トウと善児の違いはなにかというと。
善児には心がない。人を殺すことになんのためらいもない。
それが、預かった一幡に懐かれてしまい、愛しいという感情が蘇ってしまう。
善児が失敗した原因は、人の心が蘇ってしまったことにある。
トウはどうだろう?私が思うに、トウは最初から人の心を持っているように、私には思える。
善児の場合、人を殺すにためらいはなく、スーっと寄っていてあっさり殺しちゃう。
でもトウの場合、まずは一呼吸置いて、決意を固めてから向かっているように見える。
そのせいか、成功率が極端に少ないよね。善児が最後以外はすべて成功させているのに対し、トウはほとんどなし得ていない。
これは三谷さんの「優しさ」なのかな、なんてことを思いながら、トウのことを観ています。
政子が発作的に自害しようとしたときに、これを止めたのがトウだった。これには驚きもしたけど、なにか心震えるものを感じましたね。
子供たちのことを思い、自ら命を絶とうとする母親の姿に、政子の姿に、トウは感じるものがあったのでしょう。
トウには、人の心がある。
物語の終焉まであとわずか。トウがどのような活躍をするのか。おそらくはこちらの想像の遥か上を行く、重要な役割を果たすのではないかという気がする。
いずれにしろ、トウには
生き延びて欲しいね。
それにしても、実朝暗殺。
三谷さんは「優しい」と書いたけれど、一方でとても「鬼畜」な脚本を書くよねえ。
大竹しのぶ演じる歩き巫女が、実朝に「運命に逆らうな」と言うんです。実朝は公暁に襲われた時、その言葉を思い出して死を受け入れるわけですが、
この歩き巫女。すっかりボケてしまっていて、誰彼かまわず同じことを言って歩いているだけだった。だから
実朝のために発した言葉でもなんでもなかったわけです。
実朝は、そんな言葉に従う必要などなかった。
実朝は最後の最後まで、真面目で良い人過ぎた。そんな実朝の性格をついた、あまりに酷い、残酷な展開を書ける三谷幸喜って。
「鬼畜」だよねえ。
公暁の死の哀しさ。三浦義村の非情さ。
その義村と義時の、本音の読み合い、化かし合い。
そしてそして、劇中最大の悪役、源仲章の最期。
「寒いんだよ~!」と言いながら死んでいく哀れさね。己の身に起こっていることが理解できない、理解したくない。
もう少しで望みが叶う、一歩手前まで行った時点での、突然の凶事。それを受け入れられないまま死んでいく。
憎たらしい奴でしたが、その最期は哀れでした。
さて、もう12月です。残るは承久の変と、義時の最期のみ。
最後まで、楽しませてくれよ。