
中原街道は中世以前から存在し、東海道整備以前には箱根方面から江戸に入るメインルートでした。徳川家康の江戸入りの際にも利用されたと伝わっています。
連休中に、洗足池から多摩川までは歩いたので、その手前の五反田のまでの部分を塗りつぶします。長原をスタートして大井町線のガードをくぐる。

暗渠の公園は立会川の跡でした。品川を歩くとこの川にぶつかることが多い。子供の頃よく遊んだ碑文谷公園が源泉の一つです。

これまた連休中に歩いた鮫洲大山線と中原街道の交差点にある複合文化施設「スクエア荏原」。その筋の人には明和電機のイベントが開催されることで知られています。
私たちも2018年の25周年コンサートはここで見ました。ということは来年、2023年が結成30年か。またライブがあると思うので要チェックです。

都内屈指のアーケード、武蔵小山商店街パルムの末端も同じ交差点のあたりです。

その交差点から100mも行かない所で左に二股に分かれる道があります。左側の細い方の道が旧道と呼ばれる中原街道の元の道筋です。
学生時代の部活動の友人の家がこの少し先に合って、一時期は家から自転車でけっこう頻繁に通っていた懐かしい道です。

40年ぶりに入って見ると道路予定地だらけ。都市計画道路事業の一つでこの旧道からやや西側に山手通りに通じる放射2号線というバイパスを作ろうとしているようでした。
帰ってから、かつて通った友人宅の住所と道路計画を見比べてみたところ、友人宅は完全に道路予定地のど真ん中になっていました。

旧道の入り口にあった戸越地蔵尊。

地蔵の脇の大樹が屋根を突き抜けているという風景はドキュメント72時間で見覚えがありましたが、残念ながらここではなかったです。

星薬科大学。先ほどの都市計画道路放射2号線の予定地はなんとこの大学の敷地を東西に分断するルートになっています。この写真のドームの手前に左右に道ができます。
大学としてはそんなことをされては支障がありますので抗議、陳情を続けているようですが果たしてどうなることか。もう避けられないのかな。お気の毒なことです。

スタートから3kmで五反田TOCの交差点到着。二股の右が第二京浜、左が中原街道。これで一応中原街道の東京都の分は踏破になりました。
少し戻ってから首都高速2号線に沿って目黒方向へ歩きます。

目黒川通過。

東京都庭園美術館の庭の西側を進んで見ます。

頭の上が首都高。そして右の壁の中も道路が通っていますがこれも首都高なんだろうか? この後白金のプラチナ通りを過ぎて外苑西通りに入ります。

渋谷川を過ぎて天現寺橋交差点から明治通りに。
中央分離帯の植え込みが2階建てのように見えますが、この場所ではこちらの新宿方面行き車線と向こうの三田方面行き車線とで道路の高さが違っているためでした。
かつて完成までの道のりを追った放射25号線と同じスタイルです。2005年に都市計画で道路が拡幅された際に、渋谷川寄りの低い土地に高さを揃える必要があったとのこと。

渋谷橋の交差点が起点なのが駒沢通り。かつて最も縁があった道路なのに、駒沢通りの軌跡がまったく残っていませんでした。次回はここから駒沢通りで多摩川を目指します。

本日のルート。8.5km。
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