ありゃりゃサンポ

近現代の建築と一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域を徒歩で塗り潰す計画進行中。

成蹊大学

2021年12月29日 | キャンパス建築巡り

五日市街道を散歩中、吉祥寺を過ぎてしばらく進んだところにこんなにきれいなケヤキの並木がありました。そこにあったバス停を見て成蹊大学と知りました。

正確には成蹊学園という学校法人が運営している小中高等学校と大学がこの地にあって、大学の名前が成蹊大学です。

日本における貧富や身分の格差のない自由な教育の場を求めた中村春二によって明治後期に開かれた私塾「成蹊園」が後の成蹊学園の基礎となっています。
東京高等師範学校附属中学の同級生だった岩崎小弥太(三菱財閥総帥)と今村繁三(銀行家)が中村の理想に共感し、経済・運営の両面で支援します。
大正3年より中学校、小学校、女学校が開校、大正13年に中村が逝去した後も岩崎、中村が遺志を引き継ぎ、昭和24年に成蹊大学が開学しました。

現在成蹊大学本館となっているこの建物は大正13年に竣工した旧制成蹊高等学校の校舎です。設計は日本人初の英国の王立建築家協会建築士となった桜井小太郎。
微妙に見覚えがあると思ったら呉鎮守府司令長官官舎を設計した人でした。とりあえず名前を書いておくと後で繋がります。
明治3年生まれの海軍技師でしたが、この成蹊高等学校を設計した頃には三菱合資会社地所部(現在の三菱地所)の社員として丸の内ビジネス街建設に携わっていました。

まもなく100年を迎えようという建物にしては外装の状態がとても良好。最近に、大正風のレンガ建築を模して作ったと言われても信じてしまいそうです。
もちろん重ねての補修はしているんでしょうが、壁面のどの部分を見てもレンガタイルに傷がほとんど見当たりません。

本館の右手に建つトラスコンガーデン。室内運動場。本館と同じく大正13年の竣工。アメリカのトラスコン・スティール社の鋼材を輸入して建てられたことによる命名。
第二次世界大戦の頃には三菱電機の成蹊工場として学徒動員に拠るレシーバーの組み立てに使われました。

平成になってすぐに体育館としての使用は終了し、内装を一新して学生たちの憩いの場になりました。繊細な骨組みや窓枠が本当に素敵な場所です。
ここを見た一週間後に有村架純と菅田将暉の「花束みたいな恋をした」という映画を見たのですが、早い段階でここがロケ地に使われていてびっくりしました。

同一敷地内に小学校から大学まで全てがあります。正門から見て右側が小学エリア。ずっと奥左側に中学高校エリアがあります。

大学14号館。大正13年の本館を除けば他に近代の建築は見当たりません。2012年に創立百周年記念事業としてキャンパスの再整備が行われ大半の建物が建て直されました。
全てを調べた訳ではありませんが、校舎の設計は三菱地所設計が請け負っています。創立時に岩崎小弥太が援助して以来、三菱との強いつながりは変わりません。

12号館と13号館の間の通路。コンクリート打ち放し。実利的な設計が主体の中で珍しくデザイン性を求めた部分でした。

百周年事業で生まれたアトリオ(中庭)ごしに8号館(右)と3号館(左)。ほぼ同じ設計の2棟が渡り廊下を挟んで線対称に建てられています。
先ほどの14号館と同じくフロント部分が弓型に張り出しています。これが三菱地所設計がここに定めたテイストなんでしょうか。
この創立百周年のキャンパス整備では土木・環境整備・地域開発・都市デザインの分野で評価され、2011年のグッドデザイン賞を受賞しています。

3号館のさらに左に繋がる6号館。キャンパス内で唯一のガラスウォールモダン。2014年。もちろん三菱地所設計。ちょっと中に入って見ます。

1階の「ふらっとコモンズ」と名付けられたオープンスペース。ステンレスパイプをSの字型に曲げた大型のベンチが目を引きます。

吹き抜けの階段スペース。

6号館から見る本館。正面からでは分かりませんが建物自体は中庭を二つ持つ「日」の字の形をしています。
これ確か5階から見ていたんだと思いますが、吉祥寺くらいだと5階からでもずいぶん遠くまで見渡せるものです。

情報図書館。2006年。小学校から高校まで成蹊学園に通った坂茂と、三菱地所設計の共同設計。
2014年のプリツカー賞受賞者でありながらほとんど作品を見たことがない坂茂さん。このブログでは秋田の田沢湖駅に次いで2度目の登場です。
本来であれば成蹊学園内で最も見るべき建物なのがこの情報図書館なのですが、この写真で見ても何が面白いのか全く伝わらないと思います。

ガラスの内側に白いスクリーンが下りていなければ、情報図書館はこのような姿で見られます。5層の吹き抜けアトリウム内に林立するガラスのキノコ。すごいでしょ。
現在は諸般の事情で一般人は見学ができませんが、いつかこの中を見学したい。小さな夢の一つです。

学園の門を出て五日市街道に戻る並木道。この日は中でTOEICの試験が行われていてちょうど終わった所。皆さんお疲れさまでした。
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