青い鳥 心のままに

心の笑顔で 生きて行きたい♪
ゆっくり ゆっくり 最期まで
自分の人生だから………。
 とまり木へようこそ♪

ラディッシュ      2005・3・31 記

2005年03月31日 18時40分00秒 | 

私 知らなかったよ

ラディッシュを植えてたなんて

ヘルパーさんがプランターに植えてたことを

いつの間にか小さな小さな芽を出して

緑の葉っぱをつけてたよ

ほら、見て見てと言われて

初めて気がついたよ

元気いいなぁ~ どんどん伸びていくよ

赤い実になる頃は 暖かくなってるかな?

待ち遠しいなぁ~

美味しいね、と言いながら食べれる時が

可愛いだろうなぁ~

赤く丸い実になって 美味しいね、と言いながら食べようね


青い鳥号      2005・3・31 記

2005年03月31日 14時02分00秒 | 

人生と言う大きな 大きな海に

青い鳥号がちっぽけな ちっぽけな船で走り出し54年の歳月だ

エンジンつきではなく ろをこいで右へ 左へと進んで行く

大波に飲まれながらも前へ 前へと進んで行く

ゆっくり ゆっくり 右へ 左へと進んで行く

溺れそうになって必死で浮き上がり又進んで行く

周りを見渡せば魚や鳥がいる

貝や海草がいる

空には雲があり悠々と動いている

鳥が飛び交い木々が揺れる

沢山の船が走り去っていく

今 青い鳥号は

穏やかな波の上をゆっくり ゆっくりと走り続けている

脳性小児麻痺という私を乗せて

前へ 前へと


会いたくて      2005・3・30 記

2005年03月30日 21時29分00秒 | 
会いたくて 会いたくて
友達に
遠いよなぁ~
今しかないよ 会える時
思い立って 腰上げて
セニアカーを走らせて 井尻駅に行きました
セニアカーに乗ったまま 駅員さんの手伝いで
わくわくしながら乗り込んだ
天神駅から地下街をセニアカーを走らせて地下鉄乗り場を探すけど
わからなくてグルグルと 周りに回って探したよ
やっと見つけた地下鉄乗り場 駅員さんに案内されてプラットホームに行きました
セニアカーに乗ったまま 駅員さんの手伝いで
地下鉄電車に乗り込んだ 友達少しは近くなる
博多駅に着きました 駅員さんに案内されてJRの博多駅
駅員さんにありがとう 筑前新宮駅に着きました
和子さん 待っててくれたよ 新宮駅で
和子さんの案内で 遊びに行ったよ友の家
ご両親やお姉さん紹介されたよ てれくさい
和子さんはバスに乗り新光園に行きました
私は 私は セニアカーを走らせて 新光園に行きました
バス停で待っててくれた 和子さん 一緒に新光園に行きました
もう一人の和子さん 二人は同じ名前だよ
やっと会えた友達に 遠い道のりなんのその
にぎやかに二人の友と はしゃぎます
脳性小児麻痺だよ 3人は でもでも なんのそのだよそんな事
会えた喜び大きいよ

幸せ        2005・3・29 記

2005年03月29日 14時46分00秒 | 

幸せ?って、聞かれたら
「はい」って、答えます
?と、思われるかもしれない
確かに、私は、脳性小児麻痺で身体は不自由だ
車椅子にも乗っている
お金持ちでもない
何をするにも人の何倍もの時間がかかる
我慢している事が沢山ある
雇ってくれる会社は無い
でも、私は幸せなんです
心の自由がある
離れていても家族がいる
友達がいる
メール、インターネット、パソコンがある
詩を書いたり、デジカメを撮ったり、カレンダーを作ったり
今は、ホームページに挑戦している
心の豊かさがある
不自由な身体だからこそ人の優しさも人の何倍もわかる
人に優しくも出来る
人の痛みもわかる
苦労なんて苦労とも思わない
そんな自分がここにいる
私が私でいる限り
私はとても幸せなのだ
たとえどんなに身体は不自由でも


ヘルパー中野さん    2005・3・28 記

2005年03月28日 11時44分00秒 | 
朝9時 ヘルパーさんが来た。
今日の担当は 中野さんだ。
顔をぬれタオルで拭いてくれて手や足も拭いてくれる。
髪の毛にブラシをかけてくれて結んでくれた。
お茶を入れて仏様にも上げてくれる。
掃除機をかけて、雑巾で拭き掃除をした。
今は料理をしてくれています。
その間中私はパソコンに向かっている。
中野さんは1つ年上のお姉さんです。
小柄でとても愉快なお姉さんヘルパーです。
料理が上手で美味しいです。
味付けバツグンだよ~。
今、ソーメンちゃんプルが出来上がりお皿に盛り付けてテーブルの上に置いてくれました。
とっても美味しそうです。
中野さんは台所を片付けています。
もうすぐ時間です。
昼12時に帰ります。
次は1週間後だよ
間が長いなぁ~
次の所にバイクを走らせて帰って行きます。
またね~


