こころの染織

ひと針ひと針心を繕います。
第7章・・空色の種を探す旅・・・私とルナと一緒に空色の種を探すのどかな旅に出ませんか~♪

震災遺構・・・中浜小学校にて想うこと

2022-04-29 13:58:30 | 東日本大震災

アメリカン・ブルーです。




ゴールデンウィークに入りましたね~
昨日、訪れた場所・・・鯉のぼりが勢いよく泳いでいました。

長年のGWのウキウキ感はかなり減ってしまったここ数年ですが、
今年は少しだけ多くの方々の行動範囲も広がりそうですね。

我が家は孫の旭が先日ようやく生後3ヶ月になったばかりで、
長距離の移動にまだ不安があるので、来仙は断念しました。
混んでいる時期を避け、スムーズに来られる日を選んで、
元気な姿に会いたいと思っています。

一方、夫の兄の娘であり、札幌在住の姪が子供を3人連れて、
GWに3年ぶりの里帰り・・・
仙台空港発着の行程で会えたら嬉しい~と言ってきました。
仙台周辺でどこか見たい場所があるかと聞いたところ、
今年高校に入った長男が震災遺構がみたいと・・・
中学2年の次男は牛タンが食べたいと・・・
どちらも叶えてやりたい大叔父の夫。
いつものように現地下見に行こうと言うので行ってきました。







大切な人をいつまでも待つ・・・

黄色いハンカチがそこにもありました。







宮城県亘理郡山元町 中浜小学校です。

令和2年9月26日から一般公開が始まりました。

東日本大震災の大津波による甚大な被害を後世に伝え、
震災の風化防止と防災意識の向上を目的とし、
児童や地域住民ら90人の命を守り抜いた中浜小学校を
防災教育・震災伝承の場として一般公開しています。



震災遺構の場所・・・
今回は、こちらを選んでみましたが、
私達も周辺は何度か訪れたものの、
中浜小学校の中に入ったのは初めてでした。











校庭に日時計のモニュメントがあって、
あの震災が起こった時間にも印がありました。

今日は写真が多くなりますが、
どうぞ、一緒に見学して、防災の気持ちを深めていただければ幸いです。












この学校は、一般的な小学校と比べると、
とてもデザイン性のある素敵な小学校だと思いました。
2階建てプラス屋上と小屋裏があり、
何よりも中庭もあって、
階段式の音楽室や資料室など、
元々が子供たちのために、
安らげる学び舎として工夫されていた学校だと知りました。







校舎に貼られている青いラインは津波が来た高さを表しています。
津波からは3階以上に避難・・・と言われていますが、
この学校には3階はありませんでした。
ところが、この学校は平成に入って建て替えられていたそうですが、
その時に、地元民の要望で安全を考えて、
学校そのものを2メートル嵩上げして建てていたそうです。
つまり、学校は3階建ての高さを持っていたことになります。
それが、ぎりぎりの津波の高さに子供たちを守ったということでした。









窓から見える景色には建物は何もありませんが、
ここから見える場所は住宅地だったそうです。
今は、生活できない場所になっていると思います。







屋上には普段は子供たちの立ち入りは出来なく、
この階段も、資料室の隠れた場所にのみあって、
知る人ぞ知る存在だったようです。
この階段を最後に上った校長先生は、
「ここから降りることができるのだろうか・・・」
そう思って登って行ったそうです。







屋上から見える海です。
津波被害以前は、海岸線は松林が並び、海は見えなかったそうです。
それを飲み込むような大津波を子供たちには見せないように、
急いで、急いで、道具置き場だった屋根裏へ避難誘導・・・
食べ物も水も無い、凍えそうな夜を泣かずに頑張ったそうです。







「今日はお天気が良いので、ずっと奥に島影が見えるのが解りますか?
あちらが石巻・・・  そして、そこから出ているのは牡鹿半島です・・・
そのラインから少し横にずれて・・・その奥、そこが震源地です!!」

えー--っ?

その場所? 初めて認識しました。
三陸沖の宮城県牡鹿半島の東南東130km付近で、深さ約24kmを震源とする地震でした。








語りべさんによれば・・・
多くの幸運が90人の命を救ったそうです。
例えば、寒さを回避しようと体育館に毛布を探しに行ったそうです。
それはたまたま地震の2日前に届いた毛布で、
圧縮したビニールに入って保管され、
流されなく水にも濡れないまま有ったそうです。
また、2メートル嵩上げされていたので、
夜には1階から波が引いて、体育館へ歩いて行けたそうです。
ヘリコプターの救出にも一人ひとり吊り上げられるのではなく、
嵩上げされた校庭にヘリが着陸出来たそうで、
とても迅速に非難が出来たそうです。

先人の考え方だったのでしょうか・・・
この学校を建て替えるときに考えた色々なことが子供たちを守り、
支えた大人たちにも勇気を与える原動力にもなったのかと思います。
沢山の幸運を引き寄せて、
命が守られていったのですね。

