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あみたろう徒然小箱

お気に入りのモノに囲まれ、
顔のつぶれたキジ猫と暮らせば、あぁ、極楽、極楽♪

ウォーキングの必需品  優れもの〔歩数計〕

2015-10-22 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症


体力と下肢の力が弱った私は、日々散歩に励む毎日です。
歩数計をポケットに、6000歩前後(3.5~4㎞)を日課としています。
前の歩数計が壊れたのを機に「オムロン歩数計ウェルネスリンク」に取り替えました。
クチコミをしっかりチェックして購入したら、評判通り納得の優れものでした。

総歩数には、早足でしっかり歩いた歩数も、
だらだら歩きで買い物していた歩数も含まれてしまいます。
時速4㎞の速度で歩いた歩数は「エクササイズ(EX)歩数」と表示され、
これは総歩数数値に惑わされないための必須機能。
さらにウェルネスリンク歩数計には、10分以上連続で歩いた「しっかり歩数」も表示され、
ウォーキングの傾向を的確に分析することができます。

            
つい足を止めての花パチリ。理想的な健康歩行とは反比例するけれど・・・  

私はもともと早足気味なので、
総歩数に対する「EX歩数」の比率は3分の2と多いものの、「しっかり歩数」は半分以下。
日によってムラがあり、かなりだらけて歩いていることも。
歩きながら通りすがりの花壇を観察するので、
綺麗な花が咲いているとつい立ち止まり、ついでにスマホで撮ることもあります。
さらに、お気に入りの野良猫と道でばったり遭ったり、
好みの犬が散歩していたりとか、立ち止まることしばしば。
(お気に入りの野良猫に関しては次回に・・・、私、思わず顔がほころびます。。。)
気が散るウォーキングの典型です。
狭窄症術後の回復トレーニングとしては、もう少し「しっかり歩数」を増やさなくては。
ちなみにウェルネスリンクの表示仕様は以下の通り。

歩数/歩数測定
エクササイズ歩数/3METs(4km/時)以上の歩数
エクササイズ量/身体活動の「量」を表すエクササイズ量表示
区間計測/特定区間の歩数を個別カウント
しっかり歩数/10分以上の連続歩行
しっかり歩行時間/10分以上の連続歩行時間
距離/歩行距離
消費カロリー/消費カロリー表示
脂肪燃焼量/脂肪燃焼量表示
時刻/時刻表示



専用のUSB通信トレイに乗せ〔転送〕ボタンをONすると、データをサイトに記録できる
歩数計本体には35日間の記録が残っているので、
添付のUSB通信トレイに乗せてパソコンにデータ転送し、
ウェルネスリンクのサイトにデータを残こします。
それをグラフ化することもできて、ウォーキングの特徴を掴むことができます。
ちなみに、サイトに登録しているウォーキング人数238062人中29258位という成績とか。
ついでにこんなメッセージも。
【最近のあなたの傾向】
最近1週間のしっかり歩行(10分以上の連続歩行)での速さは、週末にゆっくりめとなっています。
健康づくりのためには、少し速めに歩くのがおすすめです。
メッセージ更新 : 2015年10月20日


もともと記録好きですから、これはもう励みになるおもちゃを手に入れた感じでしょうか。

ウェルネスリンクのサイトに対応機器を使って計測したデータを転送すると、
ぐっすりプログラム、睡眠手帳、朝晩血圧手帳、朝晩ダイエットなどにも活用できますが、
いくら記録好きとはいえ、私はここまで。

痛い生活と腰掛けにくい生活 〔お・わ・り 〕

2015-10-09 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
「(腰部脊柱管狭窄症の)手術後はいかがですか?」
「どの程度動けるようになったんですか?」
話す人ごと、またメールをくださる人ごとによく尋ねられることです。
皆さんいろいろ心配してくださって、心から感謝です。

今回のことで知ったのは、腰痛の人の多いこと。
人によって治す手段もいろいろで、
とりあえずは、整体、接骨、カイロプラクティック、鍼灸、
専門医にかかり、投薬、ブロック注射、手術、リハビリなど。
どうやって治そうかと試行錯誤している人の多いこと。
手術しかないと判っても決断できない人、
手術するならどの病院が? 医師は? と思案する人、
2度も手術したのにいまでは海外旅行にも出かけている人(ポタッと、羨望の涎の私)など。

最近痛感していることは、術後の経過は十人十色ということです。
術前の腰部の状態と症状は人さまざまですから、術後の快復だって人さまざま。
手術に至る年月も違うし治療経過も違う、違って当たり前です。

手術前、用意したメモを見ながら執刀医に、
術後はコレができるようになりますか? アレは? と、事細かに質問しました。
医師は困惑の表情を見せ、
「迷いがあるなら、いまは手術をやめておきましょう」とひとこと。
いまの私なら、予後の明解な答え等ないのだとよく解りますが、
その頃の私は手術が怖かったから、少しでも納得したかったのです。
止めましょうと言われて慌ててスイッチを切り替えました。
私のように酷い状態だと、例え症状が軽くなってもいずれ繰り返すことが多いからです。
患者は、「治ります、痛くなくなります、歩けるようになりますよ」という答えを切望しています。
しかしそのような確約、できるはずがありません。
たくさんのケースを見てきた医師なら、明言できないのはやむを得ないと思います。

さてさて現在の私はというと、3歩前進1歩後退といったところでしょうか。
つい先日までは、3歩前進2歩後退がやっとでした。
いまも朝は苦手
起床後2、3時間はあまり良くなくて、
立っていると左脚付け根が痺れてきて痛くなり、横になると解消します。
それも少しずつ頻度は少なくなっていますが。
予測できない体調
ときにまだ間欠跛行が残っています。
歩き始めてみないと、痺れ&痛みが来るのか、あるいは元気にスタスタと歩けるのかが判らない。
下肢を鍛える目的もあり、1日2.5~5kmを歩いていますが、
昨日は4km楽々と歩けたのに、今日は2kmも行かないうち痛みが来て早々に帰宅ということも。
この浮き沈み、歩き始めてやっと判るという予測不能にようやく慣れました。
長く腰掛けるのは苦手
腰掛けたままでいるのは、最大2時間でしょうか。
腰からの声に乞われて立ち上がってあれこれ動くと、
渇いた喉が潤うように腰部がホッとするのが判ります。

