あすかパパの色んな話

日々の暮らしの中で思ったことを書き込んでいきます。
今までのように写真、競馬の予想、スポーツネタも続けていきます。

3/30関西遠征結果

2010年03月31日 06時55分32秒 | 野球
●対 上宮太子高等学校

酒工4-8太子

●対 上宮高等学校

酒工14-5上宮

本日の試合予定

富山県立高岡商業高等学校

さて、本日の試合相手は先日から行われている選抜高校野球に
出場したチーム。初戦、智弁和歌山に6-1と敗れているとはいえ
全国大会出場チーム。レベルの高いチームと戦って選手個々の
レベルアップに繋がってくれれば思います。

関西遠征

2010年03月30日 07時05分32秒 | 野球
長男が所属している、酒田工業野球部が
毎年恒例の関西遠征に行っています。

初日は滋賀県内での練習試合。

3月28日

●対 石川県立鹿西高等学校戦

酒工0-9鹿西

●対 滋賀県立堅田高等学校戦

酒工11-4堅田

3月29日

●対西武台学園文理高等学校戦

グラウンドコンデション不良の為中止

●対滋賀県立北大津高等学校戦

酒工9対8北大津

今日の予定
上宮高等学校、上宮太子高等学校と二試合予定。

さぁ~

2010年03月29日 12時44分55秒 | その他の話題
さて、気持ちの整理を付けるべく日々次、の目標を探しています。
三月も終わるし、新年度があっという間に始ります。
別に特別何だぁ~!?という事はないんだけど、四月という
声を聞くと何か新しい事か始まる感じがするんですよね。
プロ野球も開幕したし、Jリーグも盛り上がっているし、競馬も春のGⅠシリーズ
始まるし、スポーツの季節、私の季節がやって来ます!!
ま、そんなこんなで自然と気持ちはそっちに向かうんでしょうけど(笑)

それにしても先日、閉校式終わったばかりなのに、早速開校式の準備です。
式典終了後に祝賀会しないと行けないらしいんだけど、実行委員長に任命され
実行委員長の挨拶しないと行けなくなりました(汗)
またまた挨拶考えないといけない・・・気持ちの整理も付かないままにこれですからね。
ゆっくり休む暇なんてないみたいです。トホホホホ・・・・

甲子園で勝負を決める“ひと振りの力”

2010年03月25日 06時49分15秒 | コラム
■一発出れば逆転の場面でストレートをファウル


甘いストレートを逃がさず、ホームランに仕留めた日大三・平岩

願ってもない場面だった。
 3点差で9回2死満塁。打順は4番。一発出れば逆転――。
 ここで打席に入ったのが天理高・安田紘規だった。
 9回1死三塁から登板した敦賀気比高・桾沢翔太は、勝利まであと1人となってから四球、死球と勝利を意識して制球を乱している。安田への初球も変化球が外れてワンボール。桾沢はどうしてもストライクがほしい状況に追い込まれた。そして、2球目。内角にストライクのストレートが来た。スイングする安田。だが、打球はファウル……。
 これが全てだった。
 安田は3球目の甘い変化球に手が出ず、カウント2-2からのスライダーで見逃し三振。安田が「自信を持って見送った」という微妙なコースではあったが、結果的にバットを振らずに終わった。
「2球目は真っすぐに絞ってました。あの球で仕留められなかったので……。力不足です」(安田)
 初回2死二塁の場面では1ストライク3ボールから逆球で甘く入ったストレートを逃さずセンターへ先制の三塁打を放っていた安田だったが、最後に悔いを残してしまった。

■先制チャンスに「気持ちが空回りした」4番

こちらも、願ってもない場面だった。
 初回、1死一、二塁の先制機。打順は4番。
 格上相手に、どうしても先制点がほしいところで打席に入ったのは山形中央高・高橋匠だった。
 変化球が2球外れたあと、さらにストレートも外れて3ボール。日大三高・山崎福也はストライクしか投げられない状況に追い込まれた。試合開始から変化球は4球投げて3球がボール。ストライクを取るにはストレートを投げざるをえない状況だ。
 案の定、4球目からはストレートが続いた。
 4球目、見逃してストライク。
 5球目、ファウル。
 6球目、ファウル。
 7球目、ファウル。
 8球目のスライダーをファウルにすると、9球目の内角ストレートで高橋は空振り三振に倒れた。
「真っすぐを待っていたんですけど。打ちたいという欲が出て、気持ちが空回りしてしまいました」(高橋)
 ストレート待ちで、狙い通りストレートが来た。チャンスは3球あったが、そこで仕留められなかったのが全て。結果的には続く五番・縄侃のレフトへのフライが幸運な三塁打となり先制することができたが、ここで無得点に終わっていれば山形中央高の前半の善戦はなかった。

