▽四丁目のオブジェ
上は天秤(?)、下はかんざし(?)をモチーフにしたベンチ
▽1826年創業の唐木屋薬局:ここが四丁目であったことが分かる
▽ここを本来の目的に使っている人を初めてみた。(雨上がりで座面が濡れていたため反対側に座っている)このベンチのモチーフは・・・う~~ん(!!!)
◆「旧 呉服町四丁目」は、呉服町通り沿いのうち、七間町通りとの交差地点(いわゆる札の辻)から下石町通り(現青葉通り)との交差地点までの1丁(約108m)の町(いわゆる両側町)でした。
上方方面からの旧東海道は、七間町通りを北進して札の辻交差点で直角に東へ曲がります。
したがって、旧呉服町四丁目以東は当然に旧東海道ということになるのですが、この当り前のことだと思っていたことも、最近は知らない人もけっこういるようです。
それというのも、七間町通りもそうなのですが、呉服町通りには旧東海道であることを表示するものがいっさいないので、知る機会もないのかもしれません。
それはともかく、静岡の繁華街は旧人宿町三丁目、七間町通り、呉服町通りと旧東海道沿いに繁華街が形成されています。
(静岡の中心商店街は、個人的には東海道沿いの繁華街がたまたま静岡駅方向に延びたにすぎないと思っているので、TVなどで駅前の紺屋町以外の七間町や呉服町も含めて十把一絡げに「駅北の繁華街」という言い方をされるのには多いに違和感を感じています。)
このうち、旧呉服町四丁目~六丁目は1960年ごろいっせいに不燃化対策として共同ビルに建て替えられました。
(建て替え中に、青葉通りに仮店舗が作られていたのは覚えているのですが、建て替え前の呉服町通りの様子は、残念ながら明確な記憶がありません。)
この不燃化対策が短期間にいっせいに行われたということは、商店街の振興ということはもちろんなのですが、1940年の静岡大火が、中心部からはやや離れた場所(新富町一丁目28番地の馬力屋)で発生した火災にもかかわらず、その飛び火によって中心部が全面的に焼けてしまったということが、当時はまだトラウマのようになっていたのではと思われます。
この呉服町の近代化を契機として、七間町と呉服町の地位が逆転したような気がします。
当時としては画期的な不燃化対策でしたが、商店街としての統一感は見事に図られているものの、現在の感覚からすると各商店が没個性化しているのも否めないような気もします。
▽インテリアの八幡屋の店先はいつも楽しい
▽北側の角はかつて協和銀行が、その向こうの5風来館の場所には70年ごろまで静銀呉服町支店があった(その後ユニー等を経て、現在は無印良品・スルガ銀行)
◆旧呉服町四丁目を現在の町名で言うと・・・呉服町二丁目1番地、2番地(町名変更は1945年)
◆アクセント
「呉服町」の伝統的地元アクセントは、「低高高低低」です。(「チョウ」が東京の有楽町と同じシラフ))
呉服町は、静岡市の代表的繁華街ということもあり、放送などで取り上げられることも多いのですが、
最近は地元放送局のアナウンサーも静岡育ちでない人がほとんどのためか、
ゴフクチョウを「低高高高高」と「チョウ」を大福帳のようなアクセントで読むことが多いようです。
そのせいか、最近は若い世代を中心に「低高高高高」というアクセントで話す「大福帳病」が蔓延(?)しており、
伝統的地名アクセントの破壊が進行しているようです。
◆方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって呉服町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。
◆その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。
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