忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

人生なにが起こるかわからへんなあ

2010-03-30 | 昔語り

昨日は私の誕生日だったが、あのような春の吹雪を見たのは初めてのような気がする。3月も終わりに強い風と雪、みぞれ、あられ・・・驚いてしまった。4月に入っても寒い日はあるけれど、あのような雪はめったに見ない。桜の蕾もびっくりしてしまっただろう。

30数年前、病気で一旦、退院して別の病院に入るべく、ベッド待ちで家に帰っていた夫は、私の誕生日に何をプレゼントしようかと言って、私の希望した万年筆を友人の車で買いに出かけ、プレゼントしてくれた。丁度、入院の連絡も入り、いよいよ明日から又、病院や・・と言っていたその夜、急に倒れてそのまま、帰らぬ人になってしまった。

しばらくは悪夢の中で過しているような気持ちで、ようやく1年たった頃から正気に戻ったような気がする。

ほんまに、人生って何が起こるかわからへんなあ・・・・とつくづく思う。春がそこまで来ているのに冬の雪やもんなあ…わからへんなあ・・・・・


友たちと美しいしらべ

2010-03-28 | 昔語り

友人がメールでスーザン・ボイルの曲を送ってきてくれた。その中に「翼をください」という、日本語でも良く知っている曲をうたっているのを聞いて、とても心が感じいってしまった。

ずーと前にも知人が私の好きなスメタナのモルダウをテープに入れてくださって、その曲を聴きながら感激して涙を流してしまった事があった。

何故だろうと考えてみると、そのとき私の周りの人達に本当に感謝する気持ちが自分の中で、うねりのように大きく現れてくることから、来ていたような気がした。

美しい曲を聴くと自分がなんて素晴らしい友人に恵まれているのだろう。有難いと素直に思ってしまう。しかし、その思いも時として、薄らぎ自己中心的な自分に日夜 振り回されて過してしまっている。

父のお葬式の時、遠くから駆けつけてくれた何人かの友人の顔を見たら、必死で堪えていた涙が一気に出た事や、旦那が亡くなってから手紙で励ましてくれた先輩、そして遠くから来てくれた何人かの友達。今 おもえば友のお陰で(勿論、私の周りのすべての人達からも)今の私が存在しているのだろう。そんな友たちのことを忘れない為にも出あった事をそして曲を大切にしていきたい。


動物の森

2010-03-27 | 日々の業

任天堂が出している「動物の森」というソフト。孫が2年ほど前に買ってもらったものだが、私も一時はだいぶはまってしまった。

この頃やってないのできっと私の家の中はゴキブリだらけだろう。それに髪の毛もくちゃくちゃになっているかも・・・・。

魚つりや宝さがし。釣った魚をデパートに持っていって売ったり、家具を買ったり。お金が溜まれば自分の家がどんどん大きくなっていく。勿論ローンを組んでだから、しっかりといろいろなものを採ってきて売ってローンの返済をしなければならない。現実のようで仮想の物語をゲームの中でやらせてもらう。「おばあちゃんみたいな人やはらへんの違う。ゲームばっかりして」と言われたこともあった。子供やゲーム好きの大人がはまるのがちょっとわかる気がした。

現実逃避や暇つぶし、?その他いろいろあるだろうけれど外で元気よく子供も大人も遊んだ頃が懐かしい。


5本指ソックス

2010-03-27 | 日々の業

昨年の秋頃から5本指ソックスをはくようになった。体によいと言うことは前から聞いて一度買って履いたことはあったが、普通のソックスにすっかり慣れてしまっている足は、どうも受けつけず、履くのも年のせいかモゾモゾとしてさっとはけないのが、わずらわしくやめてしまった。

しかし、今回 体にいいという記事を読むや 「やっぱり履こうかなあ・・と」思って又、あらたに買って履いてみた。ところが今回はいてみると足にびたあーたびー 違ったピターとそって地に足をつけてるなあって感じになり、どうしたことかもう履かずにおられなくなってしまった。寒い時は厚手の5本指ソックスをさがして、インターネットで注文したりして私の足を喜ばせていた。

この厚手の5本指も履きすぎて薄くなってきたので(値段が少し高かったので購入2足にした為)今は普通のソックスを上に履いている。ネットでみると何といろいろ種類があってびっくりした。あまり可愛いのでついでに2本指のも買ったがやはり、5本指の勝!

私の小さかった頃は赤いベッチンの足袋を履いていたのを思い出した。


京都に水族館はいりません!

