
午前中に鶯の聲が聞こえて、すぐに部屋の窓を開ける。
確かに、今年最初の聲を聞く。
それまでなんとなくつけてゐたラジオ放送の西洋古樂がにはかに五月蠅くなって、電源を切る。

いつまでも冬ではない。
春ちかしのこゑ。
わが町に、令和四年も春告げ鳥が来てくれた。
昼下がり、わが町に遺る古道を歩きながら、人災疫病禍元年の二年前にはよく散歩で通ったことを思ひ出す。

現在以上に得体が知れず、とりあへず逼塞してゐる以外に對処法がなく、それでも何とか情報を得やうとTVを注視し、昼頃には部屋の窓から外を眺めながら、何も出来ない不安と、何もしなくてよい解放感とが同居した不思議な感覺に心を委ねつつ、息抜きの散歩が唯一の樂しみとなり──
あれから三巡目の春にならうとしてゐる。
そのことを今朝、鶯は私に告げた。