久しぶりの母

2005年03月27日 19時42分00秒 | コラム

今日は、久しぶりに母に会えました。
妹が連れて来てくれました。
今年78歳の母ですが、生まれた時から身体の不自由な私にとっては無くてはならない絶対の人です。何をするにも母でなければ出来なかった事ばかりでしたから。
お風呂に入る時の洋服の脱いだり、着たりするのも母しか出来ませんでした。
でも、今は、母に代わって、妹や息子やおばさんがやってくれるし、ヘルパーさんがやってくれています。
だから、一人でも、何も困る事無く毎日が過ごせています。
ありがたいですね。
良い時代になりましたね。
もっと、もっと、福祉が良くなれば、どんな人でも安心して暮らせる時代が来るでしょうね。
今日は元気な母に会えてホッとしました。*(カーネーション)*


どっこいしょ     2005・3・26 記

2005年03月26日 17時49分00秒 | 

広い道路の端っこで

どっこいしょとしゃがみこむ

立ってなんかいられない

川の辺の道端で

どっこいしょとしゃがみこむ

立ってなんかいられない

しゃがみこんだ道端に

蓮華の花が咲いていて

どうしたの? と声かけた

蝶やミツバチ飛んできて

甘い蜜を吸いながら

どうしたの? と声かけた

立ってなんかいられない

広い野原の真ん中で

どっこいしょとしゃがみこむ

可愛いすずめ飛んできて

どうしたの? と声かけた

立ってなんかいられない

まだまだ遠くに歩きたい

だけどお家が遠くなる

二本の足で歩くには

遠くに遠くに来たもんだ

どっこいしょ どっこいしょ

今来た道を歩き出す

痛くて 痛くて どっこいしょ

どっこいしょが多くなる

よくよくここまで来たもんだ

二本の足で歩くには

ずいぶん遠くに来たもんだ

どっこいしょ どっこいしょ

蝶やミツバチ飛んできて

どうしたの? と声かける

黙って そこらにしゃがみこむ

立ってなんかいられない


雲     2005・3・26 記

2005年03月26日 15時03分00秒 | 

病室のベッドに横たわり

窓の外を見上げると

広大な空が無限に広がり

流れ行く雲が忙しそうに行き来していく

大になり、小になり

時折赤くお化粧したり

黒く日焼けをしたり

白く雪まみれになりながらも

いそいそと何処かへ行ってしまう

どこに行くんだろうなぁ~?

笑いかけたり、怒った顔をしたり

悲しげな顔をしながらも

いそいそと何処かへ行ってしまう

どこに行くんだろうなぁ~?

一瞬もじっとしてはいない

犬になったり、羊になったり

髭をはやしたお爺さんになったり

怪獣になったり

いそいそと何処かへ行ってしまう

どこに行くんだろうなぁ~?

時折雲の間より青々とした空が見える

眩しいほどに光を放つ太陽が笑いかける

頑張れ、頑張れと応援してくれる

雲が又流れて行く

陽の光に赤く頬染めながら

いそいそと何処かへ行ってしまう

どこに行くんだろうなぁ~?


