青い鳥 心のままに

心の笑顔で 生きて行きたい♪
ゆっくり ゆっくり 最期まで
自分の人生だから………。
 とまり木へようこそ♪

2013年、ありがとう!

2013年12月30日 01時45分33秒 | コラム

年の瀬、皆々さまは如何お過ごしでしょうか?
2013年は、私にとって忘れる事の出来ない思い出が沢山出来ました。
初孫の誕生、父の死、お宮参りと食事会等々です。
父とのお別れの時は懐かしい いとこ達に会ったり、叔父や叔母にも会う事が出来ました。
悲しさの中にも、嬉しささえも感じました。
また、ヘルパーさんとのお別れも沢山しました。
今日も一人やめて行かれました。
やっと慣れてきたかなぁ~と思っていた所でしたから、がっかりしました。
今、どこの事業所もヘルパーさん不足で大変なのです。
行政は、ヘルパーさん養成講座を開いていて、沢山の方が資格を取られていますが、実際に仕事をされる方はほんのわずかだと聞いています。
それも施設やグループホームに就職されるそうです。
利用者の一人として、声を大にして言いたいです。
訪問で働くヘルパーさんの待遇を考えて欲しいんです。
行政はヘルパーさんを育てる事だけではなく、もっと安心して働けるようにしなければ駄目だと思います。
せっかく自宅で人間らしく生きて行こうと頑張っている人たちに力を貸して下さいね。
お願いします。
生活の基本的介助だけではなく、いろんな面で手助けが必要なのです。
ヘルパーさんも一緒に楽しんでほしいのです。
行政さん、あれはだめ、これはだめ、だめだめが多すぎます。
もっと、自由に生きて行きたい。
2013年は、色んな事を考えさせられた年でした。
今年に、ありがとう!
そして、来年も、宜しくお願いします。
2013年の文章書き納めでした。


メリー クリスマス

2013年12月25日 01時03分41秒 | コラム

昨日は、クリスマスイブでしたね。
私は、この時季になると思い出す事があります。
一番最初に受けた首の手術の事を忘れることが出来ません。
あの時に受けた手術のおかげで命が助かりました。
でも、手術を受けた中では4年前のが一番大きな打撃を受け、心の衝撃がありました。
手術後のお風呂の事故で寝たきり状態となり、手も足も身体が全く動かなくなったのです。
もの凄い痛みと幻肢との戦いでした。
ビ~ン、ピリピリっと電気が走り、手足がピ~ンピ~ンと突っ張って痙攣が起こりました。
声が出なくなり、おしっこやベンが一人で出せなくなりました。
ちょっとでも触られると、ビ~ン、ピリピリっと電気が走りました。
この状態が2ヶ月間続きました。
そのままで居るとますます悪くなるので、もう一度手術をして外れた止め金を取り除き自分の軟骨で固定するという方法が取られました。
一年間の入院、そして、退院後は自宅に帰り24時間の介護を受けながらリハビリを続けました。
沢山の看護師さん、沢山のリハビリの先生、沢山のヘルパーさん、出会いと別れを交差しながら、私の4年間が、ここにあります。
大地にしっかりと根を張るように、壊れた神経たちが、モコモコ モコモコ ピ~ンとつながって行きました。
パソコンが出来るようになり、カレンダーを作り、介護保険事務の勉強もやり遂げた。
鉛筆を手に持ち文字が書けた、消しゴムが使えた。
電動歯ブラシで歯を磨く、マグカップでお茶やコーヒーを飲み乾す。
今こうしてパソコンの前で椅子に腰かけて座り、手を使ってキーボードの文字入力をしています。
しかも、今では右手も少し使えるようになりました。
神経たちのお目覚めとともに私の出来る事が増えて行きます。
さあ~、次は何が出来るのでしょう?

