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岡城は中世に豊後国守護大友氏の分家・志賀氏が築城、島津と豊臣の豊薩戦争では島津の大軍を迎え、志賀氏は城を守り抜きました。大友氏の豊後没収とともに志賀氏も岡城を退去、その後は中川氏が入城し、江戸時代を通じて岡藩の岡城として幕末まで続きます。
岡城の石垣は見事、圧巻です。播磨の竹田城は天空の城として人気ですが、この岡城も見逃してはいけませんね。九州一二の名城かと思います。
約50年ぶりに岡城へきました。大手門付近の石垣はなんとなく記憶していますが、それ以外はまったく憶えていません。駅からどうやって城跡まできたのか。多分、西の丸あたりだけを見て引き返したのだと思います。当時は本丸は未整備、滝廉太郎像もなかったのかも知れません。
ここ数年積極的に各地の城を訪ねていますが、10年前に行ったところはすでに記憶が不確かですね。
記憶を確かにする意味でもこのブログは続けなければと改めて感じました。