
目黒區美術館にて、「木村伊兵衛と画家たちの見たパリ色とりどり」展を觀る。
木村伊兵衞と聞くと、私などは六代目尾上菊五郎が演じる「鏡獅子」の美事な舞台冩真を遺した名冩真家、と云ふ印象が強い。
その木村伊兵衞が、國産化されたばかりのカラーフィルムを携へて1954年と55年の二度、佛國の巴里を取材旅行で訪れ、花の都の日常(ふだん)の一瞬を美事に切り撮った名品の數々を通し、私も50年代の巴里に遊ぶ。
……のだが、展示室内の“見張り役”にいつまでも小聲で喋る二人の老婆、また椅子に座って貧乏揺すりを續ける老爺があり、耳にも目にも煩いのでたびたびはっきり目線をくれてやれど、當人たちは目が合ったところでまるきり氣付く様子もなし、「アカン、ホンマのアホやわ……」と呆れてとりあへず次の展示室へ移り、それら障害物が時間で交替するまでやり過ごす。
それらがやうやく消えてから再び訪れた50年代の巴里とその人々は、名冩真家の卓越した感性によってつひ昨日の景色のやうな瑞々しさをもって、私を優しく誘ふ。

(※記念繪葉書より)
カラーフィルムに収められた巴里の人々の飾らない日常の一片は、その聲(おと)までもが聞こえてくるやうで、それは、
「カラーで人を撮る時は流れを上手に狙はないと、人形を撮ったやうになってしまふことに氣が付いた」
と云ふ現地での苦心と發見の賜物に他ならない。
そして霧に霞む街の夜景を撮ったことについて、
「カラーで夜を撮るとコントラストが強すぎて上手くいかないが、霧が出てゐるとそれらが中和されてちゃうど良い雰囲気になる」
との發見は、肉眼では見えない遠くの細部までもが鮮明化されて却って不自然な画像(ゑ)となる、現代のデジカメ冩真との對極をなすものであらう。
木村伊兵衞が冩した50年代の巴里を旅するうち、私が21世紀となってすぐに渡佛した時のことが俄かに思ひ出され、帰ってから約三週間の滞在中に撮った冩真を久しぶりに押し入れから引っ張り出す。

この時は觀光ではない目的で、複數人で渡佛したのだが、その事について語れるやうな材料は何も無い。
ただ、帰國當日に時間をつくって一人でエッフェル塔を觀光したことが、やうやく樂しかった思ひ出としてあるのみである。
──いつか、自分のために外國をじっくり旅行する、そんな機會に逢ひたいものだ。