■「本当のマツイを見せてくれ」
アラン・ペラン新監督の就任で、ようやく松井にも光明が差した
「本当のマツイを見せてくれ」とペラン新監督に言われ、ブリュージュのピッチに送り出された瞬間に、サンテティエンヌでの松井大輔の、“本当のシーズン”が始まった。監督の意味深な言葉は、この初めてのUEFAカップの舞台に至るまでに松井がくぐり抜けたさまざまな困難を言外に映し出している。実際、松井の身に起こったことを別にしても、前回のコラム(10月3日)からここまでの間に、サンテティエンヌの大不振、チームの分裂、監督交代と、実に多くのことが起こった。
すでに新聞などで報道されているのでご存知の方も多いと思うが、この新指揮官の言葉の背景には、チームが不振にはまり込んでいた昨年10月下旬に、サンテティエンヌ会長の1人、ローラン・ロメイエ氏が言った「松井はまったく順応していない。(ル・マンにいた松井の)兄弟かいとこを獲得したんじゃないか、(今の松井は)偽者なんじゃないかと尋ねたほどだったよ」という発言がある。
いつも失言しては後で言い訳をすることで有名なロメイエ会長は、サポーターとの会合の場で「ゴミスは代表に呼ばれてから天狗(てんぐ)になっている」「ジグリオッティは怠け者だ」うんぬんと、ほかにも失言を重ねた。メディアが来ているとはつゆ知らず、選手の悪口を言うことで、ファンの仲間のふりをしたかったらしい。だが、その発言は翌日、地元紙の『プログレ』に、その翌日には全国紙『レキップ』に、それからテレビでもと、でかでかと報道されてしまった。
そう、松井によれば、新聞などで騒がれたこの一件を知っていたペラン監督は、会長の言葉に引っ掛けたジョークで「本物のマツイを見せてくれ」と言ったのである。
ロメイエ会長はまた、「サンテティエンヌの選手が×××になんか住むもんじゃない」と言って、松井の住んでいる町の選択もとがめたのだが、これは、ここが宿敵の町リヨンに近いからという子供じみた理由からの言いがかりである。クラブの顔であるべき会長が、率先して自チームの選手の悪口を言うとは由々しきことだが、まだルセイ監督指揮下にいた松井は、内心むかついた様子ながらも、公の場では「何を言われようと僕には関係ない」と言ってじっと耐えていたのだった。
■ルセイ前監督とのフィーリングの欠如
順を追って説明しよう。シーズンが進むにつれ、ルセイ前監督が松井を交代要員としか見ていないこと、さらに悪いことに、選手の調子を見てチームを決めるのではなく、自分が信頼を置くお気に入りの選手を起用するという凝り固まった考えを持つことが明らかになっていった。10月5日のモナコ戦後、ルセイ監督は「松井はまだ、わたしが要求することができるだけの肉体的コンディションにない。人間的にはチームになじんでいるが、プレー面ではね……。本人は体調に問題ないって言っているって? 選手が感じることと監督が思うことはしばしば違うものだ」と、“今のところは”松井を補欠と見なしていることを高らかに宣言。松井はホームの重要な試合ではほぼ常にベンチを暖め、アウエーで途中出場すれば、「交代で入った者が期待外れだった」と嫌味を言われた。
いつも同じ11人を使っているという地元紙の示唆に対し、監督の「90分使える選手は12~13人ほどしかいないから、選択の余地はない」という発言が出たのが10月25日。その翌日のグルノーブル戦で、松井はホームで初先発するも、45分で交替した。敗戦に終わったこの試合の後、松井は珍しく「こういう状態は僕も初めてだし、本当に難しい。ほかの仲間も監督との関係はすごく難しいと言っている……。負ければ皆の責任なのに、僕ら控え選手のせいみたいに言われるのはくやしい」と、心中を漏らしている。
「ずっとベンチで、いきなり出て結果を出すのは簡単じゃない。でも、悪くとらずプラスに考えて、毎日練習で見せていかないと」。こう言って無理やり気を取り直す松井だったが、その様子にはどこなく元気がない。地元メディアの間では、松井は冬の移籍市場でよそに移るのでは、という声もめぐり始めていた。そして翌週のロリアン戦で負けた後、彼の口から「人生最大の谷底」という言葉が出る。
もっともそれは、絶望の言葉というわけではなかった。「サンテティエンヌ移籍には落とし穴があった」と示唆された松井は、こう言ったのだ。
