迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

これぞ“玄人”の怠慢なり。

2018-11-23 22:05:21 | 浮世見聞記
横須賀芸術劇場で、「かながわ伝統芸能ふれあい祭」を観る。


県内の民俗藝能をいくつか集め、それに猿楽の観世流と狂言の大蔵流がトリに加わった企画で、そのなかで最も興味を覚へたのが、「長井町飴屋踊り」。

三浦市南下浦町菊名のほかに、横須賀市長井町といふところにも飴屋踊りが傳はってゐることは知ってゐたが、観るのは今回が初めて。

演目は「三番叟」と、漁師の踊り「新川」の二つで、いづれも菊名よりやや早間な囃子にのせて、手数の多ひ振りを軽快に踊り込む。

そして囃子と唄に、胸に染み入るやうな郷愁を覚へる。

来年の夏は、ぜひ現地まで観に行かう。


そのほか、赤ひ着物で素朴な手振りを繰り返す「チャッキラコ」や、今回は大虎が大熱演だった「浦賀の虎踊り」、勇壮な「海南神社 面神楽」は、既に現地で観てゐるが改めてその良さ、楽しさを認識する。


トリの猿楽は、まず大蔵流狂言で「寝音曲」。

出演は善竹富太郎、大二郎の兄弟で、パンフレットには出演者の明記がないだけに、私には大御馳走。

登場しただけで、「この人たちは絶対に面白いことをやる……!」と期待させてくれる、余人には真似出来ない風味を堪能する。


そして観世流の猿楽「江野島」だが、略式ながら設へられた能舞台に登場したのは、なんとシテと後見のみ!

ワキ方もおらず、地謡方と囃子方はテープ演奏といふ粗末な有様で、これではまるでカネの無い日舞流派の発表会のやうだ。

こんなみっともないことをやるくらいなら、初めからやらないはうが良い。

ほかにも、なぜこの企画に加へる必要があったのか理解に苦しむオーケストラ屋と箏曲演奏屋との「現代音楽」の合奏や、

完全に台本頼りで内容が全くアタマに入っていないことがあからさまな、ちっとも日本語の喋れていない女役者の司会、

何度も現れては中途半端に古臭ひ雑音を掻き鳴らして行くのが鬱陶しい、おそろしく場違ひなチンドン屋もどきなど、

いくつかあった「……?」な場面のなかでも、

この観世流猿楽がいちばんよろしくない。

本式通りにきっちりと演じていたほかの団体に対しても、

こんな失礼なことはない。


恥ずべき、恥ずべき。





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