■ストレート一本待ちでフルスイングする日大三打線

対照的に、“この1球”を見逃さなかったのが日大三高打線。
 3回1死一塁から三番・平岩拓路は、2ボールからストライクを取りにきたストレートを見逃さずセンターバックスクリーンにたたき込んだ。
「相手ピッチャーは真っすぐでポンポン攻めてくるので、狙っていました。1打席目は(2ボールから3球目のストレートを)見逃してしまったので、コース関係なく振ろうと思っていました」(平岩)
 2回1死から反撃の口火を切る二塁打を打った五番・山崎も1ストライク3ボールからのストレートを狙い打ち。ストレートでストライクを取りにくるカウントで、その球を確実に長打にする。中軸は1球で仕留める力が際立っていた。
 三木有造コーチは言う。
「(初回山形中央高1死一、二塁の場面)ウチなら『3ボールからいけ、ストライクなら振れ』です。あのカウントからは甘い球が来るじゃないですか。練習でも『ボール球でもタイミングが合ったら振れ』と言っています。振らないと怖さはないですし、振るからフォアボールもある。2ストライクからでも、振って三振ならしょうがないですから」
 日大三高では、1カ所でのケース打撃や練習試合ではもちろん、3カ所でのフリー打撃の際もカウントを2ストライク2ボール、2ストライク3ボールに設定して、1球で勝負する、1球で仕留める練習をしている。打撃練習に費やす時間が多いため、その習慣から「ストライクが来たら反応するクセがついています」(4番・横尾俊健)。
これに加え、ボール先行でストレート一本待ちのカウントなら、迷わず思い切ってフルスイングする姿勢が徹底されている。だからこそ、ミスが少なくなり、長打にもなりやすいのだ。

 投手のレベルが上がれば上がるほど、甘い球は少なくなる。
 少ない甘い球を、いかにミスなく打ち返すことができるか。ミスショットは許されない。
 ボール先行のカウントや変化球が続けて外れたあとなど、“ストレート・ストライク”が予想しやすいタイミングではなおさらだ。
 1球で仕留める力――。
 甲子園は、その“ひと振り”で勝負が決まる。(スポーツナビ)

全てを終えて・・・・

2010年03月22日 08時28分30秒 | 行事
先日12日以来の更新です。
その間、自分にとって色んな事が有りました。
子供の受験と卒業式、そして鳥海中学校の閉校式。
この一年、PTA会長に就任して色々な行事に突っ走って来ました。
新年度になって最初の目標は秋に行われる予定の60周年記念式典に
向けての準備。記念誌を作ったり、式典やその後の祝賀会等の準備。
一番頭を悩ましたのは、挨拶文を考える事。これは頭が痛かったです。

その後は卒業式、そして最大の行事、中学校の閉校式。
そこでも挨拶文を考えるのには頭を悩ましましたね。
とにかく、ネタが無い!!同じ話も出来ないですし・・・
ただ、同じ話が゛出る事もシバシバですからね。それは仕方のない事かもしれないです。
でも、一番感謝しないと行けないのは。式典に向けて準備を進めてくれた
実行委員の皆さん、そして校長先生、教頭先生をはじめ教職員の皆さんには
ホント感謝の気持ちでいっぱいです。
自分は皆が担いでくれた御輿に乗っかっているだけでしたから、
ホント皆さんのおかけで無事、鳥海中学校としての全ての行事を終える事が出来ました。
決し泣くまいと決めて臨んだ閉校式も、会場の後片付けを終えて
最後の挨拶をした時に、感極まって泣いてしまいました。色んな思いが
頭の中浮かんで、涙が溢れて来てしまいました。カッコ悪かったですね。
ま、なんて言うか自分が鳥海中学校の最後のPTA会長というか、こんな立場に
立って居るに相応しい男だったのか?と言うと疑問に感じていたのですが
今後の自分の人生に生かせればと思っていますね。

学校の全ての行事が終わって二日経ちました。気持ちの整理が付かないというか
実は昨日はモンテディオ山形のホーム開幕戦、対浦和レッズ戦を観戦しに
行って来ました。そこでサポーターの方々と大声出して応援して来たんですが
ん~何か上の空というか、確かにその時は何も考えずに応援して騒いでいたんですが
いざ、現実に戻ると心の中に穴が開いた感じで何か燃え尽き症候群的な感じに
なってる自分が居ます。矢吹丈状態、真っ白に燃え尽きた感じ。
さぁ~次!!と言える物が今は見失ってる感じですね。
気持ちの整理が着くまでしばらく時間が掛りそうな感じです・・・・


