忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

標高値

2012-08-30 | 世の中のこと

数ケ月まえのことですが、友人のブログに自分の住んでいるところの標高や緯度・経度がわかる地図のことが載っていました。

災害用に試験的に作られたそうで一般にも開放されているということです。

私も試してみると標高値 118m 団地の下は94mでした。

娘の住んでいる所は通りより低く周りは田で先日の水害の時は心配しました。前の小さな川が溢れ、通りの上の方は少し崩れた所があったそうです。ちなみに96mでした。

 

http://saigai.gsi.go.jp/2012demwork/checkheight/index.html

 


「ヒトラー・ユーゲントの若者たち」の本

2012-08-26 | 日々の業

孫たちの長い夏休みもいよいよ残り少なくなってきた。お盆にはご近所のWさんの声かけでバーベーキューに誘ってもらい同級の仲良し3人と出かけた。そこで福島の子どもさんが来ておられ親しくなったらしい。

さて、本も読みましょうという宿題もあったはず。夏休み入ってすぐに図書館で数冊借りてきたものの殆んど読まずに返す期日が迫ってきた。仕方ないなあ・・・バアバアーが代わりに読んでおくか?と思って読み始めた本の一冊

これはなかなかすごいことが書いてあって勉強になった。ドイツ・ヒトラーと言えばユダヤ人狩りそしてアウシュッビッツ収容所のことくらいは知ってはいたが、ドイツの子どもたちの組織ユーゲントのことは殆んど知らなかった。

1931年から十数年の間に子供たちが洗脳され特権的な子どもとしてあこがれの的になり、ナチスへの忠誠を示しその組織に殆んどの子どもたちが入隊していく過程が描かれている。やがて親衛隊として大人をも支配する権力を持ち成長していく様はただただ驚くばかりだった。

時には親や教師、友人までも組織の為に密告し、ドイツへの愛国心から独裁者に忠誠心を誓い、従う集団となっていくが日本が先の大戦で多くの学童たちが軍需産業に駆り出された、それとは似ているものの、もっと積極的な戦争加担となっている。

最後の部分でユダヤ人を収容所へ送ったこの人達が、戦後自分たちがしてきたことに対して一顧だに反省の気持ちを持たなかったということにも驚かされた。

今、独裁者は権力を握ったら何を言っても、何をやってもよいのだというような大阪の市長の言動がヒトラーのそれと重なって見えた。


高野山へ

2012-08-20 | 写真

前夜に電話があり急遽 高野山へ行くことになった。前から高野山には行きたいと思っていたのだが知人が西国八十八ケ所巡りの最後の札所 奥の院へ行かれるのに便乗させてもらった。

昔だったら到底日帰りなど考えられないだろうが、高速道路を走り約3時間で着いた。そして金剛峯寺までも足の悪い私にはすぐそこまで車で行けるのが嬉しいことだ。

さすが世界遺産 真言密教の総本山だけあってスケールが大きい。

お遍路姿のツアーの方々も根本大塔の中へ

東塔

大会堂

金堂の前(手前左端)で

車で奥の院近くまで移動して

UCCコーヒー会社のお墓や日産自動車、ヤクルト他 沢山の企業のお墓が並んでいた。

昨年テレビドラマで有名になったお江のお墓 二十万基はあると言われるお墓の中で一番大きい。

6.6メートルの高さ

樹齢200年から600年の杉の木がずっと続く中を行くと開祖 弘法大師の御廟があるが写真撮影はできない。

もみじがもう色づいていた。

 


「67年目の八月に」新聞記事

2012-08-15 | 世の中のこと

今日の新聞には1945年2月に元首相の近衛文麿が昭和天皇に「遺憾ながら敗戦は最早必死なりと存候」と言って一日も早く戦争の終結をと上奏したが「もう一度戦果を挙げてからでないと難しいと言われたそうだ。アメリカの天皇制の廃止に不安をもたれたということが載っていた。

天皇制国家を残す保証がないといって和平交渉を拒否した指導者が終戦を引き延ばしたことであの原爆投下や沖縄戦 本土大空襲が引き起こされ多くの命が失われたことを忘れてはならないと思う。

戦地でも以下のような本当に信じられないような事が起こっていたのですね。

残留命令で残った方が旧日本軍と政府に置き去りにされたという記事です。

しんぶん「赤旗」8月15日付けより掲載

 


園城寺金堂軒先原寸模型(国宝)

2012-08-14 | 写真

三井寺へ行ったときに金堂の屋根のふき替え時の詳しい状況を展示されていました。

このようにして桧皮葺きがされている事を初めて知りました。

なかなか見ることのないこのような原寸模型を見ることができまたいろいろ感じました。

三井寺さんは清水さんとは全く違った感じでとても落ち着ける私のお気に入りの2つめの場所になりました。

大変な作業なのですね。原皮師(もとかわし)っていう言葉も初めて聞きました。


「平和を願う子供たちの作品展」三井寺金堂にて

2012-08-08 | 写真

「平和を願う子供たちの作品展」が三井寺の金堂に展示されていてそこの受付を依頼されて地域の九条の会から行ってきた。

金堂は桃山時代に建てられ、後に豊臣秀吉の正室北政所によって再建されたもので国宝になっておりその中での展示で今年は第7回目であった。

木々に囲まれた広い敷地の中に建つ金堂は静まり返り威容さを漂わせ、別世界のように感じた。

子供たちの絵も2百点以上展示されていてどれも感心するほどの力作のように思えた。インドの子どもたちの絵も素晴らしかった。

金堂のそばにある三井の晩鐘

 

参拝に来られた方々は仏像を主に拝観されていたが同じ会場に展示されている作品も観てくださっていた。

金堂内陣には弥勒菩薩が奉られ、後陣、脇陣に桃山、鎌倉、平安時代の仏像が沢山安置されそのなかでの受付の手伝いは何とも有り難い空間で、時折ふきぬけるさわやかな風に清められたような気持ちになった。