2010-03-24 | 世の中のこと

今日、京都で義姉3人と大阪からの義妹とで久し振りにお昼を一緒にということで集まった。いづれも私の亡夫の姉さんと兄弟の嫁さんたち。お互いに、いいおばさんになって気心もわかり、ワイワイおしゃべりに花が咲いた。旦那の一番上の兄さんは昔京菓子を作っておられ、身内にお祝い事がある時は今でも素敵な、お饅頭を作って、皆を喜ばせてくださる。お正月には道明寺饅頭やリュウヒの梅饅頭・干支饅頭などの上生菓子をくださり、それが何よりの楽しみになっていた。今日も皆で集まるというのでわざわざ上等の小豆を買いに行ってお土産にと作ってくださった。

リュウヒの梅と道明寺饅頭

京都も今、梅小路公園に水族館を作る計画が進められ、新聞に「なんで京都にわざわざ水族館なんて?」と、作らなくてもとよいのではという意見の投稿が多く出ていた。中には賛成の人もいたが、殆どの人が反対ではないかと思う。私も京都を離れて随分たつが、京都に来るたび町並みがビル化して通りから大文字も見えたのにビルで見えなくなったりしている。賀茂川も私がいた頃は水もきれいに流れていたが、最近は中洲が多く、水の流れも見えないところが多いように感じる。

長い目でみて京都の景観をどうするのが良いのかを、もっともっと慎重に考えてもらえることを願っている。市電廃止、地下鉄運行、ビルの高さ制限の緩和などなど後でしまった!では済まないと思うが・・・

 

 


メディア地殻変動から

2010-03-22 | 昔語り

昨日、NHKで「メディア地殻変動 米国最前線ルポ」というのをやっていた。ネットの影響でテレビや新聞が危機に陥っているというニュースだった。

アメリカでローカルのテレビ局や新聞は視聴率が低かったり、スポンサーが以前ほど広告費を出さなかったりで、数局のテレビ局が一緒になって、一つのニュースをキャスターが一人で取材して分けていると言う場面が写っていた。又、地方紙の新聞記者が取り上げようとした記事がその新聞の広告主だった為、不利になるような記事はボツにされたと言う話。真実を読者に伝えたくてもこういう形で抑えられるのだということが伝えられていた。

そういえば私が以前パートで勤めていた頃、丁度、消費税がはじめて導入されようとした時だった。勤め先の会員さんや、その組織全体で全国から10万人?位・・・数は正確でないかもしれないが、ものすごい人数の人達が「この消費税導入を許したら必ず3%が5%へそして10%へと上がっていく。これを許してはいけない」と北からも南からバスを、し立てて、東京で消費税導入反対集会をもたれたのだが、なんと各新聞が殆どこの集会のことをとりあげていなかったのには本当に驚いた。テレビもこの時なにも伝えなかった。(たいしたニュースも他になかったのに)

体これはどうしたことなのだろうか?と不思議でならなかった。やはりこの時、消費税は絶対必要で此れを国会でどうしても通さなくてはと考えていた人達がメディアを抑えたのかと思われてならない。唯一 このことを取り上げたのは「赤旗新聞」だけだったのを覚えている。この時からメディアを信用できないなあと思った。

そういえば、先の戦争の時だって、外地で兵隊さんが飢え死にして負けているのに勝った勝ったと宣伝して、国民を騙していたんでしたっけ ね。なんか 本筋からそれてしまったみたい。


私の「チャングムの誓い」

2010-03-21 | 生き方を学ぶ

数年前から韓国ドラマに私もはまっています。

友人が宅急便で送ってきてくれた「朱蒙」などは、試験勉強でも、徹夜なんかしたことがないのに、やってしまいました。本当に良かった!!

「商道」・「ホジュン」「冬のソナタ」「砂時計」「チョギ」「ラストスキャンダル」「天国の階段」「ファン・ジニ」もっと観たけれど忘れてしまいました。

でも私の一番好きなドラマはやっぱり「チャングムの誓い」なんたってこれが一番!!

料理の心、医術の心を真に教えてくれ一般の生活にも大切なことをドラマから教えてもらった。それに人間の悲しさ、社会的な差別 組織の怖さ 諸々人間生活の中で出てくるあらゆる矛盾が盛り込まれ、主人公のチャングムがこれらに、ひたむきに立ち向かっていく姿にあるときは泣き、ほっとし、そして何より元気をもらえた。

美しい料理や衣装も素晴らしい上に特に音楽は「空八五」「悲」という曲が気に入りました。  拷問で体が衰弱した師匠が、チャングムの背中に背負われ息耐える時に奏でられる曲ですが此れを聴いただけで、もうウルウルきてしまいます。

もう一つはアレッサンドロ・サフィーナというイタリア人のテノール歌手が歌う  「Hamangyeon」という曲も心をうちます。

あまり私がチャングムのことをいうので何年か前の誕生日に孫がチャングムの誓いのCDをプレゼントしてくれました。そこで毎日「オナラ・オナラ アジュ オナ」と歌っていたものですから孫まで覚えてしまいました。

