駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

府中は不忠か

2008年10月28日 08時10分28秒 | ナイーブなモノローグ
▽駿府城巽櫓(たつみやぐら)


▽発掘された本丸堀(内堀)、向こうに見えるのは東御門(左)と巽櫓



かつては「府中」と言われていた「静岡」ですが、
現在「府中」とよばれることはほとんどなく
地元の地名や施設の名前に採用されている例も皆無といった状況です。

もちろん
府中という地名は全国のあちらこちらにあって
区別しづらいということも理由のひとつだとは思います。
それにしても全く使われていない現状は
ちと徹底しすぎているような気がします。

考えられることは
静岡が徳川宗家(そうけ)の言わば本拠地
(最後の将軍の慶喜のあとの16代家達が
短期間とはいえ一大名になりさがって静岡に来たことは、
静岡の人以外にはあまり知られていないのかもしれませんが・・・)
であったことが大きく影響していると思われます。

それまでとは立場が逆転したので、
新政府ににらまれたりしたらたまらないと
相当気を使っていたのでしょう。
なにしろ、「府中」は「不忠」に通じるからと
「府中」の名を捨て去り、「静岡」に改称してしまったのですから・・・

府中が不忠に通じるというのは
京都の方広寺の梵鐘に刻まれた「国家安康」の文字に難癖をつけられ
豊臣家を滅ぼす口実にされてしまったような
今となっては少々滑稽な“はなし”なのですが
当時としてはそれこそ真剣に考えられていたのでしょう。

(まあ、「江戸」も「東京」と改称されてしまったので、当時はそれが普通で、
特別なことではなかったというとらえ方もあるのかも知れませんが・・・)

また、明治政府に媚をうるかのように
駿府城址に34連隊を積極的に誘致したことなども
そういった当時の世の中の気配に配慮した(最近は「空気を読む」というらしい)
考え方の延長上にあるのでしょう。
(したがって、駿府城本丸堀を壊すなど、なんのためらいもなかったのでしょう。)

そういった時代背景から
「府中」が全くと言っていいほど使われなくなり
「駿府」がより多用されるようになったように思われます。

(もし、静岡と改称されていなかったら
県名も「府中県」になっていたかもしれないなどと
他愛もないことを考えたりもします。)


以上、もちろん文献等に裏打ちされたものではなく
主観的、独善的な思考に基づくものです。
田舎の爺さんの繰り言程度に読んでいただけたら幸いです。