
小田急線で狛江駅へ。駅で言うと成城学園==喜多見==狛江==和泉多摩川=登戸という並びで、喜多見までが世田谷区で和泉多摩川までが東京都。
成城学園散歩や、多摩川の散歩で喜多見、和泉多摩川はここ数年で複数回利用していますがその中間の狛江駅はおそらく人生初の下車でした。
最初に駅の北側に出たら駅の真横に竹林とこんもりした木々が見えて驚きました。

森は泉龍寺という立派なお寺の境内でした。開山は765年。良弁僧正がこの地で雨乞いをしたのが起源ということになっています。
山門、本堂ともに江戸時代のもの。昭和20年5月に狛江市も空襲を受け焼夷弾が落とされましたがなんとか火災は防いだと市のサイトに記録がありました。

山門下側の谷底にある弁財天池。古より清水の湧く泉で泉龍寺や和泉という地名の元となった池です。周辺の開発により昭和47年で水は枯れ、現在は人工の泉となっています。
ここから狛江駅までの間が弁財天池特別緑地保存地区で最初に見た森や竹林です。柵で囲われていた中に入ることはできません。
23区内の鉄道沿線でこれだけ駅と緑地が隣接しているのは珍しい風景です。

今日は狛江駅の南からスタートの予定だったのにうっかり北側に降りたおかげで初っ端に時間がかかってしまいました。本当に行けば何かある。
こちらが狛江駅南側。飲食系のチェーン店は一通りありますが、発達した商店街などはなくすぐに落ち着いた住宅地が広がります。

駅から3分で世田谷通り。世田谷通りを都心方向に3分で本日のお目当ての狛江通り。狛江通りは東京都の通称道路名。本日の起点標識。
道路法では都道11号大田調布線で大半が多摩堤通りとなる都道の一部ですが実際には多摩堤通りと狛江通りは一切繋がっていません。
全面ゆとりのある2車線で、甲州街道までカーブのほとんどない一直線。近年作られた都市計画道路のようにも見えますが江戸時代からの農道が整備された道です。

小田急線の高架をくぐってすぐに狛江市役所。同じ敷地内に市民センターと中央図書館もある複合施設ですが、現在市役所以外の施設を移転する計画が進行中です。
2施設の移転後に市役所新庁舎という目論見ではないかと想像しています。

区役所の斜め向かいにあるかちての郷農か地主の邸宅。

昭和30年代以降、農地だった場所がマンションや建売住宅に変わって行きました。

松原通りと交差。今まで狛江市内に来たのは、世田谷通り、荒玉水道道路、松原通りの3回だけ。松原通りの時もここで写真を撮っていました。

小田急バス狛江営業所車庫通過。狛江通りが狛江市民の大動脈であることがわかります。

慈恵医大第三病院前。この辺りだけ道路幅が少し狭くなっています。

病院を過ぎると調布市国領町。すぐにイトーヨーカドー国領店。手前の駐車場の柵がどう見ても神社の石柵。ストリートビューで遡って見たらやはり神社がありました。
重機神社。すごい名前ですがこの場所は2009年までミシンで知られるJUKI株式会社の本社があった場所でした。ジューキミシンって元は「重機」でした。
会社が縁起を担いで敷地内に神社を作ることはままありますが重機神社もそのひとつ。現在は本社、神社ともに多摩市鶴牧に移転していました。

品川通りと交差。古代から品川湊と武蔵国府の府中とを結ぶ品川街道(品川みち)の名残です。品川道もいつか歩きに行くでしょう。

古道の証の庚申塔。

国領駅。これまでこの場所にあった踏切が狛江通りのボトルネックでしたが2012年に地下化が完成し現在の姿となりました。

踏切が残っていた頃の風景。後ろのタワーマンション(グランタワー調布国領)は2004年の完成です。

通称道路名としての狛江通りは駅の先の旧甲州街道との交差点で終り。道路自体はまっすぐ甲州街道まで続いているんですが。
旧甲州街道を右に曲がって甲州街道との分岐まで行きました。

京王線の線路に沿って国領駅に戻ります。奥に見えるのがさっき見たグランタワー調布国領。
この辺り線路が地下化されていると思っていましたがまだ地上にあります。地下に潜るのは意外と国領駅の直前でした。

国領駅の地下ホームの端から仙川方向を見ると地下駅と言っても非常に浅い場所にあることが分かりました。これなら開削でできたんでしょう。
わずか3kmの短い道路ですが、周辺なかなか面白いです。
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