あすかパパの色んな話

日々の暮らしの中で思ったことを書き込んでいきます。
今までのように写真、競馬の予想、スポーツネタも続けていきます。

果敢に「J1出陣。」 モンテ新加入選手記者会見

2009年01月23日 20時27分13秒 | サッカー

記者会見で記念撮影に臨む新加入選手ら。後列左から古橋、小林、佐藤、栗原。前列左から金、小林監督、植草=天童市・NDソフトスタジアム山形

今シーズンからサッカーJ1で戦うモンテディオ山形は23日、天童市のNDソフトスタジアム山形で新加入選手記者会見を行った。「J1出陣。」を新スローガンとし、引き続きスピーディーでアグレッシブなサッカーをテーマに掲げた。就任2年目の小林伸二監督は「切磋琢磨(せっさたくま)できる選手がそろった。果敢にチャレンジし、J1に定着する年にしたい」と抱負を語った。

 会見には新加入選手7人のうち、MFアンドレ・シルバ(25日来日予定)を除く6人と、内藤就行新コーチらが出席し、それぞれ意気込みを語った。県スポーツ振興21世紀協会の海保宣生理事長がスローガンを紹介。初のJ1という合戦場に臆(おく)することなく臨む意味を込め、「県民の期待に応え、J1の“先輩チーム”に挑みたい」と話した。

 主力選手ではFW豊田陽平が移籍した以外は全員残留。今後、外国人FWを1人獲得する予定で、小林監督は「ホップ・ステップ・ジャンプで言えば“ホップ”の年にしたい。もう1つレベルアップしたチームをつくる」と強調。攻守両面で戦術の熟成を図った上で、「J1残留という結果に先走るのではなく、選手個々の能力を伸ばすことを大事にしたい。個の成長なくしてJ1定着はない」と話した。

 会見はファンクラブ会員限定で公開。監督、選手が抱負を口にすると、期待に満ちた拍手で激励した。チームは24日、山形市の県民会館で「キックオフイベント」を行う。25日に全体練習を開始し本格始動。27日から長崎県雲仙市で1次キャンプを実施する。

【モンテ新加入選手ひと言】
▽GK植草裕樹 山形を愛するみなさんのために全力を尽くし、努力したい。

 ▽DF栗原祐樹 得意なヘディングを見てほしい。チャレンジして頑張っていきたい。

 ▽DF小林亮 1日でも早くなじんで、モンテディオ山形のために頑張りたい。

 ▽MF金秉析 ロングパスに自信がある。良い成績を残せるように努力していきたい。

 ▽MF佐藤永志 モンテディオユースとジュニアユースで学んだことを生かして頑張りたい。

 ▽MF古橋達弥 得意なのは2列目から飛び出しDFを混乱させること。勝利に貢献したい。
(やまがたニュースオンライン)



センバツ史上初!“早慶”同時出場

2009年01月23日 19時08分48秒 | 野球

選抜出場を決め、帽子を飛ばして喜びをあらわす早実ナイン=東京・国分寺の早稲田実業高校

 第81回選抜高校野球大会(3月21日から12日間・甲子園)の出場32校が23日に決まり、高校野球史を彩ってきた古豪の早実(東京)と慶応(神奈川)が、選抜大会史上で初めて同時に出場することになった。早実は3年ぶり19度目、慶応は2年連続8度目の出場。

 一般選考では1979年に春夏連覇を達成した箕島(和歌山)が18年ぶり、習志野(千葉)は33年ぶりの出場。このほかにPL学園(大阪)天理(奈良)の選抜大会優勝経験校が選ばれた。

 困難な条件を克服するなど戦力以外の特色を加味して選ぶ21世紀枠には、春夏を通じて初の甲子園出場となる利府(宮城)や56年ぶりに選抜に臨む彦根東(滋賀)、60年ぶりの大分上野丘(大分)の3校を選出した。

 初出場は花巻東(岩手)福知山成美(京都)など5校。最多出場は春4度の優勝を誇る中京大中京(愛知)で29度目となった。

 組み合わせ抽選会は3月13日に行われる。

奥島孝康・日本高野連会長
「いずれも実力のある高校。決まるべきところに決まった。21世紀枠はいずれも劣らなかったが、活力を注入する学校、この世相にはつらつとしたプレーで活気をつぎ込むところを考えた」(サンスポ)


