忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

怒りに燃ゆる島

2010-04-17 | 世の中のこと

「私は島を愛する/・・・南太平洋の一点 北半球の一点/ああ そして世界史のこの一点/ 私はこの一点を愛する/毅然と己の力一ぱいで黒潮に挑んでいるこの島を」

今日の赤旗新聞の潮流に載っていた文です。この詩を読んで本当に胸いっぱいになりました。

この詩を書いた泉 芳朗さんという人は「奄美群島の日本復帰の道を開いた指導者」だったそうです。(以下 新聞からの部分抜粋です。)

アメリカ軍普天間基地のヘリコプター部隊の移設話がもちあがっている徳之島も奄美群島のひとつです。

戦後 米軍は奄美を沖縄とともに本土から切り離して軍政をしき住民を苦しめます。1951年、復帰協議会の旗揚げ。奄美共産党の代表が泉に頼みます。「奄美のガンジーになってください。」

泉は復帰協議会の議長になり復帰を求める署名運動を始めます。2ケ月足らずで14歳以上の住民の99・8%が署名し神社では5日間の断食に入った泉に米軍は驚きます。泉に続き断食は群島すべてに広がり、商店もいっせいに休みました。

52年、泉は名瀬市長に。翌年、復帰の悲願はかないました。そして泉が残した詩が冒頭です。

60年近く前に島の復帰にかけた人々のことが(沖縄の人々も) いまさらのように私の心に問いかけてきた。何も知らなかった、知ろうとしなかった自分を許してくださいと。そして、今度の基地問題こそは日本全土で自分たちの国のこととして考え、行動しなければ・・・・と。 (えらそうな事書いてしまった。シマッタ・シマッタ どうしよう・・

 


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