ネタバレ多し。自己責任でお願いします。
東日本大震災が物語のキーになるということで、映画『天間荘の三姉妹』との共通点もあり
ついつい比較してしまうのですが
『天間荘の三姉妹』は北村龍平監督の「想い」が強すぎて、後半の展開がメチャメチャになってます。
特に、のんちゃん演じるたまえが「あの世」から「この世」に帰ってきた途端、いきなり元気に動き回っている。
いやいやいや!交通事故にあって臨死状態だったはずでしょ!?魂が戻って生き返ったにしても、肉体が回復するには時間かかるでしょ?リハビリとか必要でしょ?それらが全部すっ飛ばされてる。あれで台無しになっちゃってるところ大。
でものんちゃんのお陰で、その強引さが感動の方向に見事に軌道修正されているんです。特にラストのイルカショーのシーンは、のんちゃんでなければ上手く行かなかった。
『天間荘の三姉妹』の高評価はすべて、のんちゃんのお陰。
北村龍平監督の「思い入れ」の強さはわかる。でも、でも思い入れが強すぎて、それが映画を壊しちゃってる。ホント、のんちゃんでなければ、ああ上手くは言ってないですよ。
でも監督の強い想いと、それ故の破綻ぎみの展開と、のんちゃんという存在が、結果として観ているこちらの感情を強く揺さぶることになる。
感情がぶるんぶるん揺さぶられて、最後は感動へと持っていかれる。
こういうの、結果オーライっていうんですかね?
それに比べて、『すずめの戸締り』ですが
こちらは上手く纏められていて、ほぼ破綻はない、と言って良い。
その代わり、強く感情を揺さぶらることもなく、結果として強い感動もない。
映画としては破綻なく卒なく纏められていて、テンポも良い、キャラクターも良い、声優さんの演技も良い。
でも、こちらの心に「ガツーン」と来るものがないんだよなあ。
なんかねえ、クリエイターの「狂気」みたいなものが感じられないんですよ。この方の初期作品には、「狂気」があったように思うんです。
『秒速5センチメートル』とか『言の葉の庭』とかね。
でもこの作品には「狂気」がない。
新海誠、
変わったね。
それが悪いとは言いません。実際この作品は悪い作品ではないし、普通に良い映画に仕上がってると思います。
作中の様々な設定は大変興味深く、特に個人的に興味深かったのは、「閉じ師」という設定ですね。
大災害の発生を鎮めるために、災害の発生源である「後戸」を閉めるために日本中を旅している者。
後戸のカギを閉める際に唱える、大地への感謝を込めた祝詞。
またダイジンと呼ばれる猫のような不思議な生き物は、ときに可愛らしくときに邪悪に見え、
ときに冷たく、ときに優しい。
善でも悪でもどちらでもない、まさしく日本の「神観念」に則った存在。
1番良いなと思ったのは、主人公すずめを救うものですね。
『天間荘の三姉妹』では、東日本大震災で亡くなられた方々の側から、現世に残された遺族の方々へ向けてメッセージが送られ、遺族の方々の心を癒す、救うという展開でした。
『すずめの戸締り』の主人公・岩戸鈴芽は、東日本大震災で母親を亡くし、叔母に引き取られて九州で暮らしています。
後戸の向こうには「常世」があり、そこは死者の赴くところだとか、だからこれは、最後に鈴芽の母親が出てきて、鈴芽の心を救うのかと
思いきや
母親は出てこない。
その代わり、常世で鈴芽を救うのは
鈴芽自身なんです。
安易に母親を登場させず、最終的に己を救うのは己自身だという展開。
新海さん、狂気はなくなっちゃったけど
良識は持ってるから、
まっ、いいか。
良識を持って卒なく纏められた、良質なアニメだと思います。その代わり
ドキドキもワクワクもあまりなかったですがね。
決して悪い映画ではないです。ガツンとくるものはないですが。
※「後戸」とは、仏堂のご本尊の背後に設えられた扉のこと。この扉の向こうには、より根源的な神が祀られており、人が立ち入ることは許されない。
そこに祀られている神は「摩多羅神」であり、芸能の神でもあるとされています。この摩多羅神の正体、ある方の見立てによれば
「シバ神」でありまた、「スサノオ」でもあるとか。
荒ぶる神スサノオを祀る後戸を閉め、大地を鎮め災害を未然に防ぐ。
その際に唱える、大地への感謝を込めた祝詞。
個人的には、この点が1番面白かった。
以上、『すずめの戸締り』感想でした。