忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

お引越し

2014-03-14 | 日々の業

いよいよお引越しが近づいてきた。といっても私は引越しの主役ではないので気楽にしている。

これまでも7回くらい引っ越してきて亡父は「もう引越しはこれで最後にしときな」と言い残していたのに亡くなってわずか3年で引っ越した。そのままやっと今の家に20年住みついた。

引越しがそんなにしんどいとは思わず、ノーテンキなのかぱっと決めてしまい、また帰ってきたらいいわなどと軽く思ってしまうようだ。

そして引越し貧乏して・・・。もう京都には帰れな~い

今度はさて大都会に行くことになり、どうなることか?

「あなたその年でよく知らない土地に行くわね」と知人に言われたが、今は初めて住む都に興味深々。

人が大勢いる都会に行くと確かに躍動感、高揚感が湧いてくるということはずっと以前東京に遊びに行ったときに感じた。

しかしそこに長くいるときっと疲れてくるだろうなとも思う。

老年になると買い物、医者が近いところがよくなり、お隣さんももう10年前に駅近に行かれた。そしてこの団地でも連れ合いを亡くされ一人暮らしのお年寄りが増え、子どもの住む都会へと行かれた方も結構あるときく。又 空き家もぽつぽつ。

終の棲家はどうするのがいいのか、個人個人で違ってくるだろうが・・・。

というわけでこのブログもお引越し先が見つかるまでお休みします。

皆様 長い間ありがとうございました。

 


「原発のない社会へ びわこ集会」に参加

2014-03-10 | 世の中のこと

昨日は膳所公園で行われた「原発のない社会へ びわこ集会」に参加した。

お天気を見ながら「腰は痛いし・・・少し頭痛も」という体調だったが友人が「私も昨日農作業で腰、痛いけど・・」といわれやっぱり集会だけでも参加しよう! そうすることがせめてもの震災にあわれ、苦しい思いをされている方々への連帯の気持ちだと思い直し、座布団、シート、懐炉、熱いお茶などを準備して参加した。

井戸謙一弁護士の話を聞くと政府が、国民にわからないように法を変え、名称を変えして原発再稼動へと経済優先の方向に向かっていることがよくわかった。やっぱり部屋の中でゆっくり沢山の人と聞きたい話だ。外は寒~い。

福島から滋賀に避難されてきている佐藤さんの話では子ども達のことを思い避難したら「裏切り者」と言われ、身の置き場のない人たちや行政の対応の冷たさなどなど本当に胸が痛くなるほどだった。

 

 


石山寺前に島崎藤村の詩碑

2014-03-02 | 写真

2日前の暖かくなった日 知人との待ち合わせで石山寺に行った。山門前の小さな公園の梅はもうだいぶ膨らんでいるかなとぶらぶら歩いていると石碑が建っていた。何の碑だろうと見てみると「島崎藤村・・・」と記してある。え~こんな所に何で島崎藤村?と思い読んでみると

 石山寺にハムレットを納むる辞より
湖にうかぶ詩神よ 心あらは 落ちゆく鐘のこなたにも 聴けや 千年の冬の夜ごとに
石山の 寺よりひびく読経のこえ

ネットで調べると 「昭和47年(1972)建立されたもので、元々は密蔵院(現在仁王門先境内)の旧地で、明治26年(1893)教え子との愛の苦悩から、教員の職を辞し関西漂白の藤村(22歳)が2ヶ月ほどここの茶丈で下宿生活をした。

その時石山寺に参詣し、ハムレット一冊を献じた。石山寺での生活は、「春」や「茶丈記」などに著された。」などと書かれていた。

石山寺は紫式部が有名でここのお寺で源氏物語を書いたと言われているが、藤村がお寺の境内に逗留していたとは知らなかった。