青い鳥 心のままに

心の笑顔で 生きて行きたい♪
ゆっくり ゆっくり 最期まで
自分の人生だから………。
 とまり木へようこそ♪

大 変           2005・4・30 記

2005年04月30日 14時34分00秒 | 

色んな大変があるなぁ~

生活の大変 お金が無いと食べて行けないしね~

みんな せっせ せっせと働いてる

働けない 私は?

夫婦の大変 好きで一緒になってるのに

何でそんなに 愚痴ってるんだろう?

お互いの思いやる心だよ

相方の居ない 私は?

子育ての大変 人間一人を育てるんだよ

当たり前なんだよ苦労は

楽な子育てなんてどこにも無いよ

息子が成長した 私は?

病気の大変 苦しんでるよ沢山

辛いよね 苦しいよね 悲しいよね

まだ 命あるよ 今 生きてるよ

もう少し頑張ってみようか

脳性小児麻痺の 私は?

身体が不自由でも 生きてるよ

悩みながらも 生きてるよ

みんなで みんなで 支えてくれてるよ

沢山大変はあるよね~

私の大変は 大変じゃ~無いよ

当たり前に生きてるもん


会いに行くよ       2005・4・29 記

2005年04月29日 15時45分00秒 | 

鳥のように飛んで行けるなら

あなたに会いに行くよ

翼を大きく広げて

宇宙の果てまでも飛んで行くよ

あなたに会いに行くよ

車椅子にも翼をつけて

あなたに会いに行くよ

青い鳥のように

元気なあなたに会いに行くよ


風に乗って飛んで行けるなら

あなたに会いに行くよ

赤い風船のようにふわふわと

宇宙の果てまでも飛んで行くよ

あなたに会いに行くよ

車椅子にも翼をつけて

あなたに会いに行くよ

春風のように

元気なあなたに会いに行くよ


春の笑顔         2005・4・28 記

2005年04月28日 21時42分00秒 | 

朝の柔らかな光りの中

春の笑顔を見つけたの

緑の葉に身をまとい

あなたはそこに立っている

沢山の枝をはりめぐらせて

ピンクの妖精たちが命の終わりになろうとも

あなたはそこに立っている

人に癒しを与え

小鳥たちの安らぎの場となり

道行く人に微笑みかけて

あなたはずーとそこに居る

私もずーとここに居る

あなたの優しさに見守られながら


事故が起きる度に思う事   2005・4・27 記

2005年04月27日 14時49分00秒 | コラム

書こうか 書くまいかと随分迷いました。
私のような考え方をなさる方が居られないだろうと思うからです。
列車事故に限らず、大きな事故が起きるたびに死者何名、負傷者何名と発表されます。私は死者よりも負傷者の事が気にかかります。何の障害も残らずに完治できれば良いのですが、何らかの障害が残ったら、その方の人生が変わってしまうからです。
手が不自由になられたら、まず困るのが自分の事が自分で出来なくなると言う事です。これは、実に悲しい事なのです。今まで出来ていた事が出来なくなる。これは相当に落ち込まれると思います。死んでたほうがましだと思われる方も居られると思います。仕事が出来なくなられる方も居られると思います。本人だけではなく周りの方をも巻き込まれるでしょう。その事が気になって気になってなりません。どんな慰めの言葉をかけても、その方の生きる力とやる気がないと立ち上がる事が出来ないでしょう。そんな時には、少しでも私の事を思い出してほしいです。
人間は強いです。どんな姿になろうとも生きて行けます。せっかく助かった命です。
生きてさえ居れば、ああ~、生きてて良かったなぁ~と思える時が来ます。
だから、力強く生きて行ってほしいなぁ~と思います。
頑張ってくださ~い。
亡くなられた方のご冥福をお祈り致します。