待ってるぞ早実!慶応、甲子園で早慶戦だ

2009年01月23日 06時43分27秒 | 野球

新エースの白村には、プロ12球団も注目している

第81回選抜高校野球大会(3月21日から12日間・甲子園)の出場校を決める選考委員会は23日、大阪市内で開かれる。古豪の早実(東京)と慶応(神奈川)がセンバツで初めて同時出場なるかが注目される。ことしは記念大会だった前回より4校減の32校を選出。戦力以外の特色を加味する21世紀枠は昨年に続き3校、一般選考では29校を選出する。守備力を重視した希望枠は今回から廃止された。

実力も話題もライバルには負けたくない。慶応は“陸の王者”のプライドにかけて主役の座を守る。プロ12球団が注目するエース、白村明弘(2年)が気合十分に語った。

 「早実のことは意識してないけど、対戦したら応援とか盛り上がると思う。注目されるのはうれしい。ことしはたくさん取材を受けたいですね」

 昨秋に苦しんだ腰痛はほぼ完治。最速146キロの本格派右腕は、出場校決定を翌日に控えた22日、筋トレや走り込みなどを中心に約3時間汗を流した。

 昨年は“力道山の孫”田村圭投手=慶大に進学予定=を擁し、春夏ともに甲子園出場。夏は8強入りした。新チームも昨秋の関東大会を49年ぶりに制し、初出場した明治神宮大会でも優勝。だからこそ意地がある。

 「早実とは共存共栄です。みなさん(報道陣)に取り上げてもらって、高校野球の人気が上がれば。選手にはしっかり取材に応じ、面白いことを言えといってます」と上田誠監督(51)。早実との同時出場なら、さらに注目されることは必至。上田監督は“露出”でも早実に負けないようハッパをかけている。

 「甲子園で早慶戦ができたら歴史的なこと。歴史に名を残したい」と植田忠尚主将(2年)。待ってるぞ、早実!!(サンスポ)

野茂英雄のメッセージ

2009年01月23日 06時18分58秒 | 野球


野茂英雄(40)が新しく歩き始めている。日本人メジャーリーガーの道を開拓した野茂は昨年7月に現役引退を発表した。自分を貫く生き方に魅力を感じる人は多いが、多くを語ろうとはしない。今、何を考えているのだろう。これから何をしようとしているのだろう―。毎月1回、さまざまなテーマでインタビューを試みる。第1回は「引退とメジャーリーグ」「現在と将来」について。引退のことを話す時は、見たことがないほど悲しい表情をした。これからのことを話すときは目を輝かせた。彼の言葉には力がある。できるだけ多くの言葉を伝えたいと思う。

引退

―引退会見はなぜしなかったのですか
「する必要もないかなあと。自分の伝えたいことをメディアに流してもらうだけで、僕は十分だと思った。(会見開いて)しょうもない質問されても困りますし、何か言わされる方向に持っていかれても困りますし。今までやってきて、そういうことも多々あったので、自分の伝えたいことだけ流してもらえればいいかな、と思いました」。

―引退を決めたのはいつか。どうやって決断したのか
「いろいろ考えて、結局周りのお世話になっている人だったり、ファンの人にウソをつきたくなかった。自分としては、その人たちを喜ばせるパフォーマンスがもう出ない、というのを感じていました。実際、球団からクビになってエージェントに聞いてもほかから声がかかることないっていうことだったので。このまま、ホントは、一生『野球選手』って言っていてもいいかな、とも思ったんですけども、まあ、そういうわけにもいかないかな、と思い、発表することにしました」。

―決めたのは、発表の直前?
「そうですね」。

―迷ったりしなかったのか
「(ロイヤルズを)クビになった時もそうですし、その前の1年は実際に投げられなかったですから。投げられない時は、同じように(引退を)考えていましたけれど、まあいつか決めなきゃいかんなあと」。

―でも、投げられない状況から、いったんはメジャーまではい上がった。
「まあ、たまたまメジャーに上がれたからよかったですけどね」。

―もう1度ウインターリーグ行って、そこからメジャーを目指すつもりはなかったのか
「正直、行ってもいいかな、とも思った…うーん、でも、無理かな、と(決断した)。はい」。

