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戦後75年と父の思い出の品

2020年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

戦後75年父の思い出の品

今日は”戦後75年の猛暑日

新聞やテレビをみていると,終戦から帰って家族を養ってくれた父のことを思い出します

私は戦後最初に生まれた(団塊世代のスタートの生まれ)のひとりです。

昭和30年前半までの幼少~子供の頃の食卓をかこんでの夕食は、いつも(毎日)父親の戦争体験の話をきいていた記憶があります。

5年前に生家を少し改装した際、お勝手の棚にしまっておいた”終戦で父が持ち帰った飯盒(はんごう)”も廃棄しようと思いましたが、記念に残しておこうと外に置いたまま(忘れて雨に濡らししたまんま)

父が生きれいれば”108歳”かな?

終戦75年の今朝(2020年8月15日朝)!

飯盒”を思い出し雨で”錆びた取っ手”や”主成分アルミの鍋部(酸化した斑点)”を水洗いしました。そして

(記念に写真にパチリ・もう使用不可です)

 ”釘で書いたと思われるカタカナの氏名”の下に綺麗な「昭一七」の刻印

 昭一七 ⇒ 昭和17年(1942年)だとおもいます

ひとコト>

この飯盒を使用したことは2回ありました

①15年前頃・山登りが大好きな友人達と生家の庭先でバーベキューをした際に、友人(Hさん)が”飯盒炊き”をしてくれました。

 白米が美味しく炊き上がりました(イイ思い出・・・Hさんに感謝)

②昭和32年子供の頃の夏休み海水浴・海がない山村の小学校の子供達を海(砂浜)がある私達の村の公民館(宿泊)に招待しました(交流会)

 その夕食の際に公民館の庭で、持ち寄った”飯盒”で大人達が炊いてくれたことがありました・・・美味しいカレーライスを思いだします。

その中の”飯盒”のひとつに今回、私の父の戦時品”飯盒”が活躍したことを思いだしました

むかし昔の懐かしい行事の思い出でした・・・

 

先日このブログで、”断捨離の日本人形供養”の話をしましたが、この父の思い出戦時品”飯盒についても思い出の品供養”をしたいと考えています

以上。


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