  メリー クリスマス
  
 2005・3・25  Michiru Oohashi
クリスマスイブの贈り物

クリスマスイブの贈り物
再生された命
先生方に助けられた命
看護師さん達に看病された命
リハビリの先生方によってリハビリされた命
毎日、毎日、仕事を休んで看病に来てくれた妹
仕事の休みの日には来てくれた息子
具合が悪いのに来てくれた父母
叔母や学校の寮母先生達
沢山の友達
お便りやメール
みんな、みんな、ありがとう
もう、少しで頚動脈破裂寸前でやばかったよ~と言われて
え~、となった。そんなに悪かったんだ~と思った。
最初に診察を受けた時、いきなり先生から死にますよと言われ妹と二人愚の根も出なくて即入院と言われて入院した。
一度目の手術は首の中に出来た余分な骨を削る手術だった。
手術の朝皆が応援に来てくれた。
行って来まーすと元気よくストレッチャーで手術室に向かった。
手術室に入るとすぐに全身麻酔をかけられた。 眠りにつく。
気がつくと集中治療室のベッドの上にいた。
右手に血圧計がはめられていて、ぎゅうぎゅうと腕がちぎれるかと思うほど締め付けられるし、左手には点滴がされていた。
首は頭から針金で動かないように固定されていた。
鼻と口には酸素マスクをしていたし、マスクが合わなくてずれ落ちる。
吐き気がしたので、看護師さんに言おうとしても声がでない。
酸素マスクの中に吐いてしまって気持ち悪くてたまらない。
手は使えないし声が出ないし、苦しい事も気持ちが悪い事も訴えられなくて、情けないやら悲しいやら。
助けて~と叫びたかった。
たんが詰まるし、せきが出るし、もう~いや~と叫びたかった。
涙が出てきた。あ~あ~あ~あ~あ~。
夜が過ぎ、朝が来て、酸素マスクがはずされた。
血圧計がはずされた。あ~助かった~と思った。
点滴と注射は4,5日続けられた。
声が出るまでに1週間はかかっただろうか。
首の骨がずれないように固定されていたので、寝返りも起き上がる事も出来なかった。
声が出せるようになり、点滴がなくなり、寝返りも出来るまでになった。3週間が過ぎた。
そろそろリハビリ始めようかと言われ、ベッドの上で起き上がる練習をした。3週間も寝ていると、ベッドから背中を浮かせる事も出来なくなっていたし、歩く事も出来なかった。背中を浮かせるだけでもズキーンと痛んだ。あの痛みはたまらなかったよ。
やっとの思いで背中を浮かせられるようになった。
車椅子に乗って動けるようになった。両手が動かないので足で車椅子を動かす。
お風呂はタンカー風呂で体重が軽いと浮き上がってきて怖かった。1ヶ月が過ぎたころ車椅子でトイレにも行けるようになった。
レントゲンも1週間置き位にとっていた。
公衆電話で電話もかけれるようになっていた。
先生にレントゲンを撮りますと言われて、撮りに行った。
首にはカラーをしていた。
レントゲンを見た先生が、また首の骨がずれてるし、首の骨を削った為、首の骨がスカスカになっているから肩を支えきれなくて、手が全く動かなくなっているから、もう一度手術しようと言われた。
え~、また~と思った。
先生に呼ばれた時には、もう手術の日が決まっていた。
12月24日、そう、クリスマスイブです。
この時の手術は自分の腰の骨をとって首に移植して首を固定する手術でした。
これがまた痛いのなんの堪らなかったよ。
手術室に行く時に涙が出て止まらなかったよ。
怖くて、怖くて。
全身麻酔がかけられ、すぐ、眠らされた。
気がつくと集中治療室のベッドの上にいた。
前と違っていたのは、声が出たよ。
酸素マスクもしていなかった。
血圧計もそんなにきつくなかったよ。
でもね、怖くて、怖くてね。
首は痛くなかったんだけどね。
骨を取った腰がね、痛いのなんのって、たまらんかったよ。
笑うと痛いし、せきをすると痛いしね。
なに~、これ~と思ったよ。
絶対安静でね、動かれなかったよ。
仲良しになった先生が教えてくれたの。
筋肉は、日に日に痛みが取れてよくなるが、骨は月単位にしか良くならないよってね。
先生が言ってくれたの。
1、 積極的に自分で動かす。
2、 焦らず
3、 めげず
4、 気を緩めず
5、 気長に頑張る
いい言葉でしょう。
私はこの言葉に励まされたなぁ~。
最初の手術の日は11月18日。
この日はね、お相撲の行司さんで木村庄之助さんが慰問に来られたのに、私はお会いできなかったの。
婦長さんにサインをもらっててね、お願いしてたら、本当に貰っていてくれたんです。すごく嬉しくて励まされました。
少しずつ回復はしてきましたが、今度のは骨の固定術でしたから少しでもズレルと又やり直しだから頭と体を固定する為に鎧兜で身を固めなければならず、これまた大変でした。
首を2度手術して5ヶ月間の入院生活と愛犬ロッキーの死がありました。3月24日に退院して、半年経った頃にかろうじて動いていた左手が亜脱臼になってしまい、またまた入院して肩の手術を受けました。これは楽勝でした。手術前は痛んで痛んで堪らなかったのですが手術をしたあくる日は痛みがぴたりと治まっていました。
3週間で退院できました。今はリハビリで頑張っています。
私が入院する度に熊本から妹が駆けつけてくれました。
妹には本当に感謝しています。
ありがとう。
みんな、みんな、ありがとう。
命を救ってくれてありがとう。
これからも、楽しく頑張って生きます。


一人夜長に

2013年12月08日 01時40分36秒 | コラム

一人で黙々とパソコン操作のお絵描きさん
描いていただいた物が、そのまま使えず、絵をばらばらに切り離して、描いてある線の上をなぞりながら描く、元本と同じ色探し、切り離した絵を組み立てる。
すっごく すっごく 大変な作業でした。
天の川の波線をなぞるところと、色合わせが、悲鳴を上げたくなりました。
何度も 何度も やり直し、やっと出来あがりました。
元本どおりにはゆきません、難しいです。
これで、我慢して下さいね。