―引退を発表したコメントの中で「僕の場合には悔いが残る」という言葉が、強く心に残った。もう少し説明してほしい
「まあ、実際ケジメをつけたところで、マウンドにあがりたい気持ちは変わらない。だから、もうマウンドに上がれない、と思うと、寂しいですし、うーん、悔いが残る…というか、できればやりたい…。(ふっきるように)まあ、本当はこういうこと言っていちゃだめなんですけどね」。

―今でも、思いますか
「今でも思っちゃいけないんですけど、まあ投げたいことは投げたいです(笑い)」。

―その気持ちは、たとえ、あと5年やってから辞めたとしても、変わらないかもしれない
「そうですね。そのときでも悔いは残っているでしょうね」。

―野球が好きですからね
「はい」。

―ロイヤルズのキャンプでは、途中からセットポジションでリリーフもやる、となった。先発へのこだわりはなかったのか
「もうぜいたく言える立場じゃなかったですから、しょうがないですね。ただ、正直言うと、先発にこだわっていた。『何でちがうんかなあ』という思いはありました」。

「もうぜいたく言える立場じゃなかったですから、しょうがないですね。ただ、正直言うと、先発にこだわっていた。『何でちがうんかなあ』という思いはありました」。
「予定外の登板でしたし、予定外の(コントロール)ミスでした」。

―メジャーのマウンドでもう1度トルネードを見たかった
「辞めざるおえなかったんですね。もう、辞めるべきだった」。

―95年に海を渡って、旋風を起こした。あのころの自分はどうでしたか
「本当に毎日楽しくてしょうがなかった。メジャーのマウンドに上がった時のことは忘れられないです」。

―メジャーのマウンドに登る感覚はどんなものか
「それまでとは、ちがう感覚。社会人に行くときとも違います。プロに行くときも、その年(90年)にプロを目指していたわけではないのですが、あまりに評価が高くて、自分もここで行かなきゃいけないんじゃないか、ということでプロに入った。メジャーは、本当に自分が行きたくて行った場所。そこで、結果が出たということの満足感、自信が体の中から、沸いてきました」。

―メジャーに行きたいという気持ちはいつから持っていたのか
「アマチュアの時に世界大会(89年、プエルトリコでのインターコンチネンタル大会)に出て、そこそこ投げて。アメリカの審判の人に『お前、絶対にメジャーで投げられる』と言われたことが残っていたのだと思う。近鉄入ってから選手の間で、メジャー見るのが流行っていて『メジャーいいな』って思うようになって。日米野球で実際に対戦するようになって、『ここで自分のスタイルをぶつけてみたい』と思った」。



―パイオニアといわれることについてはどう思う。
「そんな風には思っていませんけどね。自分がやりたかったわけですから、行動しただけです。その後に来た選手が良かったから、そう言われるようになったのじゃないですか」。

―ドジャースで3年半、その後、いくつか球団を渡り歩いた。そのことはどうでしたか。
「自分にとっては良かったと思いますね。いろんな球団見ることができたし、ミルウォーキーとかの田舎でも、実際住んでみたら居心地よかったですし、デトロイトもそうでした。行ってみなきゃわかんないことも体験できたので。選手とも仲良くなって、次にドジャースに戻ってきた時には、対戦する相手ごとに元チームメートがいるような状況だったので、戦うのが楽しかった。僕の財産です」。

―打たれたところと、抑えたところ、どっちが記憶に残っていますか。
「抑えて勝ったところの方が覚えています」。

―何か、記憶に残っているのは
「最初のころはサンフランシスコとやるのが楽しみでした。ヒューストンもそうでした。3番4番などの主軸がオールスター選手でしたし(注2)。対戦を楽しみにしていたので。特にサンフランシスコにはなぜか運良く点がとられなかったので。すごいブーイングでしたし、でもその中でも勝てたことを思い出しますね」。


(注1)08年4月18日、オークランドでのアスレチックス戦で、8回に薮田が捕まり、2死満塁で野茂が急きょリリーフ登板。打ち取ったあたりのヒットが2本続いた後に、甘く入った速球を中越え本塁打された。2日後の同月20日、ロイヤルズを戦力外になった。

