ラクーアの遊園地と東京ドームの間にある道の途中に一対の石碑が立っています。
戦争で徴兵され戦死された多くの野球選手を悼み、その功績を讃えるために1981年に建立されたものとのこと。
左側の1枚には、徴兵された野球選手の中でただ一人だけ特攻隊員として出撃された石丸進一さんを偲ぶ文が残されています。
追悼(ついとう)
弟進一は名古屋軍の投手。昭和十八年20勝し、東西対抗にも選ばれた。 召集(しょうしゅう)は十二月一日佐世保海兵団。
十九年航空少尉。神風特別攻撃隊、鹿屋神雷隊に配属された。二十年五月十一日正午出撃命令を受けた進一は、白球とグラブ
を手に戦友と投球。「よし、ストライク10本」そこで、ボールとグラブと”敢闘”(かんとう)と書いた鉢巻(はちまき)
を友の手に託して機上の人となった。愛機はそのまま、南に敵艦を求めて飛び去った。「野球がやれたことは幸福であった。
忠と孝を貫いた一生であった。二十四歳で死んでも悔いはない。」ボールと共に届けられた遺書にはそうあった。真っ白い
ボールでキャッチボールをしている時、進一の胸の中には、生もなく死もなかった。
遺族代表 石丸藤吉
石丸進一選手。wikipediaでは召集の前年(1943年)に戦前では最後となるノーヒットノーランを達成されています。
その年の成績は20勝12敗・防御率1.15。大変な名選手でした。翌年1944年に学徒出陣で召集され1945年に沖縄で出陣し還らぬ人となりました。
石碑を後ろから見たところ。(写真左下の黒い影二つ)
ジェットコースターや観覧車のほぼ真下に位置していることが分かります。
この時もジェットコースターがレールの轟音と嬌声を残して空に駆け上がって行きました。
日本中の多くの有能な若者たちがこの世を去ったのでしょう。
戦争は失うことはあっても得るものは何一つ無い。
そして私が生まれてから今日に至るまで平和な毎日を過ごすことができました。
感謝したいと思います。