goo blog サービス終了のお知らせ 

ありゃりゃサンポ

近現代の建築、町並みと橋が好き。
一日八千歩の散歩の忘備録。美味しいご飯と音楽と。
東京都全域をGPSで塗り潰し中。

北沢川を往く

2022年03月02日 | TOKIOの道と川
東京都を流れる川のほとんどは最終的に荒川水系か多摩川水系のどちらかに分類されます。
比較的東京湾寄りに水源があるいくつかの川は、その大手2つののどちらにも属さないいわばインディペンデンス系の河川です。目黒川水系もその一つ。
今日は246の大橋からスタートして目黒川の三つの支流の一つ、北沢川を遡上します。

新玉川線田園都市線の池尻大橋駅から少し渋谷方向に行ったところ。ここから目黒川緑道。見えている水の流れは飾り物で実際の目黒川はこの地下にあります。
背後を振り返ると246の向こうが開渠のままの目黒川本流。桜並木で全国的に知られる有名河川です。

東邦大学医療センター脇。右側に暗渠の上に作られた清流、その横に遊歩道、その横にフェンスで仕切られて自転車道という構成。

この程度の流れでも驚いたことにカルガモがいました。ちゃんと水中に餌となる生物がいるという事です。

合流地点。左に行くと北烏山、高源院の弁天池に端を発する烏山川。右が北沢川です。
かつて烏山川暗渠の探索を試みて、途中から玉川上水に迷い込んだという出来事をきっかけにその後の私の生活が現在のスタイルになりました。

川沿いの家に木製の小さな橋が架けられています。
世田谷デジタルミュージアムに残されている昭和20年代のこの辺りの写真を見ると植えられて間もないような小さな桜の木が写っています。その70年後の姿かも知れません。

このブログで環状6.5号線として何度か紹介している鮫洲大山線の工事現場がありました。あちこちで着実に工事が進んでいますが私が生きている間に完成することはありません。

たくさんの橋が残っています。けっこう大正時代の香りがするようなコンクリートも見受けられるんですが詳しいことは分かりません。

茶沢通りを越えて。

途中まで一緒に歩いていた地元住民のガイドによるとこちらが1975年にアザミ嬢のララバイでデビューしたあの日本一有名な中島さんのお宅だそうです。遥拝して通ります。

川筋なので左右にいろいろな傾斜が展開して面白い。この斜めの橋もなかなか味わいがあります。

環七を越えて。

環七より上流は先ほどまであった疑似清流がありません。流れていた水は実は高田馬場の落合水再生センターで高度ろ過処理された下水だったのでした。
以前外苑西通り散歩の時に渋谷川の清流復活事業のことを書きましたが、目黒川もその事業の一環で落合の水が大橋あたりへ回されています。
北沢川の清流は目黒川に流す処理水の一部を世田谷区がもらいうけています。目黒川に返すときには水質を劣化させないという厳しい条件の下で運用しているそうです。

豪徳寺付近で小田急の下を潜ります。

久しぶりの梅ヶ丘。せっかくなので美登利寿司の行列に並んでテイクアウトの寿司をゲットして梅が七分咲きの羽根木公園で食べました。

豪徳寺から先も緑道は続きます。世田谷線を越えて。

世田谷線山下駅から先はユリの木通り、ユリの木公園として高級住宅地らしく整備されていました。

赤堤の団地と小学校の隙間。暗渠になる前はかなり暗く汚い場所だったような気がします。

赤堤通り江下山橋から先で暗渠はURの団地敷地内に取り込まれて地図上からは遊歩道がなくなります。が暗渠が続いているのは分かります。

URの敷地の果て、桜上水三丁目広場で完全に途絶えたように見えますが。

少し離れた場所でその先が見つかります。

世田谷区立緑丘中学校、日大文理学部グラウンドの脇を抜けて。最後は桜上水駅に戻って北沢川の遡上は終わりました。

本日のルート。北沢川の水源は桜上水の隣、上北沢駅南に広がる松沢病院の敷地内の湧水ということになっています。
実際は下流を潤すだけの湧水量はなく、江戸時代の初期に玉川上水が完成した4年後から玉川上水の水を分水して北沢用水として流路が作られました。
このあたり深追いしている人も多いのですが、私自身はこの程度分かっていれば充分です。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 明治神宮第一鳥居 なくなっ... | トップ | 東京ジャーミイ »

コメントを投稿