最後の場面でチャングムが「宮中は多くを与えてくれるけれど大切なものも奪うところ。すべてを思いどおりに出来そうで、実は何もできない。華やかにみえても実はすべてが悲しいところ」というのですが この言葉が妙に心に残っています。

 

 

 


懐かしいフォークダンス

2010-03-20 | 昔語り

近くのスーパーのチラシにフォークダンス無料体験というのがあったので、申し込んでおいたら、電話があり昨日行ってきた。

フォークダンス・・・高校の時よくやった。私が通っていた中学は通り一つで隣の高校のグラウンドが見えた。中学のプールスタンドから高校生がフォークダンスをしているのを見て 、何となく羨ましく思って眺めていた。

念願かなって私もその高校に入って、文化祭があるとフォークダンスをした。次々と人が替わって自分の前にやってくる。ちょっと心ときめく一瞬でもあった。

さて、昨日はなんと久しぶりにマイムマイムを踊ったら、息は切れるわ、足はがくがく寸前。先生が衣装をつけて「無理しないでね。」とやさしく指導してくださり、ルーマニアや中国のフォークダンスも少し国の話もしながら教えてくださりとても楽しいひと時だった。オクラホマミキサー・コロブチカ・・・懐かしい!!


鶯 山から里に来て

2010-03-20 | 写真

数日前から鶯がよく啼きだした。3月初めにも啼いていたが、ちょっと弱々しく遠くで聞こえている感じだった。やっと近くにきたのか美しい声で啼いている。でも、去年は3月の初めに家の裏の木立でケキョッキョキョキョ・・・っと生まれたての鶯に親鳥が啼き方を教えているのか何回もなれないなき方をして「おや!」と私も思わず聞き入ったのを思い出した。春が本当にやってきたのだなあ・・・。夏7月頃までその啼き声で心を和ませてくれる。

鶯の写真はなかなか撮れないので雀がえさ台にやってきたところを友人がガラス越しに撮ったもの。

沈丁花も満開  いい匂いが漂って春いよいよ


梅は咲いたか桜はまだかいな

2010-03-19 | 写真

家の梅はもう散ってしまいましたが、友人がメールで送ってきてくれた紅梅と白梅が一緒に咲いている素敵な写真。桜は3年ほど前、数十年ぶりに行った清水寺の桜 観光客は多いけれどもう一度行きたいです。

 梅は父が亡くなる日の朝 家で咲いた紅梅を一枝、手折って病院にもって行き、その匂いを届けた。なきがらの上にそっと置いたことを思い出す。 

桜は旦那が亡くなって1週間ほど経った時、道沿いに咲いていた桜の木の花びらがひらひらと散るのを幼い子供と見たことが、今も心の中に残っている。それと私が小さかった頃、父の職場の人たちと一緒に御室の花見に行った。花の下ですき焼きなどしたのを覚えている。又、母から「あんたの鼻は御室の花や」とよく言われた。なんでって?御室の桜はとても低いところに咲いているので私の鼻が低いのに架けていったのです。でも長い間 御室の桜も見てないのでひょっとしたら高くなってるかもね・・・温暖化の影響とかで

 

 


山鳥のほろほろと鳴く・・・

2010-03-17 | 昔語り

今日は月1回の新婦人の小組でやっているお習字の日。 筆で書くのが大の苦手の私ですが、この日のお習字は本当に楽しい。今まで学校で書いてきた習字とは違って伸び伸びと自分の感性で書く。先生がまたすごく素敵な方なので皆、和気藹々です。上の文字は私の好きな言葉を言ったら先生がお手本として書いてくださり練習したもの。でも月1回で常に何も書かないので一向に上達しないのですが、いつかは奉加帳に筆ですらすら書くのが夢です。

   山鳥のほろほろとなく 声きけば

       父かとぞ思う  母かとぞ思う   (行基)

父が生きていた頃、孫たちに「ちょっと背中掻いてくれ・・・」というと「いやや!おじいちゃんの背中 掻いたら手 臭くなるし」といわれ(確かにおじいちゃんの背中油がきついのか清潔なのに匂っていたが)「そんなこというたら死んだらカッコー・カッコーって化けて出るぞ・・・」と笑いながら言っていた。仕方なくそれでもなにやら話しながら楽しそうに背中を掻いていた子供たち。

裏の林から「クックー・クックー」と小鳥たちの鳴き声が聞こえてくると在りし日の父が傍に来ているようで、妙に懐かしく思われます。


おくれさきだつ一旦のかなしみ

2010-03-15 | 昔語り

長い年月を生きるということは、やっぱり楽しみより辛いことの方が多い気がします。若いときは山中鹿之助が言ったという「われに七難八苦を与えたまえ」という言葉が気にいって自分はどんな苦も受け入れようなどと思い上って考えたりした時もありましたが、さあ、その時の自分は本当の苦しみも解らず、真から辛い思いなど味わったことのない甘えた人間の考える事だったと思います。

