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駿 府 は 96 か 町

駿府はちぃっと覇気がないけぇが,御所(ごせ)っぽくていいじゃん【ごせっぽい≒平穏でせいせいしている様】

両替町二丁目(りょうがえちょう にちょうめ)

2008年07月23日 15時28分26秒 | 駿府96か町のいま
▽旧両替町二丁目の街なみ
 (両替町通りは電線が地中化されているのですっきりした街なみとなっている。)




▽銀座跡の碑


旧【両替町二丁目(りょうがえちょう にちょうめ)】は、
両替町通りの西から2ブロック目、
上石町通りと人宿町通りの間の東西一丁の町でした。
(現在の両替町一丁目は、おおむね旧両替町一丁目~三丁目を合わせたもの)

ここは、駿府銀座があった場所で、
商店街などに付けられている銀座などではなく本来の銀座があったところです。

江戸の銀座は駿府の銀座を移したもので、江戸期の町名は「新両替町」でした。


(町名変更は1945年)



アクセント
両替町のアクセントは、「低高高低低低」です。
最近は地元TV局のアナウンサーも静岡育ちでない人がほとんどのためか、
「低高高高高高」というアクセントで読まれることが多く、
伝統的地名アクセントの破壊を助長しているようです。

方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって呉服町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。

その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。
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両替町一丁目(りょうがえちょう いっちょうめ)

2008年07月23日 06時00分00秒 | 駿府96か町のいま

▽伝、十返舎一九の生誕地




旧【両替町一丁目(りょうがえちょう いっちょうめ)】は、両替町通りの西端、本通りと上石町通りの間の東西一丁の町でした。
(現在の「両替町一丁目」は、おおむね旧両替町一丁目、二丁目、三丁目を合わせたもの)

ここには、静岡大火(1940.1.15)、静岡大空襲(1945.6.20未明)からも奇跡的に難を逃れた
“伊伝”の渡辺家の持仏堂「不去来庵」があります。

また、駿府の町奉行の同心の子である十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の生誕の地であると
言われています。

なお、両替町の名は旧二丁目に銀座が置かれ、金や銀の両替商が軒を並べていたことに由来します。

この旧一丁目の北側ブロックは、近年再開発計画が持ち上がっています。
近い将来大きく変貌してしまうかもしれません。

余談ながら、地元では「りょうがエちょう」の「エ」は、「イ」に近い「エ」で発音されることが多いようです。


▽伊伝さんの持仏堂




旧「両替町一丁目」は、おおむね、現「両替町一丁目」のうち1番地・2番地
(町名変更は1945年)



アクセント
両替町のアクセントは、「低高高低低低」です。
最近は地元TV局のアナウンサーも静岡育ちでない人がほとんどのためか、
「低高高高高高」というアクセントで読まれることが多く、
伝統的地名アクセントの破壊を助長しているようです。

方位の表記について
駿府の町割りは方位に対して傾いているので、
JR線や国道1号を東西に見立てた方位がよく使われているのですが、
ここでは(特に碁盤の目地区)、より実際の方位に近い
「札の辻を起点にして城のある方向を北」とした方位の表現をします。
したがって呉服町通りは東西、七間町通りは南北の通りということになります。

その他
記事内容は誠実に書いているつもりですが、内容の正確性を保障するものではありません。
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