NHKスペシャル「沖縄返還密使・若泉 敬 日米外交戦の舞台裏。国家機密公表後の壮絶な死」のDVDをみてこんな事実があったのかと驚いた。
「有事の核持ち込み」を認める「密約」が1972年の「核抜き・本土並み」をうたった沖縄返還の裏で約束されていたこと。
「密約は返還のための代償」として当時の佐藤首相に進言した若泉さんがなぜ1994年に国家機密を暴露するにいたったか。
この密約が結果として基地の固定化に繋がったことに苦悩し沖縄県民に対して自責の念に苦悩する若泉さんの姿が写しだされていた。
それにしてもひどいです。アメリカは! 沖縄を返してやるといってその裏では沖縄を永遠に使えるようにして騙したのですね。そして日本を守ってやっていると言っているんです。
そして政府や官僚も若泉さんの、この必死の暴露に対して無視し、なっかったと言い続けたのですから
「小指の痛みを全身の痛みとして感じて欲しい」という沖縄の人たちの声はどこへいったのでしょう。
どこからでも核の発射はできた、ここが戦略で
密約で返還を決め、返還調印時に核を持ち込まない代わりに沖縄を無期限で使用する調印をさせた。国民は非核3原則を喜んだ。反対デモで大騒ぎさせたのも戦略だったのではと考えさせられる。日本の各政党、有識者、国民は沖縄の無期限基地使用に痛みを感じてこなかった。ーー現時点で国民は「日米同盟」について考えることが必要でアメリカも日本から言い出せばテーブルに着くと思われる。ーー(立命館土曜講座で講師の考え)
すべての政党や国民がそうであったというのは、認識違いではないですか。
少なくとも、共産党については、一貫してその問題を取り上げてきたし、私なども高校生ぐらいから問題意識を持って、できる行動はしてきましたよ。
残念ながら、そうした動きが国民の多数派になっていないということは、事実として言えるとは思いますけどね。