「僕はこれが落とし穴だとは思わないし、こういうのがあってこそのサッカーだと思う。サッカーは僕の生きがいだし、楽しくなるようにもっていかなければ。人生はいつも楽しいわけじゃないし、そういう厳しい時期も乗り越えないと前がない。今は、人生で一番の谷底かもしれないけど、そこから這い上がってこそ、自分もまた進化できる。僕はそう思っているんです」
負けじ魂を見せるけなげな松井だったが、このように監督とのフィーリングの欠如が日に日に明らかになっていく中、前述の通り、会長から筋の通らない個人攻撃を受けた。まさに踏んだり蹴ったりである。後日談だが、おとなしそうに見えるが、実は一本筋の通った彼は直々にロメイエ会長に会いに行き、「選手の親であるはずの会長が、そういう発言をしていいんですか。プレーを批判されるのは構わないけど、住んでいる場所についてあれこれ言われる筋合いはない!」とはっきり言ってやったそうだ。
■内部分裂のチームは崩壊へ……
そんな間にも、幸か不幸か、常にルセイのお気に入りによって構成されていたサンテティエンヌは負けが込んでずるずるとランキングを滑り落ちた。すると、「自分が出られなくてチームか勝っているならまだ納得がいくが、負けても同じ選手ばかりを使っている」と控え選手たちから不満の声が上がり始める。UEFAカップ、国内カップ戦と3日おきに試合があっても、負けが続いても同じ選手を使い続けるので、控え選手の欲求不満は日増しに膨れていった。『レキップ』紙の記者はこの時の状態を「トレーニング場は、レギュラーにとっては“バカンス・クラブ”(何がどうあれ先発する)、控え選手にとって“精神病患者収容所”(頑張って調子のいいところを見せていても出られない)のようになっていた」と表現している。
10月末にはすでに、チームの内部分裂はメディアの間でも騒がれ始めていたが、松井が後に明かしたところによれば、「こんなチームあるのかというくらい、バラバラになっていた」らしい。選手は監督のお気に入りと、その他大勢の2派に別れ、控え選手が漏らした不平を、お気に入り派の選手が監督に告げ口する、といった事態まで勃発(ぼっぱつ)。情報通によれば、その言いつけ魔は、松井のポジションのライバル、デルニスである。おかげで選手間にも不信感がまん延していた。
例えば、ダビド・ソジェが「本当にこのまま出ないならもうよそに移る!」とぼやいた翌日、ルセイ監督が「何だか影で文句を言っているやつがいるようだな、“ダビド”」とミーティングであからさまに嫌味。驚いたソジェは直に話すため、監督のオフィスに突撃した。そのほかにも、多くの控え選手が監督と直談判をしに行ったが、状況は変わらない。すべて監督交代後に選手たち本人が明かしたことだが、やはり話をしに行ったFWのグラックスは「お前のトップレベルでのキャリアは終わった。私はお前なんか欲しくなかったが、もういるんだから仕方がない」と、散々陰険なことを言われたそうだ。
当時は補欠で、ペラン新監督の下で12月のクラブ最優秀選手に選ばれたGKのジェレミー・ジャノも、ルセイ監督に「お前のキャリアは終わった」と落第の印を押されたという。こんな具合では、控え選手にとって、いつの日か認められることを信じて練習で奮起する意欲もくじかれようというものだ。“言いつけ魔”を避けるために控えは控えで固まり、こいつはこいつにしかパスを出さない、などというピッチ上での派閥まで生まれていたというのだから、勝てなくなるのも当然である。
■ペラン新監督の就任と異常事態の解消
12月6日のル・アーブル戦でフル出場し、活躍を見せた松井(左)
こうして分裂状態のチームは、10月中旬からナント、グルノーブル、ロリアンといういわゆる弱小相手にリーグで連敗し、もう1人の会長、ベルナール・カイアッソを中心としたクラブ幹部は、11月1日の対マルセイユ、6日の対ローセンボリ(UEFAカップ)、9日の対レンヌの3試合を執行猶予期間として与えるとの最後通告を発表。1勝1敗で迎えた運命のレンヌ戦で、ルセイのサンテティエンヌはホームで0-3と完敗した。『ルセイよ去れ!』と願っていたのは、われわれ日本人通信員と、試合中に“監督クビコール”をしていたサンテティエンヌのファンだけではなかったようだ。というのも、敗戦後は地元記者たちさえもが、どことなくうきうきしていたのである。