西武・雄星、悩める球界の宝に“Q世主”

2010年03月12日 06時23分38秒 | 野球

投球練習を終え、高橋尚子さん(左)と談笑する雄星。この後の対談では“金言”を授けられた

Qちゃんに学べ!! 西武のドラフト1位、雄星投手(18)=菊池雄星、岩手・花巻東高=が11日、2000年シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さん(37)と対談。努力の末に世界の頂点に立ったアスリートから、練習の取り組み方などを伝授された。左腕はこの日、ブルペンでプロ入り後最多となる176球の投げ込み。12日に2軍のフリー打撃に登板することが決まった。

すべての言葉が血となり、肉となる。雄星はTBSの情報番組「THE NEWS」でスポーツキャスターを務める高橋さんと、埼玉・所沢市の寮で対談。五輪金メダリストの体験談に、熱心に耳をかたむけた。

 「マラソンは自分との戦い。いかに自分に勝つか、気持ちの持ち方が勉強になりました」

 2人は昨年12月以来、3カ月ぶりの再会。この間に雄星は2軍降格や9日の初実戦(教育リーグの巨人戦、西武ドーム)での2回KOなどプロの洗礼を浴び続けている。だが、高橋さんの目に、18歳はしっかりと地に足をつけていると映った。

 「落ち込んでいるかなと思ったけど、学ぶべきことは学んでいると安心しました。あとは実戦あるのみですね」

 対談の中で高橋さんが力説したのは、練習への取り組み方。大阪学院大を経て入社したリクルートは当時、五輪で2大会連続メダルを獲得した有森裕子さんら強豪ぞろい。無名だった高橋さんは全体練習後にも自らに自主練習を課し、輝かしい栄光の礎を築いた。

 「自分の苦労を振り返りながら話をしました。私は必ず強くなると信じて、プラスアルファの練習をしました」

 重要なのは下積み時代の努力-。この日は“金言”を授かっただけでなく、投球にも光が差し込んでいた。前日10日に小野2軍投手コーチと高校時代のフォームをチェックし、「花巻東高の菊池雄星を作っていこう」と確認。この日は対談の前に、室内練習場でプロ入り後最多となる176球を投げ込んだ。

 「指にかかったときは、さすがと思わせるボールを投げていた。ようやく先が明るくなってきましたね」と小野投手コーチ。12日の教育リーグ、楽天戦(西武ドーム)前にフリー打撃で登板することが決まった。調整が順調に進めば17日の教育リーグ最終戦(対ヤクルト)で登板の可能性もある。

 期待の左腕はQちゃんからの“金言”を胸に、たゆまぬ努力を続けていく。(サンスポ)

西武・雄星、大乱調…53球散々デビュー

2010年03月10日 06時33分45秒 | 野球

四球にボーク、3安打と散々のデビュー戦となった雄星。安打を許した小田嶋(左)に生還されるなど3点を失った。右は鈴木

春季教育リーグ(9日、巨人6-8西武、西武ドーム)西武のドラフト1位、雄星投手(18)=菊池雄星、岩手・花巻東高=が9日、本拠地・西武ドームで行われた教育リーグの巨人戦で実戦初登板を果たした。先発のマウンドに上がったが、2回で3安打3四球3失点、2つのボークとホロ苦デビュー。それでも雪の中、教育リーグでは異例の3743人のファンが集まり、黄金ルーキーのプロ第一歩を温かく見守った。

外は雪。気温2度。吐く息も白い。しかも平日のデーゲーム。それでも3743人のファンがつめかけ、バックスタンドはぎっしり。みんな雄星が見たかった。

 黄金ルーキーの記念すべき第1球は、135キロの直球。外角低めに外れるボールだった。

 「(本拠地は)すごく投げやすかった。声援は常に聞こえていて、うれしかった。悔しさと半々。今度は結果を出して期待に応えたい」

 実戦登板は昨年9月28日の新潟国体以来。2回53球のデビュー戦に笑顔はなかった。

 一回は先頭の11球まで粘られた橋本に中前打を許したが、1学年上の大田を遊ゴロに仕留め3人で片づけた。しかし二回一死、小田嶋に左前打を浴び初めて走者を出すと、様子は一変。2連続四球で一死満塁とすると加藤に2点適時打、鈴木にも四球、橋本には犠飛で3点目を失った。

