忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

村田光平氏(元駐スイス大使)が語る「4号機の核燃料問題を考える議員と市民の院内集会」

2012-09-24 | 世の中のこと

知人からのメールの再送信で今、日本が大変な状況になっている事を再確認し、驚いています。

私たちに知らされていないことがあまりにも多すぎ、国民の多くは私も含め、日々の暮らしに時をやり過ごしているのですね

先にブログでアップしましたが著作権の問題が心配なのでURLに替えました。長い文章ですが是非お読みください。

 

 脱原発を訴える「反骨の外交官」が緊急寄稿!
 村田光平「新たな一大汚染の危機と国・東電の無策ぶり」(現代ビジネス14日)

   http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33518

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山本周五郎の作品で

2012-09-19 | 日々の業

先日のテレビで高倉 健さんが山本周五郎の本を読んでおられることを知り、触発されたか久しぶりに山本周五郎の作品を読みたくなり、アマゾンで1円になっていた中古本を注文した。

20数年前 近所の方が勧めてくださり読んだのが初めてだった。「花筵」という作品で読み進むうちに泣けて仕方がなかったのを覚えている。唯 泣くと言っても周五郎の作品は感動の涙で泣くのであって、読んだ後のさわやかさは心の奥深く残り、人生の生き方を考えさせてくれる。

どうしてこんな短編の中で人を感動させる物語が描けるのかと不思議に感じ、その人となりを書いた本を図書館で探したが殆んど見当たらず、一冊 みつけた中に 周五郎さんは「人を感動させることはやさしいが・・・」というようなことが書かれていて驚いた。あとのことは覚えていない。

届いた本を読んで(「城中の霜」「水戸梅譜」いずれも40頁余の短編)やっぱり感動でウルウルしてしまった。久方ぶりに流す涙もなかなかいいものですね~  

    

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テレビ「高倉 健・仕事の流儀」をみて

2012-09-12 | 生き方を学ぶ

テレビの「プロフェッショナル 仕事の流儀 高倉 健」を見た。

何を隠そう 私はずーと昔から高倉 健のファンなのだ。小学6年頃だったか近所の映画館で「森と湖の祭り」という映画を見て以来だから長い年月になる。内容はすっかり忘れているが馬にのっている健さんがとても頼もしく思えた。

     

といっても健さんがやくざ映画に出ていたころは1回も見に行かなかった。

そして「駅」とか「幸せの黄色いハンカチ」「ほたる」[鉄道員」等はみた。

81歳になられて健さんはテレビの中でいろいろ話しておられた。

[任侠ものの映画に出ていて映画館に見に行った時満員の観客が自分の映画を食い入るようにみて興奮していた。」「映画館から出てきた人達の顔が変わっていた」

「その時大きなメディアの怖さを感じた」

こうした中でいろいろの挫折などを体験し自分が納得した映画に出るようになったということだ。

その中で震災後二つの詩と山本周五郎の本をいつも持っておられると聞いて驚いた。

私も山本周五郎の作品は大好きで何冊かを読んだことがあり、その都度作品のもつ人間に対する優しさに触れ涙し感動したことがある。

又 「身を捨てても悔いがないという人との出会いが大切だ」というようなことを話されていた。

この言葉から「たとえ法然上人にだまされて念仏し、地獄に落ちたとしても後悔しない」と話された親鸞聖人の言葉の部分が何故か浮かんできた。

人との出会いが人生において本当に大事なことだと あらためて感じたことでした。

 

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わが国大手メディアの「生態」 新聞記事より

2012-09-09 | 世の中のこと

3日ほど前に掲載されていた赤旗新聞の潮流の記事が心に残っている。

新聞記者も、権力者の側についてしまえば自分も偉くなったように感じるのでしょうか?

新聞にしろテレビにしろ見る側も真実を語っているのか、しっかりと見極める目をもちたいものだ。

考えれば先の戦争の時も戦意高揚のための記事ばかりで国民には真実は知らされなかった。

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浜大津歩道橋からびわ湖

2012-09-04 | 写真

浜大津京阪電車の歩道橋からびわ湖のミシガン船と噴水が見えとてもきれいでしたがうまく撮れていません。

びわ湖の船を見て思い出したことがある。

60年ほど前のこと小学生だった私が一番仲良しだった同級生のお父さんから手紙をもらった。

それまでの私は手紙など全く縁がなかったので手紙をもらってびっくりした。それも友達ではなく大人の人からなのだ。

その手紙に何が書いてあったのか詳しいことはすっかり忘れてしまったが、唯ひとつ「びわ湖のはり丸に皆で一緒に乗りにいこうね」と書かれていた部分が妙に記憶に残っている。

そういえば昔 びわ湖に浮かぶ船ははり丸と言っていた。

そのおじさんはずっと前に亡くなったが、おばさんは私の父とは幼馴染で今101歳?になられたと友人からの年賀状で知らせてきた。

 

 

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