手術後再発した人、3か月経って急に悪くなった人、手術したのにずっと芳しくない人も。
まれには一週間後からめざましく快復という人も。
手術は、治療手段の1つに過ぎません。
とはいえ、狭くなった脊柱管は手術により物理的に広げることができるのは確かです。
私の場合、あまりの痛さと生活レベルの低下に堪えきれず、あっというまに手術を選びましたが、
それぞれ各人が試行錯誤してもっとも納得できる治療を見つける以外ないでしょう。
ただ、良くなったり悪くなったりをあまり長く繰り返さないうちに手術の決断をした方が、
その後の予後が良いとよく言われます。
あまりに長い間患っていると、腰部や脳に痛みの原因をあれこれ作ってしまうからです。
その点「発症後決断が早かったから、予後が良い可能性が高い」
とは近所の整形外科医の弁です。
さて、どうなることやら。

誰にも言えることは、術後は一本調子に良くなるなどと考えないことだと思います。
私の場合いま確実に良い方向に向かっていますが、
たった2か月半の行程であっても、
登り道には洞穴あり大きな岩ありと、平坦ではありませんでした。
それでも現在は上に向かって進んでいます。

一年後はどうなっているだろうかって?
後戻りしているかもしれないし、もっとずっと良いかもしれない。
脊柱管狭窄症の再発率は1割というではありませんか。
だからそれは私の腰ですら“判らん”そうな。
でも再びあのときのような酷い状態に見舞われたら、私はまた手術にトライするでしょう。

もうバタフライが泳げない、という現実が残念です。
一方では“一番苦手なバタフライをもう泳がなくてもいいんだ”とホッ。
ものごとは単純じゃない、裏があれば表もある、禍を転じて福となすというじゃないですか!
福転じて災いがやってきても、いつかまたその逆もあるかもしれない。

まだまだ途上にいる狭窄症生活ですが、これで〔お・わ・り〕。

付録1/腰部脊柱管狭窄症をしっかり把握できる本
腰部脊柱管狭窄症に関する本はたくさん出ています。
3冊ほどを購入、店頭でもいくつかを点検しました。
半信半疑の民間療法の本も多々あり驚きました。
もっとも参考になった本は、
腰椎椎間板ヘルニア・腰部脊柱管狭窄症 正しい治療がわかる本
椎間板ヘルニアと狭窄症について解説しているので、
狭窄症だけを知りたい人にはやや煩わしさがありますが、
定評ある専門医の執筆、聖路加病院長の責任編集とあるだけに期待を裏切らない充実ぶり。
発症、診察、検査、診断、治療方法の選択、リハビリ等が、
正面から分かり易く系統立って説明されています。
全行程を真面目に理解するための本です。

付録2/参考になるリハビリのサイト
画像や図解がないのが残念ですが、
「痛みからの解放を目指そう腰部脊柱管狭窄症ガイド」
状況に合わせ以下の4段階的にくわしく展開していて、とても参考になります。
姿勢でリハビリをする
ストレッチでリハビリをする
体操でリハビリをする
筋トレでリハビリをする

痛い生活 〈腰部脊柱管狭窄症〉 付録

2015-08-24 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
手術後、1か月が経ちました。
緩やかながら、確実に良くなっています。
順調に歩行距離をのばしていたというのに、
左足の痺れが思いの外強い日がやってきたり・・・・。
2歩前進1歩後退?
ま、それもあるんじゃないの? 
“これは一本調子に良くならないのが常”とわきまえて、一喜一憂しないことにしています。

◎腰からの声を聞く
術後やっと1kmぐらいだった歩行距離も次第に延び、
2.5~3.5kmは楽々歩けるようになりました。
苦手になったことと言えば、ずっと座っていることでしょうか。
だいたい1時間ぐらい座ったところで、
「そろそろ動きなさいよ」と腰からやんわりアピールが。
そこで机の上にタイマーを置き、1時間経ったら立ち上がるようにしています。
台所仕事をしたり雑用で立ち仕事をしていると、腰がほっとするのが判ります。
おかげさまで、すっかり家事雑用が好きになりました。


病院から配られた数々の資料。
手術前注意、手術後注意、術後のストレッチ法、データ等が記載されている


姿勢別腰部への負荷表

◎これは役立つ! 《姿勢別腰にかかる負荷》比較表

病院からいただいた数多い資料の中に、姿勢別腰にかかる負荷表があり、
とても参考になるのでご紹介します。
 《体重70㎏の人の、姿勢により腰にかかる負荷》 
良い姿勢で立った時の負荷を100とした場合、姿勢別に見ると以下のようになります。
仰向けに寝る・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25
やや前屈みで立つ・・・・・・・・・・・・・・・・150
中腰で立ったとき・・・・・・・・・・・・・・・・220
良い姿勢で座ったとき・・・・・・・・・・・・140
腰を落とし畳等に座ったとき・・・・・・185
前屈みで座ったとき・・・・・・・・・・・・・・275
注目すべきは前屈みで座ったときの負荷の多さで、
背筋を伸ばさずやや丸めた姿勢で座ることが、他に比べいかに負担をかけているかが判ります。
理想的な姿勢で座ろうと思いつつも、実際にはその姿勢を保つのは大変です。


理学療法士の方に細かく指導されたところによると、
理想的な座り方・立ち方は、
頭のてっぺんから糸で吊り下げられているようなイメージでいることで、
具体的に言うと、耳と肩の前とが一直線になること、
その線の先には膝のお皿とくるぶしの前方が来ることだそうです。
お腹は腹式呼吸で息をはいた状態に凹ませ、胸を反らさず腰部背面をやや凹ませます。
座る姿勢も同様にお腹を凹ませ、腰部もやや凹ませる。
こうすると、腰に負担がかかっていない姿勢が容易に掴めます。
とは言え、維持するのはけっこう難しい。
何かに夢中になると、つい無意識にだらけた姿勢になってしまい、
知らないうちに負担のかかる前屈みの【275】になってしまうというわけです。
腰掛けている状態がいかに腰部に負担をかけていることか。
あぁ、注意、注意!