 「セットポジションでは腕が振れず、ボールを置きにいってしまった。高校と違ってストライクゾーンが狭い(判定が厳しい)ので、ストライク入れなきゃと焦りがあった」

 本人にも分かっていた。セットポジションでは球速が5キロ近く落ち、制球は乱れて22球中15球がボール。投球前にきちんと制止せず、ボークを2回もとられた。

 それでも、走者がいないときの投球には手応えもつかんでいた。

 「ノーワインドアップのときは思い切り腕が振れていたので、練習でやってきたことは少しずつ形なっている」

 石井貴2軍投手コーチも「右打者の内角も厳しく突いていたし、根性ある」とたたえた。

 1軍投手の調整が優先されるため次回登板は未定だが、18歳の左腕に秘められた無限の可能性が開花するのはこれからだ。(サンスポ)

ウォッカ引退

2010年03月08日 21時13分20秒 | 競馬の話題
競馬ファンなら誰でも認めるであろう、平成の名馬、名牝のウォッカの
引退が発表されました。
遠征先でレース後に鼻からの出血が再発。陣営としてはこれ以上の
レースの出馬は困難と判断したようです。
しかし、残念ですねぇ~もともとムラッ気のある馬なので
前哨戦での敗退は気にしていなく、本番のドバイWCでのレースに
悲観はしていなかったのですが、またしても鼻からの出血は痛いですね。
今後は日本に帰って繁殖に入るようですね。2世の誕生が楽しみです。
ウォッカの子供なら、必ず走りますよ!!

第1回:今なぜ「秋春制」なのか? Jリーグ秋春制移行問題を考える

2010年03月08日 12時45分07秒 | サッカー
■「2010年からスタート」の予定だった秋春制


東アジア選手権・香港戦での観客数は1万6368人。気温3.6度、雨が降りしきる中のナイトゲームに詰め掛けたサポーターは少なかった

今年2月、サッカーファンは今さらながらに、この季節のサッカー観戦の過酷さを身にしみて理解することとなった。6日から14日まで東京の味の素スタジアムと国立競技場で開催された東アジア選手権である。いくらテレビ中継に配慮したとはいえ、厳寒のこの時期にナイトゲームを行うのは、どう考えても現地観戦組に対する配慮が欠けていると言わざるを得ない。公式記録を見ると、尋常ではない気温が記されている。中国戦2.5度。香港戦3.6度。韓国戦はちょっと上がって7.3度。ただし香港戦は雨が降ったこともあり、観客数は1万6368人と、Jリーグ開幕以後の国立での代表戦としては最低記録となった。

「この時期に試合はするもんじゃないね。せめて陽があるうちに開催すべきだよね」
「こういう状況でも、あのお方は『サッカーは冬のスポーツ』とか言うのかしら」
「VIPルームは暖かいから、たぶんお客さんのことは気にしてないんだろうよ」

 取材現場でも、こうした会話が何度かささやかれた。「あのお方」とはもちろん、犬飼基昭JFA(日本サッカー協会)会長のことである。第11代会長に就任した2008年7月12日以降(いや、それ以前から)、この人の主張はJリーグのシーズン秋春制移行で一貫している。そんなわけで、こうした厳寒の試合にぶち当たるたびに、条件反射的に犬飼会長の顔が思い浮かぶようになって久しい。

 もう忘れている方も少なくないだろうが、今年は犬飼会長が就任当初にぶち上げた秋春制移行の最初のシーズンとなるはずであった。文末に秋春制の大まかな経緯を記すが、もともとこの問題は、犬飼会長就任以前から存在していた。たとえば06年7月には、代表監督に就任して間もないイビチャ・オシム氏が「日本もヨーロッパにシーズンを合わせた方がよいのではないか」と提言している。さらには、今から10年前の2000年にも「Jリーグネクスト10プロジェクト」の中でシーズン移行問題が議論されており、「06年ごろを目途とした秋~春制への移行を検討する」ことが盛り込まれている。

 こうして考えると、秋春制の問題は「古くて新しい問題」と見ることができる。巷間で何度も語られているシーズン移行のメリット/デメリットは、実のところ10年以上も前から語られていた。犬飼氏が会長になって、いきなりクローズアップされた問題では決してないのである。ただし皮肉なことに、当初は10年にスタート予定とされていた秋春制は、今年に入ってからまったく話題に上がらなくなってしまった。かくして今年も、Jリーグは例年どおり3月に開幕を迎えることとなったのである。

■グローバリズムとローカリズムの相克


激しい降雪の中で行われた山形対名古屋戦(昨季J1第2節)。雪国にホームを置くクラブは秋春制移行に難色を示す

そんな中、なぜにスポーツナビは「秋春制」をテーマにした新連載を始めるのか。もちろんこれには理由がある。というのも今年10年、厳密に言えばワールドカップ(W杯)終了後に、この問題が再燃する可能性が十分にある、だからこそ助走期間として今のうちから考える機会を設けた方がよいのではないか――と考えたからである。以下、その理由について述べる。

