
粕壁はかつて「糟壁」とも書き、昭和19年の町村合併で町名を「春日部」として以来、こちらで表記することになりましたが、旧宿場町の地区だけは、かつての表記が現在も用いられています。
もっとも地元の言い伝えによると、ここは鎌倉時代の武将・春日部甲斐守実景と云う人物と由縁のある土地であるため、かすかべは“春日部”が正しい、としているようです。

地名にかつての字が用いられてはいても、当時の面影は殆どありません。
そのなかで、旧宿場の出口手前の粕壁2-8-14にある米穀問屋、すなわち米店の「永嶋庄兵衛商店」は

慶長年間の創業だそうで、つまり日光道中が整備されたのとほぼ同じ頃のオープン。
以来約400年、この地で時代の変遷をずっと見つめ続けてきた、貴重な生き証人と言えます。
もっとも地元の言い伝えによると、ここは鎌倉時代の武将・春日部甲斐守実景と云う人物と由縁のある土地であるため、かすかべは“春日部”が正しい、としているようです。

地名にかつての字が用いられてはいても、当時の面影は殆どありません。
そのなかで、旧宿場の出口手前の粕壁2-8-14にある米穀問屋、すなわち米店の「永嶋庄兵衛商店」は

慶長年間の創業だそうで、つまり日光道中が整備されたのとほぼ同じ頃のオープン。
以来約400年、この地で時代の変遷をずっと見つめ続けてきた、貴重な生き証人と言えます。