
千代田區立日比谷図書文化館の特別展「首都東京の復興ものがたり」を觀る。
大正十二年(1923)年九月一日の関東大震災は、江戸の續きに成り立ってゐたトウキョウを一掃し、新たな近代都市トウキョウを創る契機ともなった。

(※一部を除き展示物の撮影可)
それは令和の人災疫病禍元年に感じた、「災害は物事を政治的に改變する好機」にも通じる都市大改造計画であったが、そのなかで隅田川に架けた六つの大橋のデザインを全て異なるものにしたのは、「つくりが同じでは老朽化も、再び震災が發生して落ちるのも、全てが同じであらう」──それを防ぐため、と云ふ考へであったところに、苦い震災經験をしっかり踏まへたこの時代の人類の英知を見る。

東日本大震災で“タワマン”上層階が上空の孤島となり、住民が困窮したにもかかはらず、震災後には雨後の筍の如くタワマンが乱立し、結局その後の大型薹風で再び同じ事態を招いた現代人の無學無能ぶりとを比べると、百年隔世を思はずにはゐられない。
東京都千代田區一番町の半蔵門ミュージアムの特集展示「堅山南風《大震災実写図巻》と近代の画家」を觀る。

大正十二年(1923年)九月一日の関東大震災に遭遇した橫山大觀門下の画家・堅山南風が、被災直後の東京を實際に目で見た者にしか為せない生々しさをもって描き留めた、三巻仕立ての震災記録。
その生々しさは“淺草十二階”──凌雲閣が崩落してゐる様を捉へた「凌雲閣飛散」で、このとき中にゐたのであらう人が崩落と共に空中へ放り出されてゐる様子に、

(※案内チラシより)
作者は目撃してはゐないだらうが確かにそれはあったらう、と強く胸を衝かれる。

しかし、この三巻の序文の一節、
「忘れられぬものは強いて忘れやうと努力しなくともよい。唯これに對し吾等は如何なる教訓を得たか、その教訓を守って往けばよいのである。」
に、佛典を繙いたやうな救ひを覺える。