 個人的に秋春制とは、グローバリズムとローカリズムの相克のひとつである、と考えている。そしてそれは、日本サッカー界にとっても、各クラブにとっても、常に頭を悩ませる永遠の課題でもある。
 当初、Jリーグが目指していたのはローカリズムであった。それは、Jリーグの拡大路線が鮮明になった05年以降であったと考える。05年といえば、徳島ヴォルティスとザスパ草津が加盟して、J1が18チーム、J2が12チーム、合計30チームとなった年だ。それからたった5シーズンでJクラブは7チーム増加し、最終的には40チームとなることを目指している。ここでのキーワードは、間違いなくローカリズムであり、いかに百年構想の理念と地域密着型のクラブを全国津々浦々に広めていくか、であった。

 だが一方で、グローバリズムへの視点も、ここ数年で高まっている。それは07年と08年のJクラブによるAFCチャンピオンズリーグ(ACL)連覇であり、昨年に導入が決まった移籍ルールの国際化である。秋春制の導入も、こうした文脈から見る必要があるだろう。そして日本のファンがグローバリズムを意識せざるを得なくなるのが、6月に開幕するW杯となる。
 今から悲観的な予想をするつもりはない。が、およそ「世界を知り尽くしている」とは言い難い監督、スタッフ、選手で構成された現在の日本代表が、本大会で世界から衝撃を受ける可能性が高いことについては、異論はないだろう。本大会での結果はどうあれ、本当に「ベスト4」でも実現しない限り、世界との彼我の差を日本中のサッカーファンが痛感することは不可避である。すると、どうなるか。「ガラパゴス化する日本サッカー界を何とかしなければ」という機運が高まりを見せることは十分に考えられよう。

 好むと好まざるとにかかわらず、グローバリズムとローカリズムの相克は、今後ますますサッカーファンの間で議論されるだろう。その中に、シーズン移行の問題がある。世界の潮流を意識して、日本のシーズンをヨーロッパに合わせるべきか。それとも日本の現状に則して、これまでどおりにリーグを運営するべきか。はたまたグローバリズムとローカリズム、双方の折り合いを付けるような着地点はないのだろうか――。
 ただ単に、感情論だけで「賛成」「反対」を声高に叫ぶだけでは、何も解決しない。そうではなく、さまざまな視点から検証することで、この秋春制の問題、ひいてはその向こう側にあるグローバリズムとローカリズムの相克について、議論を深めていくべきではないだろうか。それこそが、自明のごとく訪れる「ポストW杯」に対して、われわれサッカーファンが採るべき態度なのだと、個人的に考える次第だ。(スポーツナビ)

■「秋春制」問題の流れと関連事項


08年7月12日:
 犬飼基昭氏がJFA会長に就任。直後にJリーグ秋春開催の持論を披露する

08年10月28日:
 Jリーグ将来構想委員会がシーズン移行を議題に挙げ、今後も本格的に検討することを確認

09年2月26日:
 シーズン移行に反対するサポーター有志の会代表らがJFAハウスを訪れ、田嶋幸三専務理事に5万5511人分の署名などを提出。

09年3月9日:
 Jリーグ将来構想委員会の鬼武健二委員長が「シーズン秋春制移行はしない」との結論を報告。「スタジアムの問題などで、冬場の試合は難しい」「観客動員が見込める7~8月に試合をしないのは、クラブ経営にも大打撃」と説明

09年3月10日:
 犬飼会長がJリーグ将来構想委員会の結論を「議論が不十分」として、専門のワーキングチームで検討を続ける考えを表明

09年3月14日:
 Jリーグ第2節、山形対名古屋の試合が激しい降雪の中で行われる(結果は0-0)

09年12月24日:
 犬飼会長が「観戦者の多さは対戦カードで決まり、季節では決まらない」として、1月の常務理事会で秋春制導入の必要性をあらためて訴える考えを示す