子育て  幼年期     2005・4・26 記

2005年04月26日 03時35分00秒 | コラム

子育ては、ほんとうに難しいです。私のような親を持つ子供も、また大変な思いをしたと思っています。息子は何も言いませんでしたけれど。私が出来なかった部分は母が代わってやってくれました。小さい子ほど親の出る幕が多いですよね。運動会・遠足・お遊戯会・七夕祭り・クリスマス会・ひな祭り・父の日・母の日・廃品回収等、其の他にもまだまだ沢山親の出る幕があって、子供と一緒になって活動する時、私も息子も大変でした。衣装を作ってあげたり、準備をしたり、お母さんたちの集まりに参加出来なくて、連絡事項が行き届いて無くて一人ぽつんとなった事もありました。
息子には申し訳なく、辛い思いをさせてしまいました。
私だけではなく主人も手が不自由でしたから、母に頼るしかありませんでした。その事だけは息子に申し訳なく思っています。
その頃の私は親の事で他の子供達から苛められないようにと、そればかり考えていました。どうすれば息子が苛めにあわず、皆と仲良く出来るだろうと考えていました。得意な事があれば良いだろうと思い、文字の読み書きを私が教えました。人よりも早く読み書きが出来るようにと、私は相当厳しい教育ママになっていました。緊張すると顔が引きつる事もあって、お母さんは怖いよと息子に言われました。それでも私は優しく接する事が出来ませんでした。
外国の女の子が幼稚園に来るようになった時、息子がその子とお喋りしたいから英語を習うと言い出しました。近所の子供達とも繋がりが出来ると思い習わせました。幼稚園から小学校4年生まで英語を習わせました。しかし学校の勉強がだんだんと難しくなってきて、親の私達には教えてあげる事が出来なくなってきました。塾に通わせました。この頃の息子はやんちゃでお喋りでした。
私は、息子が小さい頃からいつも言って聞かせていた言葉があります。それは、人間は顔や外見よりも心が大切で、人に優しく出来ない人は駄目だよ、自分には厳しく、人には優しくしなさいといっていました。母さんがこんなだから、駄目な人間だなんて言われたくないでしょう? だから優しい人になりなさい。優しくないと駄目だよ、と言っていました。私は相変わらず厳しくしていました。
そんな私に、主人と息子が抗議をしてきました。母さんは厳しすぎるよ、どうしてそんなに厳しくするの? 優しく出来ないのと言ってきました。私は出来ないとはっきり言いました。優しくするのは簡単でした。あなたが将来困らないように、人に苛められないようにしてるんだと言って聞かせました。納得できなかったようです。
でも、私は信念を曲げませんでした。息子が中学になると手はかからなくはなりましたが、すごく気を使いました。この頃の接し方は難しかったです。反抗期です。

この続きは、またにします。


平凡な生活       2005・4・25 記

2005年04月25日 02時37分00秒 | コラム

身体がご不自由ですけど独身ですか? と尋ねられた
今は独身です
花の未亡人なのです
身体は不自由かも知れない
脳性小児麻痺かも知れない
しかし その前に一人の人間であり
女性です
恋もします
人を好きになる事もあります
恋をして
結婚をして
子育てをした
ごくごく平凡な普通の人生なのです
周りのものは反対するだろう
なぜ他の人に出来て 私に出来ないの?
色々心配してくれるのはわかっているよ
身体が不自由だから
脳性小児麻痺だから
結婚してはいけないと言う方が可笑しいと思うよ
22年の結婚生活の中で 苦労もしたよ
喧嘩もいっぱいしたよ
今はそれも思い出
一番大変だったのは子供の幼稚園時代だよ
3歳になった息子を朝、起こして、ご飯を食べさせて、着替えをさせて、お弁当を作るんだよ
主人は仕事に行くから手伝ってもらえなかったから一人でするしか無かったよ。
右手が全然動かなかったから左手だけでするでしょう。
人の何倍も何倍もの時間がかかり、いつも幼稚園に着くのが一番びりになっていました。
息子を幼稚園まで送って行って、帰って来たら疲れてぐったりで何も出来ませんでした。
寝ていました。午後2時になり、幼稚園まで息子を迎えに行って、買い物に行きます。
それから夕食を作り出します。
普通健康な方でしたら30分もあれば夕食がテーブルの上に並べられるでしょう?
私は4~5時間かかってやっと出来上がって食べさせる事が出来ていました。
夜7時にやっと主人が仕事から帰って来て息子をお風呂に入れてくれて、寝かせてくれました。
それから私は、後片づけをしたり、洗濯をしたりしてから、次の日の朝の食事を作ったり、お弁当を作ったりして、寝るのは3時4時になっていました。
これが3年間続きました。 とても、とても、大変でしたよ。
でも、今は結婚して良かったなぁ~、息子がいて良かったなぁ~と、心から思っています。
主人や周りの方の協力も沢山してもらいました。
お陰で息子もぐれずに、今無き主人の代わりに、私に一生懸命に尽くしてくれます。
とても優しくて とても頼もしいです。
息子がいてくれて本当に良かったです。
障害があれば苦労は人の何倍もあるでしょうけど、喜びも大きいです。
平凡な生活が出来てとても幸せです。