(注2)サンフランシスコ・ジャイアンツは3番バリー・ボンズ、4番マット・ウイリアムス。ドジャースとは強烈なライバル関係にあった。アストロズの主軸は後に3000本安打を放ったクレイグ・ビジオ、当時3冠王に最も近いといわれた「がにまた打法」のジェフ・バグウェル、強打のデレク・ベルらで3人の頭文字から「キラーB,S」と呼ばれた。
(ニッカンスポーツ)


あまりメディアでは話さない野茂というイメージがあるのですが、これは貴重ですね。






石川遼マスターズ決定!特別招待TEL来た

2009年01月23日 05時58分36秒 | その他スポーツ情報

やったぜ! マスターズへの招待が決まり、遼クンのヤル気はさらに熱くなる

男子プロゴルフで史上最年少の1億円プレーヤーとなった石川遼(17)=パナソニック=が、米ツアーの今季メジャー初戦「マスターズ・トーナメント」(4月9~12日、米ジョージア州オーガスタ・ナショナルGC)に出場することが22日、明らかになった。17歳7カ月での出場は日本選手史上最年少。夢に見た最高の舞台で、ヤングスターが衝撃メジャーデビューを果たす。

初夢がかなった。マスターズ委員会から「特別招待決定」のラブコールがこの日、海を越えて遼クンに届いた。電話による英語での出場意思確認だったが、答えはもちろん「YES!」。胸をふるわせながら、夢のオーガスタに思いをはせた。

 小学4年生から抱き続け、昨年1月のプロ転向会見でも語った夢が「マスターズ優勝」。急がば回るな-を座右の銘に、プロ1年目から史上最年少ツアー優勝、最年少獲得賞金1億円突破と、その夢に向かって最短距離を歩んできた。公言してきた「20歳までにマスターズ出場」より3年も早く、日本選手史上最年少での出場を果たす。

 マスターズの特別招待は例年、世界のゴルフシーンから地域性や実績、話題性を考慮して決定される。現在、世界ランク60位の遼クンは同ランク50位以内の招待枠には入らないが、飛躍的な成長でアジアにまで一大ムーブメントを拡大しつつあるワンダーボーイを、委員会も無視することはできなかった。

 日本からは他に片山晋呉(35)、今田竜二(32)の2人が出場し、3人目となる遼クンは難しいのではともいわれていた。関係者によれば、世界的レジェンドのアーノルド・パーマー(79)がホスト大会の「アーノルド・パーマー招待」(3月26-29日)出場のため、遼クンに招待状を送ったことも「強烈な後押しとなった」という。

 この日、「ノーザントラスト・オープン」(カリフォルニア州リビエラCC)への主催者推薦出場が決まり、米ツアーデビューは「2・19」に決定した。3月には前哨戦の「トランジションズ選手権」と「-パーマー招待」が控える。「ノーザントラスト-」出場について「Ryoの名を覚えていただけるようベストを尽くす」とコメントした遼クン。目の肥えたオーガスタのパトロンたちへの思いも同じ。23日には都内で「トランジションズ-」の発表会見に臨み、喜びの“第一声”を発する予定だ。

 左ひざ手術からの復帰を目指すタイガー・ウッズ(33)=米国=ら世界の強豪と、オーガスタでの真剣勝負。ウッズが97年に記録した21歳104日の最年少優勝更新の夢もふくらむ。日本やアジアを驚かせた17歳が、今度は世界最高の舞台でサプライズを巻き起こす。(サンスポ)


巨人・大田、39歳大道から長寿ヒケツ学ぶ

2009年01月23日 05時55分28秒 | 野球

大田は大道からアドバイスを受け、より気合が入った

プロ22年目を迎える巨人の最年長選手・大道典嘉内野手(39)が22日、川崎市のジャイアンツ球場でドラフト1位ルーキー、大田泰示内野手(18)=東海大相模高=に、プロでの“長生き”の勧めを説いた。大ベテランの前で、大田も新人でただひとり居残り特打を敢行。2人は練習後に会食し、貴重な経験が金の卵に伝授された。