10年2月11日:
 東京・国立で行われた東アジア選手権、日本対香港の試合で観客数が1万6368人となる。Jリーグ開幕後の国立での代表戦としては最低記録

余裕なき戦いの果てに アジアカップ予選 日本代表 2-0 バーレーン代表

2010年03月05日 07時05分08秒 | コラム
■バーレーン戦をめぐる3つの誤算


「チームの頭脳」中村俊はサイドでゲームを作りながら、何度もチャンスを演出。先制点の起点にもなった

日本代表、ワールドカップ(W杯)イヤー5試合目の相手は、あのバーレーンである。「あの」というのは、これまで嫌というほど対戦している、というニュアンスが含まれている。
 岡田武史監督就任後だけを見ても、これで6試合目。過去5試合の戦績は日本の3勝2敗で5得点4失点。2点差以上で勝利したゲームは一度もなく、アウエーでは2度、0-1で敗れている。日本にとって、決してやりやすい相手ではない。そして何より、われわれメディアやファンにとってみれば「もう、いいでしょ」と思ってしまうくらい、この中東の島国には、いささかうんでしまっている。3年間で6度目の対戦。年に2回の勘定だ。これほど頻繁に戦っている相手は、もちろんほかにはいない。

 そもそも大前提として、今回の試合は来年1月にカタールで開催されるアジアカップ予選であり、日本は今年1月のイエメンとのアウエー戦で(しかもほとんどBチームというべきメンバーで)勝利して本大会出場を決めている。つまり本来ならば、お気楽な消化試合となるはずだったのである。ゆえに、バックアッパーを試す場にしてもよかったし、逆にバーレーン戦の日程をずらして、ヨーロッパやアフリカの強豪とアウエー戦を組むことだって十分に可能だったのである(実際、中国はベトナムとの予選最終戦を延期して、ポルトガルとの親善試合を組むことに成功している)。なぜ、そうはならなかったのか。ここに、現在の日本代表を追い込んでいる誤算の連鎖を見てとることができるだろう。

 第1の誤算は、チームのコンディショニングが指揮官の想定よりも遅れてしまったことだ。そのためベネズエラ戦と中国戦、2試合連続でスコアレスドローを演じることとなり、続く香港戦では3-0で勝利したものの、東アジア選手権のタイトルが懸かった韓国戦では1-3の逆転負けを喫してしまう。会場の国立競技場は、これまでにないブーイングに包まれ、岡田監督の去就をめぐる議論がファンやメディアの間で沸騰。すぐさま犬飼基昭会長が「(監督交代は)リスクが高すぎる」として岡田監督続投を宣言したものの、日本代表の行く末を案じるサポーター、ファン、メディア、そしてスポンサーから100パーセントの信任を得たわけでは決してなかった。これが第2の誤算である。

 かくして、本来は「消化試合」となるはずだったバーレーン戦は、気が付けば「岡田監督の進退を懸けた一戦」へと昇華する。バックアッパーを試すこともできず、さりとて海外組を中心としたメンバーでヨーロッパやアフリカのチームと対戦することもままならない。「W杯ベスト4を目指す」日本は、この記念すべき本大会開幕100日前のFIFA(国際サッカー連盟)マッチデーで、バーレーンとの消化試合を「真剣勝負」することと相成った。これが第3の誤算である。

■「チームの頭脳」中村俊と「異端」本田の共存は可能か?

そんなわけで日本代表である。
 上記の理由により、消化試合のバーレーン相手にまずい試合ができなくなった日本は、「これまで呼んだことのある海外組全員」(岡田監督)を招集。「時間の長短はあれ、どういうタイミングかは別として(全員を)使いたい」と指揮官が述べていることからも、彼らを主軸とした布陣となることは間違いないだろう。折りしも、今年4試合でずっとスタメンだった大久保嘉人と中村憲剛が、いずれも負傷のため招集されなかったことからも、中盤の構成ががらりと「ヨーロッパ風」に変わることは間違いない。そしておそらく、このバーレーン戦でのスタメンが、そのまま本大会でのコアメンバーの原型と見てよいはずだ。ここで、あらためてクローズアップされるのは「中村俊輔と本田圭佑の共存は可能か」という、これまで何度も繰り返されてきたテーマである。

 中村俊は、言うまでもなくチームの攻撃の中心であり、頭脳である。岡田監督は就任当初から日本の10番ありきでチーム作りをしており、その固執ぶりは「俊輔という名のコンセプト」と命名したくなるくらいだ。その正確無比なロングキックやプレースキックは、貴重な得点源にもなっている。今季、移籍したエスパニョルでは出番を与えられず、このほど横浜F・マリノスへの復帰が決まった中村俊だが、それでも彼に寄せる岡田監督の信頼は決して揺らぐことはないだろう。
 対する本田は、間違いなくこのチームの「異端」である。すなわち、自ら打開できるだけの強いフィジカルとメンタルを持ち、強引にゴールを目指すことを身上とする一方で、スピードと走力とコンビネーションには難がある。現在の日本代表選手の属性からすると、ことごとくその規格から逸脱している(だからこそ、ヨーロッパで十分活躍できるのだとも言えるのだが)。

