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渦巻き

どこかいった記録など

津城跡~

2014-06-15 19:22:41 | 城 -東海
6月7日    曇り ときどき 弱い雨


   JRハイキング   このお天気なので  やっぱり参加者は少ない


            

        津駅      

                       朝食べてこなかったので
                            津駅のパン屋さんで 松坂牛カレーパンを

                  もう あじさいの季節なの

             
                 津駅から2kmで 恵日山観音寺
                 
                津観音と言われている      
                      
         津観音から 1km弱 歩くと

                      津城跡                  
                       三重櫓
                   津城は 織田信長の弟 信包のぶかね により1580年に築城された


                    
                     明治維新で津城は廃城となり、石垣を残すのみとなった。

                    


                     藤堂 高虎像

                     高虎は大坂 冬の陣・夏の陣の功績で加増されて32万石の大名となった。
                  また築城の名人ともいわれ、生涯で35回、28城を築いた


     入徳門
                 藩校 有造館の入徳門が移築されている。
                          
                              藩祖 高虎をまつる高山神社
                          お宮参りに来ている家族がいた

                        津公園を出て2km弱行くと
                              

                        
                          谷川士清たにがわことすが旧宅
                        桟瓦葺き2階建ての町屋


            谷川士清は、本居宣長と共に、伊勢を代表する国学者の一人であり
            「和訓栞」わくんのしおりは 五十音順に配列された わが国最初の国語辞典として知られている
                         


                  反故塚 ほごづか   
                   士清が 自らの草稿や未定稿を埋めた

                         士清の墓
                              日本一小さい 国指定史跡ということだった

                        

                   
                   
                         小さな公園で 昼休憩とした   ちょっと疲れたネ 


                      普通の道路を だらだら歩いていると ややだるい 

                    
                      と ようやく着いた!   三重県立博物館  

              新しくてすてきな博物館だ

                   展示のしかたが楽しい
                   大人も子どもも楽しめる

         偕楽園 
                 ゆっくり歩いてみたいけど もう時間が足りないよ~


                           
                       護国神社
                         お参りして  津駅に向かう  3時前になんとか到着できそう  ふ~~~




  

明知城跡

2014-06-12 19:46:05 | 城 -東海
5月31日   晴れ  

       JRハイキング



    6時32分発  中津川行き

      恵那で乗り換えて 明知鉄道    


     電車はハイキングの人たちで一杯、、、座れなかった~~


       
            

       山岡駅下車

                   東海自然遊歩道など歩く

         安住寺
             

               安住寺から3.3km
                   
                   ここから入っていく                     

           明知城跡
                谷を空堀として利用した自然の要害の山城

                 


               

         




     

          明知城を出ると すぐ大正村に入っていく
                       
                      
                             旧三宅家 


            




  大正ロマン館                                           
 高峰三枝子さんや司葉子さんのパネルや衣装もあり  期待して行かねば結構おもしろい

      地元出身の山本芳翠の油絵も展示されている 

                      



               
           明智光秀公 御霊廟  

              恵那市明智町は、明智光秀の生誕地ともいわれている


                  龍護寺りょうごじ
                     年一度 5月上旬 光秀の供養をする



              これが意味不明~


                   




                   八王子神社
                     


   ゴール地点  明智駅  
          
                     
                          JRハイキング歴20年という超ベテランのおばさまとお話しした
                            昔の景品の方がよかったよ~  ということだった   ふふふ
 



吉田城跡~体で痛いところはありませんか?

2014-04-07 13:58:20 | 城 -東海
4月5日
 
     晴れ    でも寒い。


   吉田城跡    豊橋公園     豊橋市今橋町3


        吉田城は最初、今橋城と言われ1505年今川方の牧野古白によって築上された。
          東三河の要塞として1590年池田輝政が城主となり豊川を背に本丸、二の丸、三の丸がある。
          天守閣はない。

     


        

        

      
     四隅に櫓があったが現在では再建された鉄櫓(くろがねやぐら)だけである。
見られる日が決まっているのだ。


             
           






                   

                 

                
                

             三の丸会館

                  城には抹茶なのだ。
                
              

                豊川と朝倉川が合流 

          
          

             
    
