはすでに記憶が不確かですね。
記憶を確かにする意味でもこのブログは続けなければと改めて感じました。
豊後竹田の駅舎
タクシーで岡城の駐車場まできました。
武者揃え本陣
鉄砲方詰所跡
大手門の石垣です。
大手門石垣
古大手門跡西の丸跡東門跡西の丸御殿跡阿蘇山?
祖母山(標高1756m)?角櫓跡
中川民部屋敷跡
近戸門
近戸門の石垣普請方跡
賄方跡但見屋敷跡
城代屋敷跡
貫木門跡鐘櫓跡太鼓櫓跡
本丸石垣
くじゅう連山。左が久住山(1786m)、中央は大船山(1786m)、右は黒岳(1357m)。
武具庫跡
三の丸本丸石垣
本丸跡
写真左から傾山(1602m)、祖母山(1756m)、越敷岳(1043m)
三の丸
荒城の月の碑
天満神社
金倉跡
本丸と二の丸をつなぐ階段
階段と公衆トイレが一体になっています。
滝廉太郎。大分市内にある銅像とまったく同じ銅像です。
大手門石垣五衛門谷トンネル。帰りは徒歩で城下町へ向かいました。
岡城公園入口
岡城と城下の間にいくつもの岩山がそびえています。
岡城は中世に豊後国守護大友氏の分家・志賀氏が築城、島津と豊臣の豊薩戦争では島津の大軍を迎え、志賀氏は城を守り抜きました。大友氏の豊後没収とともに志賀氏も岡城を退去、その後は中川氏が入城し、江戸時代を通じて岡藩の岡城として幕末まで続きます。
岡城の石垣は見事、圧巻です。播磨の竹田城は天空の城として人気ですが、この岡城も見逃してはいけませんね。九州一二の名城かと思います。
約50年ぶりに岡城へきました。大手門付近の石垣はなんとなく記憶していますが、それ以外はまったく憶えていません。駅からどうやって城跡まできたのか。多分、西の丸あたりだけを見て引き返したのだと思います。当時は本丸は未整備、滝廉太郎像もなかったのかも知れません。
ここ数年積極的に各地の城を訪ねていますが、10年前に行ったところはすでに記憶が不確かですね。
記憶を確かにする意味でもこのブログは続けなければと改めて感じました。