◎再発か否か? それは運?
8月中旬、退院後初めての診察がありました。
術前術後のMRIで説明されたところによると、
術前は、黄色靭帯等により脊柱管が非常に細くなり、
まるで、紐で首を絞められた鵜飼いの鵜のようです。
で、内視鏡内でトンカン、トンカンと黄色靱帯を取り除いたり、
そのほか不要な突起物を整理した結果、
首の紐を外された鵜の食道のように、スッキリ太くなっていました。
「わぁ~、こんなに違いがあるんですね」
思わず感嘆の声を上げる私。

「ところで先生、脊柱管狭窄症って再発もあると聞きますが、
再発予防にたいせつなことは日頃の姿勢ですか? それとも動作ですか?」
「それは・・・・、その人の運ですね」
う、運とな?
予想外の返事に困惑の言葉をのみ込む私でした。
姿勢や動作を注意すればよいというわけでなく、
もっといろいろの要素が絡むことで一概に言えないということなのでしょう。
う~む。

◎足首と太腿の虫食い痕は安全対策
入院中、ふと気づくと、両足首と両太腿の前面に、
大きめの虫に食われたような赤い痕が残っていました。
各箇所にそれぞれ2つずつ、合計8箇所の痕が。
しかも、表面がザラザラに擦れています。
特に足首の擦り傷は酷く一皮剥けてしまい、シャワーのごとに痛いこと。
肝心の手術痕は痛くも痒くもないのに、こちらの方がずっと関心事でした。

なぜこんなに赤黒い痕があるのかと看護師さんに訊くと、電極を付けたためなんだとか。
脊髄を通る神経に隣接する場所を手術するため、
万が一神経に触るようなことがあった場合すぐにそれと判るため、だそうです。
擦り傷になっているのは、
「貼り付けた電極が剥がれないよう、皮膚をヤスリで削ったからですよ」とのこと。
聞いてみないと判らないもの、
これは手術のための欠かせない大切な安全策だったというわけ。
手術痕は細い2㎝弱の線が一本という綺麗さなのに、
こちらは1か月経ったいまもしっかりと目立っています。
というわけで、しばらくスカートとは縁がなくなりました。

◎新病院はどこもピカピカ
稲波脊椎・関節病院の入院第一号、手術第一号の私は、何もかもが使い初めでした。
病室しかり、手術室しかり、シャワールーム、トイレ、あらゆる器具や備品しかり。

至れり尽くせりの装置や備品がある中でもっとも便利だったのは、
消灯すると点灯する壁時計でした。

新病院だけあって内装のセンスがよいことにも感心しました。
頭の中がキョーサクショーで満杯の私は当初まったく眼中になく、
お見舞いに来てくれた姪が目ざとく見つけてくれました。
「このフックすてき。この照明も、シンクの蛇口もデザインがお洒落ですね」

[モノのデザイン&機能] への日頃の関心が蘇り、私らしくなった瞬間でした。

痛い生活 その7 〈腰部脊柱管狭窄症〉 

2015-08-05 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
さて手術当日、点滴に麻酔が加わってまもなく眠り、
名前を呼ばれて目覚めるまでちょうど2時間でした。
足首・太腿・頭部への電極、酸素マスク、その他、
私が眠っている術前に装着、いよいよ準備万端整ったのはもっとあとのはず。
手術時間は40分間ほどだったそうです。
目覚めてからは以下の通り。

[手術当日]   寝返り可。飲水可、食事なし
[術後1日目]  早朝、点滴、心電図、血中酸素計、尿管を外し、シャワーと洗髪。朝食からテーブルに座って食事、歩行可。以後毎日、理学療法士の指導。レントゲン検査
[術後2日目]  血液検査。背中開口部に入れていたドレーンを抜く。(ドレーンは手術部位からの出血を取り除くため。管の先には固い素材の小型巾着袋が付いていて、そこに浸出した血液が溜まる)。廊下を400mほど歩く→快調。足が軽い感じ
[術後3日目]  CT検査
[術後4日目]  日曜のため血液検査ができず、明日退院となった
[術後5日目]  早朝血液検査。退院

以上のような経過を経て退院したのですが、
この病院の患者への説明システムはじつに至れり尽せりでした。
術前に、上記の過程を非常に詳しい表にしたプリントを渡され、
その他に以下のプリントを渡されます。
◎「手術を受けられる方へのご案内」
 (術前の制約等、手術当日の流れ、術後の流れ等の説明)
◎「術後の日常生活について」
  (姿勢と椎間板の働き・日常動作の椎間板に負担をかける指数・負担をかけない基本動作・退院後の生活の注意点・傷について・コルセットについて・術後の仕事復帰の目安)
◎「全身麻酔で手術を受ける患者の皆様へ」
 (術前の準備、手術室での行われること、終了後の状態と注意点)
◎「入院診療計画書」
◎「リハビリテーション実施計画書」
◎「手術後のケアとトレーニング」(図解入り動作・ストレッチの仕方)
上記とは別に、退院時には入院中、どのような検査をし、
麻酔、投薬、処置したか、検査名・薬品名、リハビリ等を記載した「診療明細書」が渡されます。
入院中、患者には数ページにわたる細かなアンケート調査がありました。
これは、今後の治療の参考にするのだそうです。

退院時にはリハビリテーション科から「他院される方へ」というプリントを渡されます。
それには病院のサイトにある 術後リハビリ動画 にログインするための、
IDとパスワードが記載されていて、
懇切丁寧な説明と共に術後に患者がやるべきストレッチ等が流れます。
これは退院する人だけに渡されるものですから、外部者はアクセスできても動画は動きません。
患者のことを考え丁寧で判りやすい説明と指導を提供するノウハウに感動してしまいます。

さてさて、術後の様子は? そのぐらい良くなったの? 
と、結果を焦るのは止めましょう。
なかには、術後すぐめざましく良くなる人もいるようですが、
回復の度合いはひと様々、いろいろな過程を経てゆっくり回復していくのです。
手術しても痺れをとるのは一番難しい、
術前の症状の3割は残ってしまうことがあるという説明を受けていましたし、
あの酷い痛みに比べれば、痺れなんてどうでもいいという心境です。
術後2週間のいまも痺れは残っています。
ちょっと不調かなと思う日は痺れがやや強くなりますが、
痛みも痺れも、術前の強さとは比べものになりません。
個人差があるのですから、回復の度合いが多少遅かったり、
やや後退したりと前後しても気にしないことです。
病院からの説明にも、
「術後3週間でだいぶ楽になり、さらに3週間経つといっそう楽になります。
そして3か月経つと違和感なく日常生活に戻れます。
(一般的な目安であり、個人差があります)」
 とあります。