松井も試合後、会長の緊急会見を聞いていたわれわれの元にやって来て、「何て言っていた? 監督変わるって?」と逆に質問を浴びせた。控えの烙印(らくいん)を押されていた選手たちが、心の中で期待を膨らませていたことは想像に難くない。その証拠に、翌10日にルセイ監督解雇が、11日にはうわさされていたペラン新監督就任が決まるや、前述の通りグラックスが裏話を暴露。選手間でも「ペラン監督は有能な人」「あの監督が来れば、きっと事態は好転する」という話が盛んに出ていたという。
そしてペランは、その期待を裏切らなかった。ルセイ監督時代に、松井が「サンテティエンヌの練習、何かすごく緩いんですよね。練習終了後に自分で追加練習したいと言ってもダメだと言われる」とぼやいていたことがあるのだが、ペランが来てからは、練習方法も、そしてチームの緊張感という面でもがらりと変わった。何しろいまや、皆が同じスタートラインに立ったのだから。そして何より、テクニカルな面で大きな変化があった。ルセイの信条は「選手のイマジネーションに頼る」という大ざっぱなもの。反対にペランは、試合前の対戦相手の分析、相手に沿った戦術方針など、事前の準備に余念がない。
この変化について、「ビデオで相手を研究し、『ここを突いてこういうふうに戦いたい』という監督の求めるものをはっきり示してくれるので、僕としてはすごくやりやすい。幸い、監督の考え方と僕の考え方が合っている。攻撃も1人に頼るんじゃなく、相手がどこを守るか迷うよう、皆がゴールできる状態にしろと言われているので」と松井は説明する。つまりルセイ時代の「試合前の細かい指示はなし」という異常事態は解消されたのである。
■本当の意味でのシーズンの始まり
こうして“まともな”監督の下で新たなスタートを切った松井は、11月22日のニース戦で復活の第一歩を踏む。後半20分に途中交替でピッチに入ったのだが、そのときペラン監督が、松井の肩を抱いて、何やら盛んに話し掛けていたシーンが印象に残った。積極的な仕掛けで、恐らく今季のその時点までで最高のプレーを見せた松井は、試合後こう明かしている。
「入る前に監督は、『君のデビュー戦だと思ってやってくれ。今日から本当の意味で君のシーズンが始まるんだ』と言ってくれた。そういうふうに、うそでもいいから選手への心遣いを見せてもらうと、選手もやってやるという気持ちになれる」
これまで不平を漏らさずやってきた松井だったが、この言葉には、ルセイ政権下で経験した苦しみがにじみ出ていた。
話は少し戻るが、ペラン監督が就任した翌日、松井は「状況を考えれば監督交代は最良の解決策だった。ターンオーバーもできる監督なので、次の試合は先発すると思う」と声をはずませていた。ところが就任の4日後にあたる11月15日、ペランのサンテティエンヌ監督としてのデビュー戦となったリール戦で、松井はベンチ入りしたものの出番はなし。いつもは出場しなくても必ずコメントしてくれていた松井だが、この日は、単なる行き違いか意図的か、彼はメディアの前に現れずにバスに直行した。松井は後に、「『このメンバーでずっと負けているのに、何でまた同じなんだよ!』と思って、あのときは正直、本当にがっかりした」と告白している。
実はこの試合前、ペラン監督はメディアに対し「練習に参加してまだ3日で何も分からないので、リール戦ではメンバーをあまり変えずにいく」と言っていたのだが、これを選手に告げたのは試合の後だったらしい。こうしてペラン政権が本格的に始動した次のニース戦で、松井はようやく彼らしい活発なプレーを披露。試合は0-1で敗れたものの、地元紙は「敗戦にもかかわらず、ペラン政権の吉兆が見えた」と久しぶりにポジティブな評価を下した。実際、守りに入るニースに対してサンテティエンヌは常に押しており、プレーのバリエーションという面での向上は、誰の目から見ても顕著だったのである。
■松井の復活
松井(右端)とサンテティエンヌはペランの下で新たなスタートを切った
このような紆余(うよ)曲折を経て、松井は、冒頭の“本当のマツイ”を見せることになる、11月27日のブルージュ戦に至ったのである。すでにUEFAカップは4試合戦われていたが、常にベンチ入りかメンバー外だった松井にとって、これは正真正銘のUEFAカップデビュー。そして、この初めての欧州の舞台で、松井は今季初のアシストを記録した。ピッチ左よりでボールを受けると、ドリブルで数歩中央に切り込んで素早くスルーパス。やはりロメイエ会長に“怠け者”呼ばわりされていたジグリオッティがこれを決め、虐げられていた2人がチームのグループリーグ突破をもたらした。
