ラジオ放送の寶生流「國栖」を聴く。
身内争ひから大和國國栖へ難を逃れた浄見原天皇(天武天皇)一行と、土地の漁師老夫婦との、鮎を介した交流ぶりが好きな曲。
追手が天皇にいよいよ迫ってゐることを察した漁夫は、とっさに川舟を伏せてそのなかに天皇を隠し、舟のなかを見せろと迫る狂言方つとめる追手たちを、舟は漁師の住家も同然なればそんなことは許さない、押し通さうとするならば一族総出で反撃すると鬼気迫る勢ひで追ひ拂ふ緊迫したやり取りは臺詞劇の面白さに富んでゐるのだが、
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今回放送のやうな素謠では狂言方の詞を省略するので、曲の味はひがどふしても半減してしまふ。
私が學生時代にTV中繼で觀た金春流の舞薹では、子方の扮した浄見原天皇が両腕で胸を抱いて舞薹にうずくまると、天地を返した舟を被せて“玉体”を隠す演出を實際に見せてゐたのが、鮮烈な印象として殘ってゐる。
あの面白さばかりは、觀なければわからない。
謠をも省略されては、わからない人には、余計わからないものになってしまふ。