34年間の社会人生活で私の職場があった場所は3か所。板橋区の志村坂上。神保町。それから小石川(住所だと水道ですが)
それぞれどの場所に何年ごろ勤めていたのかは例によって記憶があいまいです。今と違って人はそれほど細かくは自らの記録を残しません。
それでもこんな感じだったかなーと言う程度で書き出すと。
1984年~1986年 志村坂上
1987年~1993年 神保町
1994年~1998年 志村坂上
1998年~2008年 小石川
ということで、合っているかどうか怪しいですが、私は1987年から6年ほど神保町で勤めていました。という書き出しにさせて下さい。
その頃、私は本と音楽が大好きな若手サラリーマンだったので神保町という勤務地は「天国」と表現する他ないような場所でした。

職場は神保町交差点の角、岩波神保町ビルの上の方(矢印のあたり)。写真にも写っていますが集英社まで徒歩1分、小学館まで徒歩1分10秒という場所。
至近距離に東京堂やグランデ、三省堂と言った巨大書店がごろごろ、靖国通りを専大方向に行けばかの有名な神田古書店街。
三省堂から駿河台に登れば今度はお茶の水の楽器店街です。
この頃は決して仕事が楽でなく、私が一番いやいやですが真面目に働いていた頃なのでそうそう好きな場所に入り浸れる訳ではありませんが。
それでも得意先への行き帰りの途中やちょっとした仕事の隙間にこの街の楽しさはそれなりに味わせていただきました。

この日は餃子を食べに神保町まで来たのですが、食べたい餃子は17時以降でないと出してくれない店だったので挫折。しばらくうろうろしていました。
1987年頃とは相当様変わりしていましたが、変わってないところもいろいろあってスマホですが記録用に少し写真を撮りました。
上の行列は天婦羅いもや。神保町のいもやは去年すべて閉店したと聞いていたのですが、閉店した本店と白山通り挟んで反対側で普通に営業していました。

そのいもやの少し駅よりの「こんごう庵」という蕎麦屋で天丼とへぎそばのセットを食べました。落ち着いたいいお店です。天丼にヒレカツが乗っている!

神保町交差点の四つ角は基本的には変わっていません。岩波ビル、キムラヤ、タバコ屋、そしてこちら廣文館書店。
書店が壊滅に近いこのご時世、この小さな書店がまったく変わらずに生き残っているのはやはりこの立地のおかげなのか。建物もそろそろ文化財レベルに。

さぼうるは1も2も本当によく行きました。狭い穴倉みたいな席でハンバーグを食べていました。この行列は何を目当ての行列なんでしょ。

すずらん通りもかつては古本と中古楽器の並ぶ商店街でしたが今は飲食店中心。キッチン南海にも行列が。昔は神保町に行列なんてなかったですよ。
キッチン南海は当時この界隈に3店舗ありましたから、席がなければ他に行けばよかったのです。

スヰートポーヅ現役でした。となりのろしあ亭も当時からあります。でも神保町でロシア料理と言えばバラライカ。さすがにもうないらしいですが。

専大方向の交差点。うなぎの今荘現役!

その向かい側の成光も現役!さっきの廣文館もそうですが、街の顔となるような交差点角の古い店って、角でない店より存続する根性が強いのかも知れません。

ボンディ入り口。ここは今年一度行きました。すっかり行列で有名な店になりました。

中古CDのササキレコード。神保町ビルの真裏で変わらずに営業中。調べたら創業80年だそうです。ぱねえ。
私が神保町にいた頃にCDがレコードの発売枚数を超えました。私もCDデッキを手に入れてせっせとCDを買っていた時期。
今でも我が家にあるCDの3割くらいはこのササキレコードで買ったものではないかと。
左隣は今は中華料理屋さんですが、あの頃はマンダラというインド料理屋がオープンしたところでした。インド風のカレーとナンはここで覚えました。
マンダラは今は新しい集英社の地下で営業しているらしいです。そういえば真向かいはメナムのほとりはタイ料理。学生時代の友達と集まった覚えがあります。
社会人になって、多少は自由に使えるお金も増えて、世界各国の料理を味わい始めたのは間違いなく神保町暮らしのおかげだったなとしみじみ思います。
すっかり変わってしまった一帯も多い中で昔のまま変わらない店もたくさん見て懐かしい気持ち。
またあと5年くらいしたら再び定点観測してみましょう。
それぞれどの場所に何年ごろ勤めていたのかは例によって記憶があいまいです。今と違って人はそれほど細かくは自らの記録を残しません。
それでもこんな感じだったかなーと言う程度で書き出すと。
1984年~1986年 志村坂上
1987年~1993年 神保町
1994年~1998年 志村坂上
1998年~2008年 小石川
ということで、合っているかどうか怪しいですが、私は1987年から6年ほど神保町で勤めていました。という書き出しにさせて下さい。
その頃、私は本と音楽が大好きな若手サラリーマンだったので神保町という勤務地は「天国」と表現する他ないような場所でした。