折しもこの日の『レキップ』紙は、「松井の時がやって来た?」というタイトルで、松井復活を占う小記事を載せたばかりだった。また『オージュドゥイ・スポーツ』は「ルセイかおれか」というタイトルの松井のインタビューを掲載。その中で松井は、監督批判をすることなく『監督が僕に賭けていないのは分かった。もしそうなのであれば、僕が去るしかない』――つまり冷静に状況を見た上で、移籍の可能性も考慮していたことを明かしていた。
続いて、松井らしさがフルに出た12月6日のル・アーブル戦の後にも、やはり松井復活をうたう記事が地元紙『プログレ』を飾った。実際、監督交代のうわさが巡り始めた11月初頭から、それまでまったくと言っていいほど無視されていた松井の話題が、やたらメディアに取り上げられるようになっていたのだ。
ルセイ解雇が決まった夜に、早速サンテティエンヌの危機を議題に取り上げた討論番組『スペシャリスト』では、解説者の1人で元フランス代表のクリストフ・デュガリーが「ル・マン時代にあれだけ輝いていた松井が、サンテティエンヌでまったくプレーチャンスを得られないのはおかしい」と、熱弁を振るった。そしてその横では、恐らくすでに新監督就任が内定していたであろう解説者のアラン・ペランが、意味深な笑みを浮かべながらそれを聞いていたのである。
■本当の戦いはこれから
苦境にいた松井がいつも繰り返していた言葉。それは「いつかチャンスが巡ってくる」というものだった。「それが来たときにつかまなければならない」と言った松井は、その言葉を実践し、このブルージュ戦以来、故障など体調不良の場合を除き、ほぼ毎試合先発を果たしている。
ルセイ監督の下での松井は、監督の好みうんぬんを別にしても、数試合を例外に、あまり攻撃の動きに絡むことができなかった。ボールもあまり回ってこず、客観的に見て、ル・マンでチームをけん引していた松井らしい躍動的なプレーをほとんど見せることができていなかったのだ。ペラン監督になって突然“らしさ”が出るようになったのはなぜなのだろうか。
「ルセイ監督の下では、たとえば(9月14日の)カーン戦などでいいプレーをしたと思っても次の試合に出してもらえなかったり、モチベーションを高く保つのがすごく難しかった」。この本人の言葉から判断すれば、監督の信頼から来る自信、また新指揮官のにらみが効いている中、仲間が偏りなくパスを出すようになったということもあるのだろう。とにかく、監督が変わるとこうも変わるかと驚きたくなるほど、チームプレーも松井自身のプレーも目に見えて向上したのである。
とはいえ、今、すべてがバラ色になったというわけではない。ブルージュ戦直後のナンシー戦での勝利で降格ゾーンから抜け出し、UEFAカップでもトップでグループ通過。勝利で2008年を締めくくり、1月3日のフランスカップで強豪ボルドーを破っていい新年のスタートを切ったサンテティエンヌだったが、リーグ戦では再び弱さを垣間見せ始めている。さらに松井自身、攻撃のアクションを作る頻度はぐっと上がったとはいえ、まだ今季のリーグ1ではアシストもゴールも決めていない。
アシストやゴールに加え、ペラン監督はまた、1対1で競り勝つ強さも求めている。この点で、まだまだ松井は発展途上だ。フランスでもまれ、だいぶたくましくなったとはいえ、小柄で華奢(きゃしゃ)な松井はいわばタックルのターゲット。FKを獲得する頻度が高い反面、松井がボールを奪われるシーンも少なくない。
「ペラン監督はひいきや先入観がない。その分、プレーが悪ければメンバーから外されるし、だから僕もまだレギュラーをとったわけじゃない」と松井自身が強調している通り、本当の戦いはまだこれからなのだ。ルセイ時代の連敗のツケは大きく、1、2回勝った程度ではランキングは上がらない。12月の好成績にもかかわらずサンテティエンヌはいまだ17位にくぎ付けで、現在は復調しつつある下からの脅威もある。バラ色どころか、まだまだ油断できない状況だ。
「早くアシスト、ゴールという結果を出して、レギュラーの座を確実なものにしたい」と闘志を燃やす松井は、「いつも調子のいい1月だし……」と焦りもなくはない様子を見せている。しかし“本当のマツイ”のスタートが3カ月遅れだっただけに、今季の彼のピークも、いつもより少し遅れてやってくるかもしれない。(スポーツナビ)