青い鳥 心のままに

心の笑顔で 生きて行きたい♪
ゆっくり ゆっくり 最期まで
自分の人生だから………。
 とまり木へようこそ♪

駅の視察

2005年09月23日 18時01分00秒 | コラム

ヘルパーさんに車椅子を押してもらって、自分の利用できる駅を見に行ってきました。
博多南駅と言って、JR新幹線の引込み線になっています。
JR博多駅とJR博多南駅をつないだ路線です。
私の家から歩いて片道40分かかりました。
駅までバスも通っていますが、電動車椅子や電動セニアカーはバスに乗るのがとても難しく乗れません。
私は一度電動セニアカーでバスに挑戦したことがあり、大変なおもいをしましたのでセニアカーでバスには二度と乗るまいと思いました。
ですから駅までセニアカーを走らせるつもりで、今日はヘルパーさんに歩いて普通の車椅子を押してもらって出かけてきました。
駅までの道のりは多少でこぼこはしていましたが電動で十分に行くことができます。
駅に着いたらエレベーターがありました。
電動でも十分に乗れるスペースがあり、これなら行けると確信しました。
改札の所が階段になっていましたが、階段の傍にスロープがちゃんと作ってありました。
私は、JR博多南駅を起点とし、何処へでも出かけられると思いました。
駅のロビーも綺麗に整備されていて、食事ができるようになっていました。
ここでヘルパーさんと二人でパンとコーヒーを食べてきました。美味しかったよ~。
駅の外回りも綺麗に整備されていて、すぐ前にバス停がありました。
これなら行けます、何処へでも。
私は、腰が痛まなくなったら出かけて行きます。
腰振り運動頑張ろう。


秋の散歩道          2005・9・17 記  

2005年09月17日 13時36分00秒 | 
走る 走る 風を感じて車椅子

ゆっくり ゆっくり 妹と

明るい光のさす中を

ぐるりと回る散歩道

背高のっぽの向日葵さん

空に向かっておじぎして

風と一緒にワルツのダンス

ふらり ふわふわ 揺れている

草花たちに守られた

コオロギや鈴虫たちの歌声が

愛のささやく散歩道

畑の端にかぼちゃが一つ

美味しそうな緑色

馬車にするのはかわいそう

色づきはじめた柿の実が

たくさん たくさん なっている

空で飛び交う鳥たちも

歌と踊りで楽しそう

優雅に 優雅に 飛んでいる

道に咲いてた彼岸花

燃えるような真紅色

私の心の奥深く

彼岸花が咲いてます

光と風と歌声たちの

秋を感じて走るよ 車椅子

空の恋            2005・9・13 記

2005年09月13日 19時16分00秒 | 
私は あなたに届かない

澄み切った青い空のどこですか?

どんなに高く手を伸ばしても あなたに届かない

きらめく星空を見上げても あなたを見ることが出来ません

悲しみの涙は乾ききってしまい

時折吹く風に コスモスの花々たちのダンスが

心を和ませ

光の妖精たちが奏でる歌声に 耳をすますと

かすかに聞こえてくる あなたの呼ぶ声が………

なのに あなたの姿はどこにもいない

沢山の思い出の中に あなたが見える

真新しい恋も はかなく悲しい 空の恋

前向いて行こう          2005・9・10 記

2005年09月10日 15時46分00秒 | 
気を取り直して

ホイッと、前向いて行こう

空は 青空

心地よい風が涙を乾かす

長い人生 色々あるよ

苦しかったことも

悲しかったことも

みんな忘れないよ

いつの日か懐かしい思い出になってるよ

さあ、気を取り直して

ホイッと、前向いて行こう

心に友達 たくさん居るから

夢を目指して歩いて行こう

9月の秋に揺れた心よ

日本と福祉と障害者       2005・9・7 記

2005年09月07日 18時28分00秒 | コラム

難しい事は、よくわかりませんが、日本の福祉ってなんかへんです。
来年から1割負担? 払えるわけないでしょ、どうやって支払えば良いと言うの? 年金から? 障害が重くなればなる程に、ヘルパーさんが必要になります。それだけ費用も高くなります。払えるわけがない、と、なると、ヘルパーさんを利用できなくなる。ガイドヘルパー・家事援助・身体介護が利用できなくなる?。買い物どうするの? お風呂はどうするの?。
年金だけの一人暮らしは、どうやって生きれば良いと言うのですか? 政治家さん!!
仕事、働く? 出来れば何の問題はない。
年をとり、二次障害が出てますます重くなる。働けない。
これ、どうする? どうしたら良いんだろう?
わからない、矛盾がいっぱいだ。

学校と障害児・者
これも矛盾を感じている事が沢山ある。
私が学生の頃の身体障害児者の養護学校は今ほどに障害は重くなく、普通の学校に通えそうな方が多かったような気がします。
昔は学校側の受け入れ体制が整っていなくて、地元の学校に通えなかったのです。遠く親元を離れての寮生活が殆どでした。
学生の期間は決まっていますよね。小学校6年間、中学校3年間、高校3年間。
後は、大学に進まれる方、専門学校に行かれる方、就職される方とさまざまです。就職するにしても普通の会社では障害が重い方には無理があります。働く場所がないのです。
私が学生の頃は、障害児の養護学校は福岡県立養護学校は1校しかありませんでしたが、今は各地区にあるようです。
社会に出てからの方が長いんですよね。養護学校という囲われた生活をしてきた者にとって、社会に出た時、周りの方たちとの接し方に戸惑いを感じました。
何を話して良いのかわからないのです。今、私は週一回サークルのチャットに参加していますが、皆が話をしている内容がピーンとこないのです。普通の学校に行ってたら、こんな事はなかったのだろうなぁ~と思います。
どんなに障害が重くても、通えるなら普通の地域の学校が良いのです。
普通健康な方にとっても、障害のある方にとっても、お互いに理解し合えるのではないでしょうか?
私は学校よりも働く場所をもっと、もっと増やしてほしいと思っています。
働く場所と仕事があれば、何も年金を貰わなくても良いのですから、この方が理想的ですよね。
障害のあるものにとって、もう一つの問題は病院です。
子供の時は、障害児者の専門病院、福岡で言えば、粕屋新光園、佐賀で言えば、佐賀整枝学園という所で障害のある者が勉強をしながら病気の治療やリハビリ訓練をする所があります。一応、ここは18才までです。
大人になった者は外来で診てもらえます。
脳性小児麻痺やポリオの方たちは30才から40才を過ぎた頃から二次障害が出てきます。歩けてたのに歩けなくなったりして障害が重くなるのです。こうなられた方たちの専門病院がないのです。
整形外科や大きな病院へ行っても、わからない事が沢山あります。
粕屋新光園や佐賀整枝学園のような大人の専門病院を作ってほしいです。
こういう事に税金を使ってほしいものです。
病院については、まだまだ書き足りませんが、今日はここまでにしておきます。


詩 おかあさんについて

2005年09月02日 12時18分00秒 | コラム

この詩は、私が、まだ20代の頃に書いたものです。
今現在のお母さんに対する気持ちが違っています。
いつまでも元気でいてくれたらと思う気持ちは変わっていません。
母も、私も年をとりました。
私は障害が重くなり、母は高齢になり、私どころではなくなってきました。
今は、母に代わって妹や息子が助けてくれます。
親のありがたさ、姉妹のありがたさ、息子への感謝で、今を生きています。