すぐに劇的に良くなるわけではないという説明に関しては、
2番目に受診した東大和市のH病院の医師の説明が非常に判りやすいものでした。
脊柱管狭窄症を「畳の上に重い箪笥を置き畳を傷つけ、痛みを感じている」と例えて説明します。
(手術をして)重い箪笥を取り除いたからといって、
畳に付いた凹みがすぐに直るわけではありません。
箪笥が乗っていた期間が長いほど畳の凹みは酷く、もとに戻るのも遅くなります。
時間をかけゆっくり凹みは元に戻っていくのです。
箪笥が乗って圧迫している期間が短いほど直りも早いですから、
あまり長く置きすぎずに手術という決断をした方がよいでしょう。


また、脊柱管狭窄症の症状は再発もあり得ます。
それは手術の出来いかんではなくて、個人差の問題ですから覚悟の上。
できるだけそうならないよう腰への負担をかけない姿勢指導、
腰に負担をかけずに行う筋力アップのストレッチ指導がありますから、
それを励行して腰を守る筋力をつけることです。
そしてもし再発したとしても、これだけ負担が少ない手術と判ったいま、
今度は迷いなく手術を決意できるでしょう。

歩行距離は確実に伸びて、いまは軽く2.5kmぐらいでしょうか。
迷い迷ったものの、発症後たった3か月足らずで手術したいま、
私はすっきり明るい日々です。

さて以下は腰部脊柱管狭窄症になって以来の雑感です。
 【怖くなったこと】 
◎自転車が怖い(特に歩道をスイスイとすり抜けて走る自転車)
◎急に駆け出す小学生が怖い(下校時など数人でいる小学生が急にドッと走り出すとき)
 上記2つは、もしぶつかって倒れるようなことがあったら、
 まだ完全ではない私の腰部どうなるのだろうと心配してしまう。
◎ふかふかしたソファが怖い
 体が沈み込む体勢がもっとも苦手。背中や腰が丸まると腰に負担がかかるのが判る。
 ということで、まだ買って数年のソファの買い換え検討中。
 【受診の際に心がけること】 
◎病院を選ぶ (その症例をどれだけ多く手がけているか、手術件数を含め調べる)
◎医師を選ぶ (病院を選んでも医師を選ばなければダメ。担当医表から各医師の専門を調べ、名前検索で経歴と論文発表の内容を調べて、専門性の高さを確認)
◎看護師の対応が適切かつ親切かどうか(病院レベルと看護師教育の高さは正比例)

 【体に優しい便利グッズ】 
入院中に使っていて、退院後に即購入した枕がこちら。
仰向けに寝るとき、膝の裏側に枕等を置いて仰向けに寝るととても心地よいものです。
発症後、市販の腰痛用“膝裏枕”を購入しましたが、痛みが酷いときは堅さが気になりました。
入院中に病院で貸してくれたピーチの医療用ポジショニングピローは、
清潔(中身はソフトビーズ)で、柔らかさ、重さ、大きさともに非常に使い心地良いものでした。
退院後、市販品は処分し、こちらをすぐに購入しました。
ぜひお勧めです。

痛い生活 その6 〈腰部脊柱管狭窄症〉 出てきました

2015-08-04 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
手術を終え、病院から出てきましたッ。
ぶじ、退院したのです。
もう一つ出てきたものはというと、
脊柱管を広げるため除去した椎弓や黄色靱帯がどっさり。

ところでいままで頭文字で表記してきた病院名は、以後、実名で記します。
現在、腰部脊柱管狭窄症に苦しんでいる人に向けて、
少しでも参考にしていただけたらということからです。

手術したのは「稲波脊椎・関節病院」、3番目にようやく辿り着いた病院です。
正確には3番目は「岩井整形外科内科病院」ですが、
稲波脊椎・関節病院の母体となっているのが岩井整形外科内科病院で、
どちらも岩井医療財団:岩井グループです。
主な医師は共通ですから、同じ病院と考えていいのです。
稲波病院の前身は東京脊椎・関節病院といい、
建て替えて新病院となるのを機に、稲波脊椎・関節病院と名前を変えました。
羽田空港や新幹線からのアクセスを考え、品川にしたのだとか。

初めて岩井病院を受診した当初、稲波病院は開院直前で、
開院日に入院、翌日手術となりました。
朝一番の手術だった私は、新病院の方の手術第一号となったわけです。
岩井病院の方のサイトでじゅうぶんの情報を得ていましたから、
患者への負担が少ない“低侵襲手術”に重きを置いていると知っていましたが、
それにしても、手術はあっけないほど楽でした。

腰部背面を1.8㎝切り開き、そこから内視鏡を入れて椎弓を取り除く、
「内視鏡下椎弓切除術(MEL)」が正式な手術名。
私の場合、狭窄以外に飛び出ている部分(椎間板ヘルニア)もあって、そちらも切除しました。
執刀医の先生によると、
脊柱管狭窄症の人は単に狭くなっているだけでなく、
あちこちが飛び出たり、悪い部分が他にもあることが多いのだとか。
内視鏡下でそれらを綺麗に取り除いてできあがり。
比較的単純で特に問題もなく、術後4日で退院可能ということでした。

ところで岩井&稲波病院のサイトには各手術の解説付き動画が貼り付けてあり、
誰でもそれを見ることができます。
上記に貼り付けたのは、私がやった腰部脊柱管狭窄症の内視鏡手術です。
手術する人の中にはインターネットをやらない人もいるので、
必ず事前に院内でこの動画を見ることを義務づけられています。
岩井グループの患者もそうでない人も、他病院の医師も、
サイトからその動画を見ることができます。

また驚いたことに、
内視鏡手術教育の一環として他病院の医師が手術を見学することも容易で、
いままで多くの医師が実際に見学しています。
このあたりの情報開示レベルの高さには感心するばかり。
それに、希望すれば自分の手術動画のダビングを持ち帰ることも可能です。
私は希望しませんでしたが・・・。
至れり尽せりの情報提供。
しかし、いまではどこもというわけではなく、ここが特別と考えた方が良いようです。
というわけで患者は、じゅうぶんに情報を集め、納得した上で手術に臨むことができます。