プロの荒波を生き抜いてきた男だからこそ、伝えたいことがある。プロ22年目を迎える大道は、新人合同自主トレ中の大田を見て目を細めた。

 「ええ体してるねぇ。これから長くプレーしなきゃいけない子だよ。オレみたいに40までやるには、なんといってもけがをしないこと。とにかく練習して、きっちり鍛えることに尽きるよ」

 南海ホークスの“最後の戦士”で今年40歳になるが、けがによる長期離脱はない。G戦士最年長の「代打の神様」は、新人時代からの肉体づくりが重要だと諭した。

 「大きなけがでシーズンを棒に振るようだと、技術も心も元に戻すのに時間がかかる」

 「一度でもけがをすると、野球選手は損。監督やコーチにそういう目で見られ、治っても使われにくくなる」

 「死球や接触プレーでの事故はしかたないが、練習不足で太ももやふくらはぎを痛めるのは、もってのほかだ」

 大道が将来の巨人を背負うべき大田に次々と熱いエールを送った。

 これには大田もすぐに応えた。合同自主トレ後、ひとり居残りでマシン打撃。木製バットに早く慣れようと82スイングした。「キャンプにはゲーム機も持っていかない。遊ぶひまはないですよ」と、大道の教えに従うつもりだ。

 練習後、大道は大田ら若手を誘い、一緒にジンギスカンを食べた。大田が生まれる前からプロで飯を食っているベテランは、惜しみなく経験談を伝授。プロ野球の伝統はこうして次代につながっていく。(サンスポ)

あと2勝!皇成、今週決める最速100勝

2009年01月23日 05時52分50秒 | 競馬の話題

通算100勝まで“マジック2”の三浦皇成騎手。先輩騎手と対等に渡り合う場を求めて、今週も勝ち星量産だ!

先週3勝を積み重ねて、JRA通算100勝まであと2勝に迫った三浦皇成騎手(19)=美・河野。今週達成すれば、武豊騎手のデビュー1年1カ月16日を約3カ月も短縮するスピード記録だ。それを後押しするかのように土曜9、日曜10頭の合計19頭がスタンバイ。週末も皇成から目が離せない。

武豊騎手の記録(87年の69勝)を超える70勝目を挙げ、新人最多勝記録を樹立(10月25日)してから3カ月。JRA通算100勝へ。三浦皇成騎手がまた新たな区切りを迎えようとしている。

 先週3勝の固め打ちをした皇成は現在98勝。100勝へあと2勝と迫っている。今週達成すれば、武豊騎手の1年1カ月16日を大きく短縮する11カ月弱(土曜日なら10カ月24日)でのデビュー最速記録だ。

 「100勝と言っても去年からの続き。でもひとつの節目でもありますね」

 これまでは特に数字に対するこだわりを見せなかった皇成だが、100勝に対して“節目”という言葉を口にした。それは100勝目を挙げれば減量(1キロ減)の恩恵がなくなることを意味している。

 「やはり先輩たちと対等の立場で勝負できるのは嬉しい。もちろん減量が取れれば、これまで通りには行かない。でも減量があるから勝てると思われたくないですから」

 今年はすでに7勝を挙げ、全国トップの横山典弘騎手(8勝、他3人)に1勝差。本人がこだわる“中央場所”での成績なのだから上々のスタートを切ったといえる。それでも皇成は決して甘えを見せない。

 「2着が多いですし、イマイチ。でも自分のリズムは去年で分かっているし、波に乗れれば一気に勝ち星を増やせる。去年91勝したから、今年は(年間)100勝をクリアしなければいけない。クラシックも意識しています」

 2年目を迎えた平成の天才はさらに高みを見据える。すでに皐月賞トライアルの弥生賞では朝日杯FS2着のフィフスペトルとコンビ復活が決定。「また乗れるのは嬉しい。頑張ります」と意欲満々だ。

 最近では馬上以外でも大活躍。テレビ出演などが増え、多忙を極めている皇成だが「競馬は奥の深いスポーツ。みんなに見てもらうために僕たち騎手がもっと露出をしなければ」と競馬発展への尽力も惜しまない。

 「今年中というわけではないですが、狙うのはもちろん一番です」。通算100勝は通過点。自らの理想に向かって-。三浦皇成の挑戦はまだ始まったばかりだ。(サンスポ)

