彼方なる歌に耳を澄ませよ/No Great Mischief

2011-11-03 17:16:13 | Weblog

        2005  

「スコットランド系カナダ人一族の物語。歯科医の「私」がぼろアパートに住む兄を毎週訪ねる。みんなのリーダー格だった兄が、なぜ今は生きる希望を失い、死を待つだけの生活を送っているのか。偶然の出来事が運命のように「私と兄」の人生を変えたのか、その経緯も含め、一家に代々語り継がれてきた移住のエピソードなどが、過去と現在を行きつ戻りつしながら語られていく」  訳者あとがき より

「おばあちゃんは110歳まで生きた。老人ホームへ移ってからのおばあちゃんを訪ねる時には、疎外感と親近感の両方を味わうことになった。ときどき私は自分の過去もからんだ話題を見つけておばあちゃんの心をとらえようとしたが、おばあちゃんの過去は私より多かった」

 孫を認識できないおばあちゃんに歌を誘われる。
おばあちゃんはすぐさま私と一緒に歌い始め、私たちは手をつないでその古いリズムに心を奪われる。 歌が終わるとおばあちゃんが感心したように私を見る。

「あなた、歌うのも私のお友達みたいよ。{中略} あなた彼に会ったことがないなんて残念ね」
 
私はもう耐えられなくなる。 「その人は僕のおじいちゃんだよ。僕、ギラ・べク・ルーアだよ」

おばあちゃんは困ったような表情で私を見る。
 
「ああ、ギラ・べク・ルーアはここから何千キロも離れたところにいるのよ。私はいつもあの子を心にかけている」

 誰でも、愛されると、より良い人間になる。

兄から「時が来た」と電話があり迎えに行く。床屋に行った兄と車で故郷へ向かう。翌日ダッシュボードのほのかな光で兄の唇の傷跡が白くなりはじめたのに気づく。高い丘の頂上にたどり着く。遠く灯台の光が見える。まだ何キロも先だ。もう一度助手席の兄を振りかえる。手を伸ばし冷たい彼の手に触れる。

 「ここにいるのは、私が3歳のとき肩車をしてくれた男だ。島から肩車をして氷の上を歩いて渡ったけれど、再び私を連れて島に帰ることは出来なかった」

 日本の題名少々仰々しいなあ、と思いながら読み始めたら、すぐに入り込んでいましたね。
 淡々と読み進みながら、一族の深い繋がり、家族の確かな絆に、懐かしさと静かな感動を覚えました。
この本、映画化の話はないのでしょうか?サム・シェパードを兄の役で見てみたいです、。

 そう、文中、グレンコーという言葉が出てきます。
「グレンコーって、グレン・クー、つまり{犬の谷}という意味だって」、、、。
 これを読みながら思い出していました。
ポートランドのパラマウント・シアター(元々は映画館)で「アメリカ」のコンサートがあったのですが、その前座に出てきたのが「グレンコー」というバンドでした。どんな意味なのかなあ、と思いながら、それ以降その名前を聞くこともなく過ぎてしまっていたのですが、、。30数年前のことです。        
        


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