話を手術に戻しましょう。
その動画によれば、内視鏡は長さ1.8㎝の開口部に入れますが、
狭い内視鏡の中に手術用ノミを入れ、
手術用金づちでカ~ンカ~ンと叩いて削り取るんですって。
もちろん私は麻酔で白河夜船。
歯医者のドリル音でさえも堪えられない私ですから、意識があったら気を失わんばかりです。
削り取ったほんの一部をサンプルとして渡されましたが、
ホタルイカの干物みたいな私の一部を捨てることもできず、いまも書棚にのったまま。
「先生、こんなに出てきたんですねぇ」
「いや、それはほんの一部です。もっとたくさんありましたよ」
「それにしても○○さんのMRI、酷かったですからね。
 今回手術しなかったとしても、いずれやることになるだろうと思いました」

えっ? そんなに酷かったの?
それなのに4月中旬迄あんなに元気に駆け回っていたじゃない?
このぐらいの狭窄状態になるには4、5年はかかるそうですが、
なぜそれまでは症状がなかったのでしょう?
あの激変は何?
だからあれだけ迷ったのです。
MRI画像の状態が酷いと判っていれば、あれだけ迷わなかったのに。

あのとき言ってくれればと、恨めしく思ってはいけません。
先生が言うように、痛みの感じ方は人によって様々。
私より酷い人でも、良くなったり悪くなったりを繰り返して一生を終わる人もいるし、
良い人でも痛みに堪えられず手術の人もいる。
だから、先生は本人に決断をさせたのです。
「あなたのMRI(画像)は酷いですよ」と言えば、
患者は、それじゃ手術しなくちゃと思うはず。
迷いなく“やりたい”と自らの意思が働き、症状もそれに加わる。
だからこそ納得して手術を決断ができるのではないでしょうか。
これは理にかなった選択のさせ方だと思います。

というわけで、あれこれ出てしまってスッキリの私。

具体的な情報はまた明日~♪


痛い生活 その5 〈腰部脊柱管狭窄症〉    「エイッ!」

2015-07-17 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
エイッ。
私は決断しました。
エイッと崖を飛び降りるんじゃなくて、手術台の上に飛び乗るのです。

6/29にI整形外科内科病院を受診し手術を決めて以来、
その後、次第に回復していきました。
それゆえに、手術を予約してからの2週間、手術か否か迷いまくりました。
手術決断時の歩行距離はたったの100m、
その後歩行距離は順調に伸びていったのです。
受診翌々日は200m、その翌日は800m、1200m、1400m、1700m
ちょっと痛みが出て1100m、1400m、1900m・・・・。
あぁ、悩ましい。
体のこわばりがある起床後1、2時間の立位の痛みはあるものの、
以前のように痛みが酷く声も出せないなどということはなく、
横になればまもなく回復します。

現状では1500mぐらい歩けるのですが、
困るのは歩き始めてみないと、今日はどのぐらい歩けるのか、
どのぐらい歩いたら痛みが出るのかが、自分でも判らないこと。
ベンチで5分休めばスイスイ楽に歩けるようになることもあれば、
歩いてみたらやはり痛いときもあります。
自分でも予測がつかないのが困りもの。
また、人が行き交う歩道や駅前を歩くのが怖くなりました。
もしも人とぶつかったら、その衝撃がまたあの酷い痛みを呼ぶかもしれない。
そういう恐怖がよぎるのです。

とは言え、この程度回復したらもうすぐじゃないか。
今後は薬と注射の保存療法で、騙し騙しやっていけるのではないか。
そう考えたら、手術を迷うのは無理ないことでしょう。
現に手術しない人もたくさんいるのですから。

その後行った手術前検査日、入院の説明をする看護師さんに尋ねてみました。
「こういう状態にまで回復しているので、いま手術を迷っているんです」
「それならキャンセルしましょうか? 全然かまいませんよ~♪」
嫌味でもなんでもなく、軽やかな返事が返ってきました。
「私、こんなに迷うなんて・・・・、皆さんも迷うんでしょうか?」
おずおず尋ねると、返ってきた話が面白かった。
「そりゃあ、迷う方多いですよ。
手術の数日前に、『止めます』と断ってくる方もいますし、
入院してベッドの上で『止めます』という人もいますよ
ヒャ~ッ、上には上がいるじゃありませんか。ha・ha・ha!
自分の優柔不断さに嫌気が差していたのですが、
すっかり安心して嬉しくなってしまいました。
やらなければ痛みの恐怖に恐れる日々とは言え、
命に関わるという手術ではありませんから、誰しも迷うのは無理ありません。
看護師さん、付け加えて曰わく。
「変更があるなら(取り止めるなら)、入院3日前まではこの電話へ、
 前々日か前日ならこちらの電話に連絡してください♪」
説明は軽やか、手慣れたものです。

しっかし、しかし、私はついに決断したのでした。
腰部脊柱管狭窄症を経験した何人かからの情報を聞き、それが後押ししたのです。

1)10年間患い、ペインクリニックにも通い続けたH氏。
 いまは元気に海外旅行も行き、スキーも楽しんでいる。
2)姪のお義母さま、友達の知人女性とも、手術後元気に暮らしている。
3)かつてスポーツクラブで知り合ったかなり年配の女性。
  息子に背負われてやっと病院へ。手術後はスポーツクラブで元気にストレッチ。
4)小学校時代の友人の兄上、手術をしていまは元気。
5)高校時代の友人は脊柱管すべり症で保存療法、良くなったり悪くなったりの繰り返し。
  常に痛み止めの加減に留意する暮らし。
  腰痛の痛みを知り、世の中には我慢できない痛みがあるのだと知った。(解る、解る)
6)高校時代の友人の義弟。手術しないでいるが、いつも強い痛み止めを離せない。
  こんなに強い薬を飲み続けると、そのうち胃に穴があいてしまうと言われた。
7)今回、I整形外科内科病院で知り合った腰部脊柱管狭窄症のAさん。
  50代から10年間良くなったり悪くなったりを繰り返し、強烈な痛みの中で来院。
 いつも悪くなるきっかけは様々だったそうだけど、
  今回は友人に誘われてバス旅行に行ったとき、出先で痛くなり動けなくなったとか。
痛みをこらえつつ彼女が繰り返し言うには、
 「腰部脊柱管狭窄症は治らない!! 
   絶対に、良くなったり悪くなったりを繰り返す!
  あぁ~痛い、痛いのよぉ~~」と、痛みに声は縮緬気味ながら断言するのでした。
  妙に彼女に親近感を覚える私。