11年が経っても・・・
その時間を共有しつつも、
あの日、あの時・・・
語られることにはまだまだ多くのことを知らなければならないと思います。

私の話や画像では行き届かない部分も多いので、
↓ 山元町のホームページからお借りしました。
よろしければ、こちらもご覧ください。





震災遺構中浜小学校プロモーション映像  #山元町 #震災遺構 #中浜小学校





最近、また地震が多くなってきました。
GWに何か一つ、防災対策、
防災意識の改善など備えてみるのも良いかと思います。

今回この場所でご一緒した方々・・・
2組でしたが、40代ぐらいのご夫婦と、
外見からは凄い?若者2人でした。
何故ここへ立ち寄ったのかと思いましたが、
言葉少なに優しく・・・
きっとここで想いを受け取って帰ったことと思います。








姪の長男にもGWの大きな記憶として心に残してほしいと思っています。







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6 コメント

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Unknown (かずちゃん)
2022-04-29 17:57:07
あの日東京にいた末息子から
そっちは何もなかった?って電話があり何のこと?って聞くと、テレビつけて!!
といわれました
テレビの画面に映ったのは車ごと流されていく様子
これは何?映画かなにか?と、一瞬頭の中がぐちゃぐちゃに・・・
自然は恐ろしい、そして水の恐ろしさをしみじみとかんじました
今回こういうところを見せていただけてとてもよかったです
この震災でもまだまだ行方不明の方がおられます
今回の知床の事故も一日も早くみつかってほしいと願うばかりです
かずちゃんさんへ (アメリカン・ブルー)
2022-04-29 23:43:09
かずちゃん    こんばんは~(*^-^*)

実は、私達は地震直後、夫が津波が来るから逃げよう~と言い、
当時、海から2kmほどの所に住んでいたので何も持たずに家を出ました。
ラジオから考えられない話が流れてきました。
電気もガスも止まっていたので、その映像を見たのはずっと後でした。
避難途中に「お母さん、今どこにいる?」千葉の息子から電話で、TVの映像が凄いことになっているけど、避難したんだね!!」
当事者は、何がどうなっているのか・・・意外に知る由も無く、
後日、夫が良く乗っていた大きな釣り船が陸に上がっていた時は信じられない気持ちでした。
大きな揺れはその後も何度も続いていますが、
対処してゆかなければ同じ被害が続きます。
知床の事故も、小さなことにも目をつぶらず安全第一を徹底しなければならなかったと思いますね。
震災遺構は色々な形で残されていますが、
この小学校は幸いが重なって「助かった」良いモデルケースです。
機会があったら多くの方に現状を見て欲しいと思いました。
拙いブログでしたが、かずちゃんに見せてもらって良かったと言ってもらえて幸いでした。
ありがとうございます。
おはようございます。 (みちみち)
2022-04-30 09:49:13
あら~、姪っ子さんが子供さんと3年ぶりに里帰りをされるのですね~~。
山形のお兄様も嬉しいですね~~。
そして、あの日の出来事を思い出すと今でも切ないですね。

それから、地元民の要望で安全を考えて、
学校そのものを2メートル嵩上げして建てていたそうですが、海に近い学校ならではの判断だったのですね。
今回の記事で、初めてその事を知りました、ありがとうございました。
そして、そのお陰で多くの生徒さん等の尊いの命が救われたのたは良かったと共に嬉しいですね・・・
黄色いハンカチ・・・
あの石巻の大川小学校は、すぐ裏に山があったのに・・・あの様な事になってしまい、その事が今でも悲しいです。

この様に学校の中も大変な事になってて・・・
それでも、命があればこそ・・・ですね。

姪っ子さんや子供さん達も、自分の目で見ると、テレビからの映像で観るのと違う気持ちになられるでしょうね。

本当に災害や事故は怖いですね。
ありがとう (かっつん)
2022-04-30 09:51:25
泣けてきました。
みちみちさんへ (アメリカン・ブルー)
2022-04-30 16:37:12
みちみちさん    こんにちは~(*^-^*)

帰省は3年ぶりだそうです。
前回はまだコロナの名前も知らなかった頃でしょうね。
兄も嬉しい反面、大きくなった孫たちをどう世話をしようか悩んでいるかもしれませんよ~(笑)
いずれにしても、元気で会える時に・・・ですよね。
震災遺構もそれぞれですが、
こちらの小学校では犠牲者が出なかったことが何よりだったと思いますし、
日頃からの防災意識の高さや、幸運も手伝って、
悲惨な姿を残したままですが、こうして私達に教訓をしっかり伝えてくれる・・・
大切な存在になっていましたね。
一番大切なのは「命」ですから、それを守る判断の賛否は後からついてくるものもありますが、
中浜小学校には多くを教えてもらったような気持ちで帰りました。
かっつんさんへ (アメリカン・ブルー)
2022-04-30 16:44:48
かっつん    こんにちは~(*^-^*)

こちらの一般公開では、
流れに沿って見学できますが、途中で12分間の映像が流れます。
多くの場所でいろいろな状況を見てきましたが、
私も涙が流れそうでした。
怖いとか悲惨とかではなく、
一生懸命最善策を考えて「命」を守ったその時間が記録されていたからです。
どうあるべきか・・・

何度も被災地支援をしてくださったかっつん
いま、こうして遺構を通じてメッセージを発信している場所があります。
こちらこそ、ありがとうございます。

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