命             2005・4・24 記

2005年04月24日 01時42分00秒 | 

決してやってはならない事 殺人

決してやってはならない事 自殺

どちらも 命 だよね

人の 命

自分の 命

どうして大切に出来ないんだろう?

命あるもの全て何時かは死ぬんだよ

なのになぜ?

最低 最悪だよ

確かに生きていると苦しいだろう

確かに生きていると悲しいだろう

その苦しみを乗り越えてこそ楽しみがあり

その悲しみを乗り越えてこそ喜びがある

せっかく生きているんだよ

病気をしていても

笑える時もあるでしょう?

身体が不自由でも

楽しい時もあるでしょう?

泣きたい時には泣けば良い

悲しい時には悲しいと言えば良い

苦しい時には苦しいと言えば良い

生きているんだから

足が無かろうと 命はあるよ

手が無かろうと 命はあるよ

もっと もっと 大切にしようよ

人の 命

自分の 命

大切なんだよ 生きる事は


蓮華畑          2005・4・23 記

2005年04月23日 04時36分00秒 | 

車の通りの一角に

蓮華畑を見つけたよ

ピンクで織り成す

蓮華の花が肩を寄せ合い歌ってた

春が来たよと歌ってた

可愛い春が そこにあり

私の心も弾みだす

いつしか一緒に口ずさむ

春が来たよと歌いだす

遠い昔の思い出の

課外授業を思い出す

蓮華畑のじゅうたんに

腰を下ろして写生した

白い紙に緑とピンクが織り成す

蓮華畑を書いたっけ

暖かな日の光りと

綺麗な空気に

のんびりとした時間が

通り過ぎて行ったよな

今、懐かしくよみがえる

田舎道じゃないけれど 遠い昔が今ここに

友の笑顔も 今ここに

みんな元気でいるだろか?


平和な日々       2005・4・22 記

2005年04月22日 07時33分00秒 | 

私に力を貸して下さい

何事もない日々が送れるように

私に力を貸して下さい

優しい笑顔を消さないように

私に力を貸して下さい

静かな 静かな 朝の光を迎える為に

私に力を貸して下さい

希望の日々を迎える為に

私に力を貸して下さい

地球の全てのものが美しいままでいられるように

私に力を貸して下さい

動物も 花も 鳥も 人も 傷つかない為に

私に力を貸して下さい

綺麗な地球を守りたい

あなたの力を貸して下さい

平和な日々でいられるように


春             2005・4・22 記

2005年04月22日 04時19分00秒 | 

春だよ

四月だよ

桜の花も散った

なのに 寒い

なぜ?

地震がよく起きてる

いつもと違う 春

葉桜が勢いをましている

なのに 寒い

なぜ?

もうじき五月

端午の節句だ

なのに 寒い

なぜ?

いつもと違う 春

何かが可笑しい

春が来ない

私の中にも

大きな 大きな

地震は来ないでよ

困らせないでね

平和な 春を連れて来て

いつものように

穏やかな

平和な 春を連れて来て