などなど・・・・。
最後の7)の女性、ダメ押しの背中ドンでした。

リスクを伴うこと、再発の可能性もあることを承知の上で、  
私が手術を選択した理由を整理すると、以下のようなことからです。

◎脊椎の狭くなった箇所(狭窄部分)が広がる(改善すること)ことは、
 物理的に削り取る以外、決してない。
◎痛み止め、痺れをとる薬、血流を促す薬、ブロック注射などの
 保存療法を選択したとしても、いつまた悪化するか判らない。
◎悪化するきっかけは、何かも判らない、いつかも判らない。
◎今後のQOLは大きく損なわれ、常に悪化の不安を抱えて過ごすことに。
◎再びまたあの強烈な「痛い生活」が始まったとき、
 生活面、通院、手術等、今回のように対応できるか判らない。
◎選択したI整形外科内科病院は、
 脊柱管狭窄症の内視鏡手術(MEL)でもっとも実績をもっている。
内視鏡手術は普通の切開手術に比べ、患者に負担がかからない。
 切開部分1.8㎜と小さく、手術時間も30~40分と短い。
 手術後4~7日で退院でき、回復も早い。

ではでは、エ~イ。 

痛い生活 その4 〈腰部脊柱管狭窄症〉

2015-07-08 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
6月29日(月)、いよいよ満を持して小岩のI整形外科内科病院へ。

電車に乗ることなど到底できない状態ですから、
相方の運転で東京の西の端から東の端へ、首都高速を乗り継いで行くことになりました。
スカイツリーやあのアサヒビールの社屋を見ながら、その道のりの遠いこと遠いこと1時間40分。

狭い待合室には順番を待つ患者がひしめいていて、席を立てば座席がなくなるほどですす。
受付で持参したレントゲンとMRIのデータを提出すると、
ほどなくして、うちの撮り方でレントゲンを撮り直しますのでとのことで、撮り直し。
たしかにK大学病院の撮り方とは角度や姿勢がかなり違いました。

待つこと3時間以上、ようやく診察の順番が来ました。
医師は、一つ一つ腰部脊柱管狭窄症について説明してくれました。
私のMRIの画像では、
第4椎骨と第5椎骨の間が非常に狭くなっているとH総合病院で説明を受け、
画像は、そこがほとんど開いていないほど狭くなっている印象でした。
I病院では、ぜひとも私の狭窄の状態を聞きたいと思っていたので訊ねました。
「MRIの画像で見ると、狭窄状態はどの程度酷いのでしょうか?」
すると医師から、意外な答えが返ってきました。
「MRIの画像の状態で手術をするかしないかは決まりません。
もっと酷い人でも、
良くなったり悪くなったりを繰り返しながら一生過ごしてしまう人もいるし、
もっと画像が良い人でも痛みに堪えられなくて手術する人もいます」
痛みの感じ方は人それぞれだから、確かにそうかもしれません。
どうしても手術を避けたいなら、
生活に気をつけながら、なんとか一生を過ごしていくのでしょう。

「いまある症状のうち3割ぐらいの症状が残ってしまうことがありますが、
7割の症状はなくすことができます」
手術の決断を迷う私に医師は、
「1㎞歩けますか?」と尋ねました。
「とんでありません。100m位です。」
「腫れが引くと、痛くなくなることもありますけどね」
あくまで“手術した方がいいです”とは言われません。
そんなこんなの会話があって、手術することに決めました。
手術基準が「1㎞歩けるかどうか」ということではなかったのかもしれませんが、
例えにしても1㎞か100mかではあまりの違い。
このような痛い生活がまたいつ繰り返すか判らない、
ハラハラしながら制約の多い生活を送るよりも手術をしよう、そう思ったのです。

I整形外科内科病院と医師がほとんど同じ系列病院が品川にもあり、
建て替えていた建物が7月21日に開院し、22日に手術と決まりました。
とうとう手術が決まってしまった。
ホッとするような怖いような、複雑な気持ちです。

ところが自宅に戻り、それからの私。
なんだか日増しに良くなってきて、
翌々日は400m、次は800m、1200mと順調に歩行距離が伸びていき、
1700mも歩けるようになってしまったのです。
 ◉ 神経が通る脊髄の手術は怖い→できるものならやらないで済ませたい
 ◉ 手術をしてでも、いままでのように活動的でいたい
 ◉ ハラハラして今後を暮らすのは心配
 ◉ この調子で歩けるようになれば、手術しなくても大丈夫なのでは?
 ◉ いままだ元気でエネルギーがあるうちに手術しておいた方がいい
 ◉ 1人暮らしになったとき、またあの強烈な痛みが来たら、
  通院、手術の手配など、1人ではできない
などなど、心千々に乱れて気が休まりません。

そこへ、友人Sさんからメールが来て、やりとりするうち、
〈その1〉で書いた6人の狭窄症の知人うち、手術をした人の話が話題に出ました。
そのHさんは発病後10年間を経て、狭窄症のために早期退職もし、手術をした人です。
私よりもずっとよく彼を知っているSさんが言うには、
「彼の辛い状況はずっと見てました。
 でもいまは良くなって、スキーもやるようになったのよ」とか。
ひゃ~、私の迷いMAX、手術してそんなに良い人もいるのね。
スキーなんて転倒したら大変なのに、あんな危ないものさえできるように?
私もまた思い切り泳ぎたいなぁ、旅行もしたい。
いまのうちにやってしまおう。

しかしここで、姉の友人の話が頭をよぎります。
彼は静岡でもっとも狭窄症の手術実績がある有名総合病院を選び手術しました。
一番優秀と言われる医師の執刀だったはずなのに、
当日その医師が不可能となり、急遽別の医師に交替したそうです。
手術後、排尿後膀胱に半分残尿してしまう症状が出てしまい、
いまも排尿の毎に自分で残りを採る事態に。
痛みも残ってしまい杖が離せないという、とんでもない生活になっています。
そういう例を身近に知っているだけに、迷いはまたまたグジャグジャにかき回され、
まるでマーブル紙のように渦を巻いてしまうのでした。
フィレンツェで見た美しいマーブル紙、もうあれを買いに行くことも叶わないのかしらん。
それとも・・・。


