ラジオ放送で寶生流「葛城」を聴く。
恵まれない容貌を恥じて夜にしか行動しない女神がシテ(主役)の曲だが、實際の舞薹では秀麗な女面をかけて登場するので、謠ひの文言を知らないとただ雪で白っぽい曲といふ印象しか殘らない。
曲中、後シテに“天の扇”といふものがある。
開いた扇を手にした右手と、輕く握った左手を顔の前で合はせてから、扉のやうに前へ開きつつ三つ下がる型のことだが、

この曲を仕舞で稽古中に、ドツボに嵌まったのかこの型が覺えられず、汗だくの苦闘に陥った記憶がある。
その後、私が現代手猿樂で“天の扇”をよく取り入れたのは、やっと覺えたこの型を決して忘れないため、意識的にさうした結果である。
体で覺えたことは忘れないものだが、思ひ出すのに手間(じかん)がかかるやうでは、本當の習得とは言へないのだ。