 言わずもがなではあるが、代表チームとは似たようなタイプの選手を11人並べればよいというものではない。むしろ、本田のような「異端」をいかにチームに融合させ、チームも個人も生かせるかを考えるべきであろう。ところが、実際のところ代表における本田の位置付けは、実質的には中村俊のサブ扱い(監督は否定しているが)。この「利き足が左」くらいしか共通点がない両雄が、最後にスタメンで並び立ったのは、08年6月22日以来。くしくも、これまたバーレーン戦であった(W杯アジア3次予選)。果たしてこの試合で、両者を共存しながらチームは機能していくのであろうか。岡田監督の手腕が問われるとすれば、まさにこの一点に尽きると言っても過言ではないだろう。

 この日のスタメンは以下の通り。GK楢崎正剛。DFは右から内田篤人、中澤佑二、田中マルクス闘莉王、長友佑都。中盤は守備的な位置に遠藤保仁と長谷部誠、右に中村俊、左に松井大輔、トップ下に本田。そしてワントップに岡崎慎司。森本貴幸がベンチに回った以外、海外組は全員がスタメンに名を連ねることとなった。とりわけ、元名古屋グランパスの本田にとっては、会場が豊田スタジアムであることに何かしら期するものがあったはずだ。ここはひとつ、地元ファンの前での凱旋(がいせん)ゴールを期待したいところである。

■大きな意味を持つ(?)ロスタイムでの本田のゴール


「異端」本田(中央)は終了間際にゴールをマーク。積極的な姿勢が最後に実を結び、監督に期待に応えた

「言い訳なしで結果を出せ」――試合前、岡田監督は選手にこう語ったという。絶対に負けられない、この試合。日本が目指すべきは、コンセプトの徹底でもW杯のテストでもなく、とにかく目の前の相手に勝利することであった。もっとも、日本が必勝態勢で臨まなければならないのは、今に始まった話ではない。少なくとも東アジア選手権の3連戦は、ずっとこうした状況であった。ただ、今回の場合は「海外組との融合」という、新たな課題が加わっただけの話である。それでは、この試合でチームの融合は成ったのか。結論からいえば、融合うんぬん以前に「元のチームに戻った」と解釈するのが正しい。それは岡田監督の「昨年、一昨年、公式戦ではほとんど、このメンバーに近かった」という言葉が示す通りであろう。そしてその中心にいたのが、日本の10番であった。

 この日の中村俊は、両サイドで何度も起点を作ったり、あるいは前線でタメを作りながら追い越してくる選手を生かしたり、さらには意表を突くタイミングで相手DFの裏に放り込んだり、何度も目の覚めるようなチャンスを演出。先制点を呼び込んだのも、まさにこうした彼の職人技によって生まれたものであった。前半36分、左サイドで中村俊が中に絞りながら本田からのパスを受け、アウトサイドから駆け上がる松井にスルーパス。これを松井がダイレクトでクロスを上げ、ファーサイドの岡崎がジャンプしながら頭で合わせてネットを揺さぶる。岡崎のゴールは昨年11月の香港戦以来、4試合ぶり(自身が出場した試合)。チームはもちろん、岡崎自身にとっても復調を予感させる貴重なゴールであった。

 この日は、左MFの松井がたびたび中村俊との絶妙なコンビネーションを見せたり、長谷部も攻守にわたって貢献するなど、合流したばかりの海外組は「さすが」とうならせるようなプレーを随所に見せていた(岡崎のゴールの際、相手DFを引きつける動きを見せていたのも長谷部だった)。これに対し、トップ下で起用された本田、そして後半22分に松井に代わって投入された森本は、いずれも本来の持ち味を出し切ったとは言い難い。本田については、チーム最多の5本のシュートを放ったものの、特に前半は中盤でのコンビネーションで滞りを見せ、自身も窮屈さを感じていたのか、強引に前線まで攻め上がるシーンが何度か見られた(ゴールへの意欲そのものは、決して否定されるものではないが「スタートポジションの意識というのをテーマにしていた」という岡田監督には、やや否定的に映ったのかもしれない)。森本については、単純に与えられたプレー時間が短すぎた。岡田監督としては、悩んだ末に「計算が立つ」岡崎をスタメンに使ったのだろうが、この起用法については意見が分かれるところだろう。

 そんな中、最後の最後で魅せたのが本田だった。「またしても1-0で終わるのか」と思われた後半ロスタイム。右サイドからの内田のクロスに、森本がニアでつぶれ役になり、最後は本田がダイビングヘッドで強引にボールを押し込んで追加点を挙げる。自ら「おいしいところ」という場面で生まれた本田のゴールは、本来の試合の流れの中で考えるならば、さして重要なものではなかった。それでも、この日の極めて特殊な状況にあっては、本田のゴールは名古屋のファンへの望外なプレゼントであり、さらには岡田監督の進退問題にも事実上ケリをつける祝砲でもあったのである。

■岡田監督から“余裕”を奪ったのは誰か?