でも、今日は逆戻りして歩くと痛かった。
単純に回復はしていかないのねぇ。
まな板に乗るか飛び降りるか、中途半端な症状だけに迷う私。
あぁ、どうなるんだろう~。
ええいっ、まだるっこしい、我ながら往生際が悪い!! 
私って、こんな性格だったのかしら?
エイッ っと、決められない自分がもどかしい。
呆れて性格までしみじみ見つめ直す始末。
逡巡の日々はつづくのでした。


 「痛い生活」まだつづく

痛い生活 その3 〈腰部脊柱管狭窄症〉

2015-07-05 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
6月23日、
K大学病院の紹介で、比較的近くにある東大和市のH総合病院に行きました。
受診したH総合病院の先生は経験の長いベテランで、大変素晴らしいお人柄でした。
何が素晴らしいかというと、判断明確で説明が明解、
疑問には的確な答えが即返ってきます。
患者の手術への逡巡を非常によく理解してくれ、
当病院や当医師の実績や手術の内容等を、
包み隠さずざっくばらんに話してくださるのです。
K大学病院から持参したレントゲンとMRIのデータと、
私の歩行・立位の短さと痛がりようを見て開口一番、
「これは手術ですね」
「えっ? 手術っ?」
まだ、投薬とブロック注射などの保存治療が続くと思っていたので、
そんなに早く手術か否かの判断が出てくるとは考えていなかったのです。

医師が続けて話されたことは、
まだ手術への下調べが不十分な私がまったく考えていないことでした。
「僕ならこれならこれは内視鏡手術でやります。
内視鏡手術は患者への負担が最も少なく、
普通の手術では切開部分は開口部10㎝、手術時間1時間ですが、
内視鏡手術だと開口部4㎝ですみます。
ただし、手術時間は2時間かかるから、僕にとっては負担は大きいんだけど・・・」
続けていろいろな話をしてくださり、
気さくなお人柄を見てどんどん質問すると、以下のことが判りました。

◎(自分は)昨年から内視鏡手術を始めた。年間手術数は10例。
◎普通の切開手術と内視鏡手術の結果予後に変わりはない。
◎狭窄部分が2か所までなら内視鏡でやることができる。
◎腰部脊柱すべり症もある場合には、固定術をするので内視鏡手術はできない。
◎日本で一番上手な内視鏡手術の先生は、和歌山県にいる。
 (そちらに行きたければ紹介しますよというニュアンスで)
◎近隣のM医療センターを希望するなら紹介するが、
 M医療センターは慶応系だから内視鏡手術はやらない。

診察後は尾骨へのブロック注射2回目をし、大学病院と同じ処方の薬を出してくれました。
これで、合計40日間の痛み止め等の服用となります。
しかし、これまでちっとも痛みが軽減されないし、歩行距離もどんどん短くなってきました。
1回目のブロック注射の効果も、痛みが少し減ったのはたった3日。
薬とブロック注射による保存療法は、いまのところまったく効き目がないようです。
私どうなるんだろう、やはり手術・・・、ますます心細くなってきました。
手術は背骨中枢部に神経が通る脊髄の手術ですから、
自分としてもじゅうぶんに納得がいく病院や医師を選びたい。
そう考えるのはもっともなことではないでしょうか。
早急に内視鏡手術について調べなくては。

診察室を出て病院備え付けの車椅子を降り、向かいの調剤薬局に行くのはやっとのことです。
待合室で待つ間、椅子の座面が臀部に当たりなんと痛いことか。
狭窄症になり、腰に痛い椅子か優しい椅子か、そういうことに非常に敏感になりました。

帰宅し、深夜目覚めて眠れぬままに考えたことは、内視鏡手術のことばかり。
先生はとても素晴らしい人柄だったけれど、
昨年から始めて年間10例ということは、もしかしたら私は11例目?
うーん、人柄と手術とは別の問題です。
ほかならぬ私の脊髄に関する手術のこと、よくよく考えなくては・・・・。
手術となったら、うちに近く実績も定評ある、
国立病院機構のM医療センターをと考えていたけれど、
こうなったら脊髄の内視鏡手術っで実績の多い病院や医師を探さなくては。

ここからは懸命に検索。
「腰部脊柱管狭窄症 名医 評判」などと検索すると、
だいたい筆頭にヒットするのは、
みのもんたさんを手術した国際医療福祉大学三田病院の福井康之先生です。
ほかにも いくつかの病院や先生が。
だいたい3つほどのサイト
を参考にしました。もう一つはこちら
腰部脊柱管狭窄症手術で有名な、
九段坂病院の中井先生がリストアップされていなかったり、
こちらにはあの先生が載っていなかった。
こういうリストはけっこう安易な基準面があり、
他の要素も大いに絡むのだという話もあり鵜呑みにはできません。
あちらにもこちらにも確実にヒットする病院や医師がいいのかなと思ったり・・・。
検索の結果は玉石混淆のページが出てくるので、
こちらが如何に取捨選択をするかは非常にたいせつです。

次に肝心な内視鏡手術。
「腰部脊柱管狭窄症 内視鏡手術 実績、名医」と検索していくうち、
小岩にあるI整形外科内科病院というのがヒットしました。
何回かヒットしたことがある病院でしたが、うちから遠い小岩にあるということと、
名前を聞いたことがない病院だったので、スルーしていたのです。
ま、和歌山の名医よりは近いけれど・・・。

最終的に注目したのは、小岩のI整形外科内科病院でした。
決め手は、以下の点です。
◎手術までの待ち時間は約1か月。
(病院によっては数か月待ちが普通です)
◎実績のある先生に紹介状なし受診できる。
◎圧倒的な手術数であること。
 (脊髄の内視鏡手術は全国の同手術の約10%。これまで5000例。年間1200例)
◎腰部脊柱管狭窄症の内視鏡手術の切開は長さ16㎜、手術時間は3、40分。
 退院までは、手術後4~7日
◎サイトを見ると、手術の目安、内視鏡手術のVTR等、
 あらゆる面の情報開示の詳しさは群を抜いている。