                
                 公園の南側   ハリストス正教会     豊橋市八町通3-15
                     

      写真を撮っていたら、知らない女性二人連れが親しげに声をかけてきたのでつられてしゃべっていたら


      体が疲れたりしませんか?  肩とか腰とか痛くないですか? と聞かれた。
      
     (肩こりはあるけど、、、?) え? という顔をしていたら

      片方の人がもう片方の人を指して 「この人、痛みとか直せるんですよ」と言う。

        (ああ、そういうことか、、、)「痛いところはありません」と笑顔で答えた。

       それから別れたけど、なんだかな~と、、

      気を取り直して、またうろうろ写真を撮っていたら

      「桜を撮ってらっしゃるんですか?」と眼鏡をかけた一人の女性から聞かれた。
  
      なんだかよく声をかけられるな、、、と思っていたら、、、

      その人も、世間話をした後でさっきの方たちと同じ事をおっしゃた。     
      どちらから来たんですか?(さっきの二人連れからも同様に聞かれたけど)
      「車で?わ~!私は(○○市のような)三車線の道路は怖くて運転できない」
     
      って私からしたらあなたたちの行動もなんだか怖いけど、、、その人と話している途中にさっきの二人連れとすれ違った。
       その二人はこちらを見ないように歩いて行ったけど???



       なんだかな~、、、どうも落ち着かないね。

       私も聞けばよかったのかな。  「なんなんですか?」って
     
       この日の吉田城は、花見客でにぎわっていたが

       本丸の狭い場所で音からして硬球でノックやってる親子もいたし、、

       吉田城 なんでもありの 憩いの場所だ~~~
       
     
     路面電車~~
                     

          

七州城址~舞木廃寺塔址~寺部城址

2014-04-03 20:33:04 | 城 -東海
1月18日


豊田市    勝手神社




              
                      

              金谷城址
                勝手神社の敷地内。
                孫を遊ばせていた若いおじいさんに聞いてわかった。 なんと小さな碑なのだ。

          金谷城址  挙母城跡3か所うちの一つ。   延慶年間に高橋荘の地頭中条景長により築城。
             1561年、織田氏に攻められて落城。



    挙母城  桜城 二の丸隅櫓の櫓台         元城町1-50
              
             お昼を食べたところで場所を聞いた。 わかりにくかった~桜城址。

      
     

    桜城は、江戸時代の始め武蔵国から移った三宅氏によって築城が始められた。

    1604年陣屋を構え、内外に桜の木をたくさん植えた。
         


    桜城の大改築に着手したのは1749年上野国から移った内藤政苗である。    

 

         
   



七州城は挙母城の別称。下町にあった挙母城(桜城)が度重なる水害を受けたことから
天明5年(1785)挙母藩内藤家2代目城主、内藤学文が水害の心配のない樹木台、童子山に城を移築した。
 標高65mの台地で、山上からは三河を始め、信濃・美濃・尾張・伊勢・伊賀・近江の7ケ国が眺望できたことから
七州台の名がある。


   七州城 隅櫓         小坂本町8-22

    
         




    

            
敷地内にある豊田市美術館の池が少し凍っていた



             
            茶室  童子苑
           城には抹茶なのだ。



           

         
           寺部領主 渡辺半蔵家の居城内にあった書院と茶席が復元されている。


        舞木廃寺塔跡へ


 ここが入口???
                        こんなとこにあるの? 

                      
                  ずんずん歩くと見えてきた。

           
             内径54cmのリング状の溝を彫って柱座とし    これが そうなのか!!!! 

                        これは原位置のまま。伽藍配置は不明。

   
          

                                      
標高約90mの丘陵上にあり、東西に篭川流域を見下ろす眺望の地にある


             心礎周辺から平瓦、複弁六葉の蓮華文軒丸瓦、瓦塔、須恵器の破片が出土している。
             これらの遺物から奈良時代の寺院跡と考えられている。





            

               寺部城址
           
               矢作川左岸の台地上にある。
               鈴木重時が築城し、1566年に織田氏の家臣佐久間信盛に攻められ落城。

      
     

                     城内に 又日亭があったんだ。


 




            隨應院  寺部町4-31    
        落ち着いた佇まい。
    

     

                  


         