「(海外組が)2日前に集まってやった試合にしては、そこそこかなと思っています。(中略)いろんな問題点はありますが、選手たちは最後まで点を取りにいって、2点目を取ってくれた。よく頑張ってくれたと思います」

 試合後の会見に臨む指揮官の表情は、心なしか随分と穏やかなものに感じられた。少なくとも、アジアカップ予選の消化試合とは思えぬくらい、岡田監督の表情は安堵(あんど)感に満ちている。今さらながらに、この試合が持つ特異性を感じずにはいられなかった。
 実のところ、この試合が不本意に終わった場合の“可能性”については、各方面から有象無象の情報を耳にしていた。結局、それらはいずれも“幻”となり、日本代表は岡田監督の指揮の下、南アフリカを目指すことは間違いないと見てよいだろう。それが結果として、日本サッカー界にとって功罪どちらの比重が大きくなるかは、今は誰も判別できない。だが少なくとも、この日の結果によって「南アは岡田で行く」という事実が(ほぼ)確定したことだけは、肯定派も否定派も認識すべきだろう。今後の議論は、まずそこから始まる。

 このバーレーン戦について総括するならば、いわゆる「コンセプト」に拘泥することなく、あくまでもゴールを、そして結果を求める姿勢をチームとして前面に押し出していたことは評価してよいだろう。それから、海外組との融合(というより「原点回帰」)についても、ほぼ問題ないことがこのゲームから明らかになった。スペインから戻って来た中村俊についても、とりあえずW杯までは日本代表の「顔」となることは間違いなさそうだ(余談ながら、この試合を見て小笠原満男の代表復帰は難しくなったと、私は確信している)。もちろん、浮き彫りとなった課題もまた、少なくない。一番のテーマであった中村俊と本田の共存については、まだまだ時間が必要であることは明らかだし(それでも何度かいいコンビネーションはあった)、守備の連係については不安を覚える部分が少なくなかった。これらの問題については、本大会に臨む23名が決まって以降に持ち越される課題と割り切るしかないだろう。

 だが、それ以上に私が不安に思うことは、岡田監督が「南アでの戦い」を勝ち取るために支払った代償の大きさ、である。W杯イヤーとなる今年に入ってから、指揮官は余裕のない戦いを強いられることで「バックアッパーの確保」というチーム作りの重要な要素を、ついに放棄せざるを得なかった。つまり「代えの効かない選手」を増産してしまったのが、今の代表なのである。昨年10月のトーゴ戦からスタメンを張っていた(1月6日のイエメン戦は除く)遠藤もそうだが、それ以上に心配なのが中澤と闘莉王のセンターバックコンビである。キャプテンの中澤は先日代表100試合を迎えたが、バックアッパーの岩政大樹はやっと2試合目を経験したばかり。岡田監督は、中澤と闘莉王が「不死身」だと思っているのだろうか。だが、思い出してほしい。2002年W杯では、森岡隆三と宮本恒靖という2人のセンターバックが相次いで負傷している。06年には、いったんは23人枠に選ばれた田中誠が負傷で辞退し、代わって選ばれた茂庭照幸は、初戦のオーストラリア戦で肉離れを起こした坪井慶介に代わって、いきなりW杯デビューを果たすこととなった。こうしたアクシデントが、南アで繰り返される可能性は十分に考えられよう。

 結局のところW杯予選突破以降も、日本が余裕のない戦いを強いられたことが、チームとしての可能性を著しく狭めているのは間違いない。W杯は11人ではなく、23人(あるいは、それ以上)で戦う総力戦である。しかしながら今の日本は、11人プラス数名で戦うしかない状況だ。おそらく6月14日のカメルーン戦は、この日のスタメンとほとんど変わりない顔ぶれが並ぶはずだ。それくらい、今の日本にはオプション(=余裕)がない。だが、その責を岡田監督ひとりに求めるのは、いささかアンフェアだと思う。少なくとも彼は就任当初、寺田周平や高木和道といったセンターバックのバックアッパーを、スタメンとして起用している。にもかかわらず、結果を求められ続ける状況に追い込まれたからこそ、岡田監督は、中澤と闘莉王を起用し続けるしかなかったのだと思う。
 そんな余裕のない戦いを強いたのは、いったい誰だったのか? 問題の根源は、むしろそこにあるように思えてならない。(スポーツナビ)