クリスマスイブの贈り物  2005・3・25 記

2005年03月25日 08時05分00秒 | コラム

クリスマスイブの贈り物
再生された命
先生方に助けられた命
看護師さん達に看病された命
リハビリの先生方によってリハビリされた命
毎日、毎日、仕事を休んで看病に来てくれた妹
仕事の休みの日には来てくれた息子
具合が悪いのに来てくれた父母
叔母や学校の寮母先生達
沢山の友達
お便りやメール
みんな、みんな、ありがとう
もう、少しで頚動脈破裂寸前でやばかったよ~と言われて
え~、となった。そんなに悪かったんだ~と思った。
最初に診察を受けた時、いきなり先生から死にますよと言われ妹と二人愚の根も出なくて即入院と言われて入院した。
一度目の手術は首の中に出来た余分な骨を削る手術だった。
手術の朝皆が応援に来てくれた。
行って来まーすと元気よくストレッチャーで手術室に向かった。
手術室に入るとすぐに全身麻酔をかけられた。 眠りにつく。
気がつくと集中治療室のベッドの上にいた。
右手に血圧計がはめられていて、ぎゅうぎゅうと腕がちぎれるかと思うほど締め付けられるし、左手には点滴がされていた。
首は頭から針金で動かないように固定されていた。
鼻と口には酸素マスクをしていたし、マスクが合わなくてずれ落ちる。
吐き気がしたので、看護師さんに言おうとしても声がでない。
酸素マスクの中に吐いてしまって気持ち悪くてたまらない。
手は使えないし声が出ないし、苦しい事も気持ちが悪い事も訴えられなくて、情けないやら悲しいやら。
助けて~と叫びたかった。
たんが詰まるし、せきが出るし、もう~いや~と叫びたかった。
涙が出てきた。あ~あ~あ~あ~あ~。
夜が過ぎ、朝が来て、酸素マスクがはずされた。
血圧計がはずされた。あ~助かった~と思った。
点滴と注射は4,5日続けられた。
声が出るまでに1週間はかかっただろうか。
首の骨がずれないように固定されていたので、寝返りも起き上がる事も出来なかった。
声が出せるようになり、点滴がなくなり、寝返りも出来るまでになった。3週間が過ぎた。
そろそろリハビリ始めようかと言われ、ベッドの上で起き上がる練習をした。3週間も寝ていると、ベッドから背中を浮かせる事も出来なくなっていたし、歩く事も出来なかった。背中を浮かせるだけでもズキーンと痛んだ。あの痛みはたまらなかったよ。
やっとの思いで背中を浮かせられるようになった。
車椅子に乗って動けるようになった。両手が動かないので足で車椅子を動かす。
お風呂はタンカー風呂で体重が軽いと浮き上がってきて怖かった。1ヶ月が過ぎたころ車椅子でトイレにも行けるようになった。
レントゲンも1週間置き位にとっていた。
公衆電話で電話もかけれるようになっていた。
先生にレントゲンを撮りますと言われて、撮りに行った。
首にはカラーをしていた。
レントゲンを見た先生が、また首の骨がずれてるし、首の骨を削った為、首の骨がスカスカになっているから肩を支えきれなくて、手が全く動かなくなっているから、もう一度手術しようと言われた。
え~、また~と思った。
先生に呼ばれた時には、もう手術の日が決まっていた。
12月24日、そう、クリスマスイブです。
この時の手術は自分の腰の骨をとって首に移植して首を固定する手術でした。
これがまた痛いのなんの堪らなかったよ。
手術室に行く時に涙が出て止まらなかったよ。
怖くて、怖くて。
全身麻酔がかけられ、すぐ、眠らされた。
気がつくと集中治療室のベッドの上にいた。
前と違っていたのは、声が出たよ。
酸素マスクもしていなかった。
血圧計もそんなにきつくなかったよ。
でもね、怖くて、怖くてね。
首は痛くなかったんだけどね。
骨を取った腰がね、痛いのなんのって、たまらんかったよ。
笑うと痛いし、せきをすると痛いしね。
なに~、これ~と思ったよ。
絶対安静でね、動かれなかったよ。
仲良しになった先生が教えてくれたの。
筋肉は、日に日に痛みが取れてよくなるが、骨は月単位にしか良くならないよってね。
先生が言ってくれたの。
1、積極的に自分で動かす。
2、焦らず
3、めげず
4、気を緩めず
5、気長に頑張る
いい言葉でしょう。
私はこの言葉に励まされたなぁ~。
最初の手術の日は11月18日。
この日はね、お相撲の行司さんで木村庄之助さんが慰問に来られたのに、私はお会いできなかったの。
婦長さんにサインをもらっててね、お願いしてたら、本当に貰っていてくれたんです。すごく嬉しくて励まされました。
少しずつ回復はしてきましたが、今度のは骨の固定術でしたから少しでもズレルと又やり直しだから頭と体を固定する為に鎧兜で身を固めなければならず、これまた大変でした。
首を2度手術して5ヶ月間の入院生活と愛犬ロッキーの死がありました。3月24日に退院して、半年経った頃にかろうじて動いていた左手が亜脱臼になってしまい、またまた入院して肩の手術を受けました。これは楽勝でした。手術前は痛んで痛んで堪らなかったのですが手術をしたあくる日は痛みがぴたりと治まっていました。
3週間で退院できました。今はリハビリで頑張っています。
私が入院する度に熊本から妹が駆けつけてくれました。
妹には本当に感謝しています。
ありがとう。
みんな、みんな、ありがとう。
命を救ってくれてありがとう。
これからも、楽しく頑張って生きます。


雲の上    2005・3・23 記

2005年03月23日 05時58分00秒 | 

紅萌ゆる夕日の川が雲の上に流れ湧く

小高い雲の岩山に

この世のものとは思えぬような心の中に染渡る

飛行機雲が尾をなして飛び行く旅の帰り路

雲の隙間に海山と木々の緑と屋根を連ねた家並みが地球の美の飾り絵だ

ディズニーランドよ  さようなら

私は雲の上にいる

旅の終わりにかいま見た神秘な世界の雲の上