御器所西城址~沓掛城址~桶狭間古戦場跡

2014-01-11 17:45:40 | 城 -東海
11月9日   

    南山大学の講座終了後、放送大学のある中京大学へ。

    お昼は中京大学学食で、ごくごくふつう味カレーを。

    
    


    御器所西城址     名古屋市昭和区御器所


     
      御器所西城  1440年頃、佐久間家勝によって築かれたといわれる。

      佐久間氏は名古屋台地の南東部に勢力を持つ小豪族で、この城のほかにも
      御器所南城・川名城などを築いていた。


     

      御三家筆頭である尾張徳川家初代の義直は、関ヶ原合戦のあった慶長5年(1600)家康の第九子として
      側室お亀の方との間に生まれました。慶長12年には8歳にして尾張国主に封じられ、ここに尾張藩は始まりました。
      

      
        御器所の名は、このあたりが熱田神宮の領地であって、その祭りに使う土器をつくっていたことから
        起こったのだろうと言われています。村雲学区辺りには、多くの寺や神社あります。
        これらは武士が栄えた時代に建てられたものばかりで、住宅地となった今日までの時の変遷を感じさせます。
     


        十四代慶勝(1824~83)は、藩内闘争の末に実現した分家出身の藩主で、
        その期待に応えた政治を行いますが、井伊直弼と対立して失脚します。
        弟の茂徳(1831~84)が十五代となるものの、卓越した政治力を買われて慶勝は復権し、
        茂徳が退いた後、実子の十六代義宜(1858~75)を後見して、激動の幕末、明治維新を乗り切ります。


           


         




            沓掛城址~    愛知県豊明市沓掛町          
          
          今川義元は、約2万5000人の軍勢を率いて永禄3年(1560年)5月12日に駿府(静岡)を出発
           した。17日に岡崎へ、18日には沓掛城に入り、尾張大攻撃の準備をした。
     


     鎌倉街道が二村山を越える丘陵の端に築城されたもの

     
         小学生の男子数人が走り回るでもなくゲームをしていた。


           



         
        1560年5月19日 織田信長、尾張桶狭間で今川義元を討つ。

        1567年      信長、稲葉山城に攻め破り稲葉山城へ入る。

        1570年      姉川の戦い。織田・徳川-浅井・朝倉。

        1573年      武田信玄死去。

              信長、越前一乗谷城に朝倉義景を攻め、義景は越前大野賢松寺で自刃。
              8日後、小谷城、浅井長政を攻め、長政自刃。

        1578年      上杉謙信死去。

        1582年      本能寺の変。
        
        1583年      賤ヶ岳の戦い。秀吉は柴田勝家を破る。

        1590年      秀吉、小田原城を攻め、北条氏滅亡。

        1598年      秀吉、死去。

        1600年9月15日 徳川家康、関が原の戦いで石田三成を破る。

      

             堀跡~
                  
       

          本丸~


          
           


     
   
   同じ豊明市にある桶狭間古戦場跡            11月30日

     1560年(永禄3年)、約2万5千人と圧倒的な大軍を引き連れた駿河・遠江(静岡)を中心として
     巨大な勢力を誇っていた今川義元に対し、その約10分の1程ともいわれる寡兵(かへい)で立ち向かった
     尾張を統一したばかりの小大名織田信長が、今川義元を討ち取り見ごと勝利した。
      
        小さな公園になっている。


      
 
      デジカメを持ったお兄さん方が訪れている。

     
 
                 


   高徳院の開基は智泉大徳(弘法大師の高弟)です。弘仁元年(810年)開創以来高野山上にあり、
   明治27年(1884年)桶狭間古戦場に移転しました。
                  
       

          桶狭間の戦いの時、今川義元は42歳であった。
           海道一の弓の名手ともいわれた。

         
         


       
        

          鷺之森碑(新栄町六丁目220 はざま公園内)
          
           子どもたちの遊び場。

          

           信長が桶狭間に進軍途中、熱田神宮で戦勝祈願をしたところ、
           白鷺二羽が社殿より飛び立ち、信長軍の進路を導き、石塚の森の大木で羽を休めた。
           明治9年、山口正義がこの伝承に基づき記念碑を建立した。
            


          公園内のどこのあるのかわからないくらい、、、でした。