でも 辛い別れは自分が長く生きれば生きる程、経験しなければなりません。夫や母、実母、実父、義母、義父、義兄、叔父 何人かの親しかった友人などなど  父の時は胃がんの手術のあと何年間かの療養、入院生活を経て、いよいよ主治医から後 余命3ヶ月と言われた時、父はそのことを知らずにいました。そんな父に私はある時それとなく《「おくれさきだつ一旦のかなしみ・・」って言う言葉があるんや  私の旦那もそしてお母ちゃんもあっちにやはるしな・・・私もいずれ行くことになるし  この順番はほんまにわからへんなあ》と話していました。今から思えば父には辛い言葉に聞こえたかもしれないし、私は自分自身に向かって父の死を受け入れようとする必死の言葉だったかもしれないと思ったりしました。

 真宗聖典・ 口伝鈔のなかに仏法を学び念仏している人が、父母や妻子の別離を悲しむとき何のために念仏したり、仏法を学んでいるのか恥ずかしく思わないのかと批判した人に対して親鸞聖人がたとえ未来はともにお浄土の再会をうたがいなしと言えども凡夫の情は深く嘆き悲しむのは当たり前のこと。「おくれさきだつ一旦のかなしみまどえる凡夫として、なんぞこれなからん。」 悲しみをかくして私は仏法を学んでいるからと・・・勇猛にふるまったりするのはみな虚仮 真実ではないと言われた一節から(私の解釈が間違っていたら許してくださいね)

 お浄土で再会できると思うと、悲しみが少し薄らぐような気がしました。


蜷川知事さんの思い出

2010-03-13 | 昔語り

家の中の整理をしていたら京都の蜷川知事さんが亡くなった時のニュースを報じた新聞が赤茶けて出てきた。「15の春を泣かせない」という言葉や歯切れの良い口調で京都の多くの庶民に愛されておられた。

知事さんのお葬式の日、遊びに来ていた友人と私の家からそう遠くなかった知事さんの家へお見送りにいこうということで出かけた。大勢の人達が詰め掛けておられ、私達も其処にいたら、皆、どんどん知事さんの借家に入っていかれる。[どうぞ]と言われびっくりしたが、庭からまわっておまいりさせてもらうことが出来た。こんな一般のものが知事さんのお葬式にでてお詣りさせてもらうことが出来るなどとは思いもよらなかった。やっぱり さすが蜷川知事さんや!と感動したのを覚えている。

京都もそういえば来月、知事選挙がある。蜷川知事さんのように弱い立場にあるものの心を考え、府政を行なってくれる人を皆が選んでほしいと思った。


あわてんぼ、ばあさんのパン焼き記

2010-03-13 | 日々の業

パンを焼いてみようと思って材料を出してきた。「あっ!強力粉が80グラムほど足りない。どーしょう・・ えい ! ホットケーキミックスの粉を足してしまおう。なんとかなるやろう」ということで横着にも一緒にいれ、そして塩小さじ1杯 さっと入れたらなんとグラニューム糖だった。「うーん。又や・・・ まあいいか あとは普通の砂糖を入れれば・・・塩・スキムミルク・バター20グラム そしてドライイーストこれでオーケー。

秤にかけたら何か多い なんで? 前回 の風袋の分のメモリを引いておいたのを忘れ、良く見ないで測っていたのだった。そうすると 粉が多いっていうわけ!! もう どうなってるの ホットケーキミックスなど入れる必要なかったのか・・ふーん  またまた粉を減らしてと  ちゃんと焼けるかな?? と思いつつパン焼き器にセットした。

4時間後 おそるおそる開けてみたら ヤッター!何とかちゃんと出来上がってパンの匂いと共にふわふわのパンがでてきた。やれやれ  あーしんど。あわてんぼばあさんのパンのできあがり できあがり


東映時代劇全盛の頃

2010-03-12 | 昔語り

           私が育った京都の西陣界隈には戦後 映画館が松竹、東映、大映、日活、東宝、洋画館、とあり、少し離れて1館 全部で7館も建っていた。

特に東映の時代劇は全盛で私も親に連れられてよく観にいった。中村錦之助・東 千代介・大川橋蔵・市川雷蔵・高千穂ひづる・千原しのぶ・・・それに美空ひばりのは殆どといって良いほど良く観た。プロマイドも集めたりした。テレビもなく皆 娯楽といえば映画だったのかもしれない。時に夜の9時から1本30円位?で上映される映画館には、結構沢山の人が並んで待ち、中に入ると超満員ということもあった。

テレビがぼちぼち出はじめると、私の家には勿論まだなかったので近所の中華料理店にラーメンを食べに、母と毎週その店で写される「紅孔雀だったか笛吹き童子だったか」のドラマをみに通ったのを覚えている。のんびりしていたのだなあと思う。