職場は神保町交差点の角、岩波神保町ビルの上の方(矢印のあたり)。写真にも写っていますが集英社まで徒歩1分、小学館まで徒歩1分10秒という場所。
至近距離に東京堂やグランデ、三省堂と言った巨大書店がごろごろ、靖国通りを専大方向に行けばかの有名な神田古書店街。
三省堂から駿河台に登れば今度はお茶の水の楽器店街です。
この頃は決して仕事が楽でなく、私が一番いやいやですが真面目に働いていた頃なのでそうそう好きな場所に入り浸れる訳ではありませんが。
それでも得意先への行き帰りの途中やちょっとした仕事の隙間にこの街の楽しさはそれなりに味わせていただきました。

この日は餃子を食べに神保町まで来たのですが、食べたい餃子は17時以降でないと出してくれない店だったので挫折。しばらくうろうろしていました。
1987年頃とは相当様変わりしていましたが、変わってないところもいろいろあってスマホですが記録用に少し写真を撮りました。
上の行列は天婦羅いもや。神保町のいもやは去年すべて閉店したと聞いていたのですが、閉店した本店と白山通り挟んで反対側で普通に営業していました。

そのいもやの少し駅よりの「こんごう庵」という蕎麦屋で天丼とへぎそばのセットを食べました。落ち着いたいいお店です。天丼にヒレカツが乗っている!

神保町交差点の四つ角は基本的には変わっていません。岩波ビル、キムラヤ、タバコ屋、そしてこちら廣文館書店。
書店が壊滅に近いこのご時世、この小さな書店がまったく変わらずに生き残っているのはやはりこの立地のおかげなのか。建物もそろそろ文化財レベルに。

さぼうるは1も2も本当によく行きました。狭い穴倉みたいな席でハンバーグを食べていました。この行列は何を目当ての行列なんでしょ。

すずらん通りもかつては古本と中古楽器の並ぶ商店街でしたが今は飲食店中心。キッチン南海にも行列が。昔は神保町に行列なんてなかったですよ。
キッチン南海は当時この界隈に3店舗ありましたから、席がなければ他に行けばよかったのです。

スヰートポーヅ現役でした。となりのろしあ亭も当時からあります。でも神保町でロシア料理と言えばバラライカ。さすがにもうないらしいですが。

専大方向の交差点。うなぎの今荘現役!

その向かい側の成光も現役!さっきの廣文館もそうですが、街の顔となるような交差点角の古い店って、角でない店より存続する根性が強いのかも知れません。

ボンディ入り口。ここは今年一度行きました。すっかり行列で有名な店になりました。

中古CDのササキレコード。神保町ビルの真裏で変わらずに営業中。調べたら創業80年だそうです。ぱねえ。
私が神保町にいた頃にCDがレコードの発売枚数を超えました。私もCDデッキを手に入れてせっせとCDを買っていた時期。
今でも我が家にあるCDの3割くらいはこのササキレコードで買ったものではないかと。
左隣は今は中華料理屋さんですが、あの頃はマンダラというインド料理屋がオープンしたところでした。インド風のカレーとナンはここで覚えました。
マンダラは今は新しい集英社の地下で営業しているらしいです。そういえば真向かいはメナムのほとりはタイ料理。学生時代の友達と集まった覚えがあります。
社会人になって、多少は自由に使えるお金も増えて、世界各国の料理を味わい始めたのは間違いなく神保町暮らしのおかげだったなとしみじみ思います。
すっかり変わってしまった一帯も多い中で昔のまま変わらない店もたくさん見て懐かしい気持ち。
またあと5年くらいしたら再び定点観測してみましょう。
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