ナベQの男気!WBC組に“専任”投手

2009年01月23日 05時49分28秒 | 野球

渡辺監督は紅白戦で、中島ら“WBC組”に速球派をぶつける

西武の渡辺久信監督(43)が22日、所沢市の西武室内練習場で自主トレを視察。2月13、14日の宮崎・南郷春季キャンプの紅白戦で、中島裕之内野手(26)らWBC日本代表1次登録メンバー相手には、速球派の投手を登板させることを明かした。スピード調整を強いられるWBC戦士に、速球の目慣らしをさせるという指揮官の親心だ。

気温5度まで冷え込んだ室内練習場で、渡辺監督の頭脳はフル回転していた。中島、片岡、細川のWBC1次登録メンバーに、紅白戦では豪腕投手をそろえて対戦させるプランを練り上げた。

 「WBCに出る人には、球が速くて生きのいいピッチャーをぶつけようと思う。実戦で打撃の感覚を早く戻さなければいけないからね」

 今季の南郷キャンプでは、紅白戦の日程を昨季より1クール早めて2月の13、14日に設定したが、さらにサポートを充実させる。第1ラウンドでは韓国・金広鉉、台湾・曹錦輝ら速球投手が相手になるだけに、紅白戦では3年目の木村、中継ぎ右腕の小野寺や、大沼ら150キロにせまる速球派と対戦させることで目慣らしを助けようというのだ。

 「二塁は誰がやるのかな? 岩村かな? うちの選手にもチャンスが広がればいいんだけどね」

 渡辺監督は代表で修羅場をくぐった経験が、選手を成長させると強調する。片岡とレイズ・岩村らとの正二塁手争いにも興味津々。万全の状態に仕上げたレオ戦士が、サムライジャパンを突き動かす原動力になる。(サンスポ)

「おくりびと」がアカデミー賞候補に

2009年01月23日 05時15分50秒 | 映画・ドラマ

映画「おくりびと」メーン場面写真。

米映画芸術科学アカデミーは22日、第81回アカデミー賞の候補を発表し、外国語映画賞候補に滝田洋二郎監督の「おくりびと」が選ばれた。日本映画の外国語映画賞候補入りは、2004年の「たそがれ清兵衛」(山田洋次監督)以来、5年ぶり。

 短編アニメ賞でも加藤久仁生監督の「つみきのいえ」が候補入りした。

 「おくりびと」は本木雅弘主演で、遺体をひつぎに納める仕事を通して生と死の尊さを描いた物語。共演は広末涼子、山崎努ら。

 すでに国内の主要な映画賞を獲得しているほか、カナダのモントリオール世界映画祭でグランプリに輝くなど高い評価を受けている。

 アカデミー賞の発表・授賞式は、2月22日(日本時間23日)に米ロサンゼルスで行われる。

滝田洋二郎監督
「映画人の憧れ、夢であるアメリカアカデミー賞ノミネート、大変光栄であり、誇りに思います。『おくりびと』はきわめて日本的な物語でありますが、死という人間にとって普遍的なテーマを、国や言葉を越えてスクリーンの中で世界中の人々に理解して頂けた事をとても嬉しく思います。アメリカアカデミー賞ノミネートに心から感謝いたします。たくさんの人に観ていただきたく思います。楽しみです。ありがとうございました」

主演の本木雅弘
「信じがたい出来事にボウ然と悦びをかみしめています。作品も生き物で、人間同様、多くの皆さんに愛された結果、大きく成長できたのだと思います。ありがとう御座居ました」

出演の広末涼子
「このようなとても大きく名誉のある賞に、ノミネートされたという一報を聞き、想像もしていなかったのでただただ驚いています。本当に心から嬉しく思います」

出演の山崎努
「アメリカアカデミーとは驚いた。『おくりびと』は、2年前に撮った作品です。だから、以前一緒に旅をして仲良くなった友人のようなものです。彼がモントリオールで羽振りを利かせていることは知っていましたが、図に乗ってハリウッドまで行っちまったのか。風の便りに友人の活躍を聞く気分。『お前、旅費はどうしたんだ。着ていくものはあったのか』と心配しています」
(サンスポ)