病院のサイトを見ると、以下のことが書いてあります。
内視鏡手術でやると、
「おおよそ手術後3週間で大分楽になり、さらに3週間経つと一層楽になります。
そして3ヶ月経つと違和感なく日常生活に戻れます。」と。
◆メリットは、
1.傷痕が目立たちません(16mm程度)。
2.術後の痛みが軽く、回復も早く、感染の危険性が小さく、呼吸器系の合併症も少ない。
3.背骨に付いている筋肉を剥がすことが最少で、脊柱の安定性を損なうことが非常に少ない。
4.退院も早く、日常生活や仕事への復帰が早期に行える。
◆デメリットは、
MEDと異なる点は、椎弓を切除しますので、MEDに比べると出血量はやや多く、手術時間もやや長くなります。 不安定性が強く、除圧のみでなく固定が必要な場合も適しません。

来週早々、レントゲン&MRIデータを持参して行くことにしました。


付録話:
神経ブロックは、薬物療法の効果が出ないときに適宜行います。
まず硬膜外ブロックを行い、これで効果がない場合は選択的神経根ブロックを行います。
脚への神経を動かしたり脚の感覚を脳に伝える神経は脊椎が連なった「脊柱管」を通っていて、
この神経の束を馬尾(ばび)といい、硬膜という膜に包まれています。
硬膜外ブロックは、尾骨近くから注入する場合と腰椎の椎骨の間から注入する場合があります。
私が行ったのは尾骨近くからの場合で、ちっとも痛くありませんでした。

ところが近所に椎間板ヘルニアの悪化で、夜中に救急車で運ばれた人がいて、
即入院となり、選択的神経根ブロックをやったそうです。
注入中、辺りが真っ白くなり、10秒ほど記憶が飛んだというのです。
この手の感想はネットでもさかんで、大の男が「ギャーッ」と叫んでしまったという例も。
その痛さは、半端なことではないみたいです。

「先生、そのブロック、私やりたくないです」と言うと医師は苦笑しながら、
「こまった情報を仕入れてきちゃったなぁ。
それじゃ言いますが、これ(選択的神経根ブロック)をやった人の10人中8、9人は、
あれをやるぐらいなら手術の方がいいと言いますよ」だって。
あな、恐ろしや~。
そんな恐ろしい注射なら、手術がいい。
私は、そんなふうに考えたのでした。


 「痛い生活」まだまだつづく

痛い生活 その2 〈腰部脊柱管狭窄症〉

2015-07-02 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
1)4月中旬から左臀部と左太腿に強い張り(腰部脊柱管狭窄症の特徴的症状)を感じる
2)4月末に聞きかじったストレッチをやり、直後から強い痛み
3 三鷹にある、脊髄関係の疾患対応が有名なK大学付属病院を受診、レントゲン撮影。
  3週間後にMRIの予約を取る。痛みはますます強くなり、立位、歩行に困難をきたす 

以上が、これまでの経過です。

痛い生活が続く日々、今回はその2。

MRIを待つまでの3週間は、ほんとにつらいものでした。
特に起床後3時間は酷く、午前中いっぱい強い痛みが続くことも。
10分ほど立っていると次第に左脚と左臀部が痛くなり、左脚から足の裏まで痺れてきます。
こうなると横になる以外なく、10分間ぐらい例えようがない痛みが続きます。
この間の痛みは強く、何をして無駄。
観念して息を殺す以外ありません。
そのうち痛みが消えてまた立つと、再び痛みに堪えかねる→横になるの繰り返しでした。

6月12日は、待ちに待ったMRI撮影の日。
それまでの3週間、痛み止めを処方されましたが、全く改善の方向は見られません。
この頃になると50mすら歩けず、ひたすら自宅に籠もる生活です。
あちこちの筋肉は落ち、どこもマシュマロ状の柔らかさ。
病院に行くには相方に車に乗せてもらい、受診機に診察券を入れる。
つぎに地下のMRIの受付に行き、MRIの撮影。
書類を持って2階の整形外科受付に提出。
MRIの画像を見て若い医師は、「腰部脊柱管狭窄症ですね」と病名を告げ、
さらに薬を追加してくれ、
痛み止め、炎症止め、血流改善、末梢神経の薬など、
5種の薬を服用することになりました。

薬の処方箋を病院向かい側の調剤薬局に持って行くため歩いたのですが、
信号の途中で痛みに音を上げ、拷問のような痛みに堪えつつ病院に辿り着いた途端、
入り口の車椅子に倒れ込むように腰掛けました。
ハァ~ハァ~。
こんなことなら、最初から車椅子を使えば良かった。

ようやくのことで自宅に戻り、処方された5種類の薬を服用するもとんど改善の兆しはありません。
痛みの頻度も歩行の短さもそのまま。
楽なのは座っていることと寝ていることでした。
(だからこんなふうにブログを書いていられるのですが・・・)

ところで相方は私より4最年上、
いずれ自分が私に何らかの介護をしてもらえるものと信じていたようですが、
思いもかけず私の“痛い生活”を中心に毎日が進むことになりました。
家事、歩行の付き添いに始まり、あちこちへ私の代理で出向き、
てんてこ舞いの毎日を送ることになってしまったのです。
彼にとっては考えもしなかった大誤算、
しかし歳を重ねるということは、こういうことなんですね。

さて次の受診日6月18日
薬を飲んでも効き目がなく、ますます痛がる車椅子の私を見て、
医師はブロック注射をすることにしました。
ブロック注射は尾骨からで、これは余り痛くないタイプです。
注射はどうということなく終わり、
まだまったく手術が視野に入っていなかった私は、
前夜から一生懸命考えていたことを切り出しました

「先生、こんな不自由な動きと強い痛みで小一時間かかるここに来るのは大変です。
うちから車で15分ぐらいで行ける武蔵村山市のM医療センターに紹介してください」
もちろん、M医療センターが脊髄疾患の治療、手術に関して、
脊柱管狭窄症など脊髄関係の疾患に関して大変優秀な病院であることは調査済みです。
少なくともK大学病院の若~い医師よりはずっと良いはず。
すると思いがけず医師は、こう言います。
「お宅は国立駅の近く? M医療センターでもいいけど、
それなら、もっと近くにH病院がありますよ。そこを紹介しましょう」
ノーマークの病院名を挙げられ、戸惑いました。
この辺が私の優柔不断なダメなところなんですが、
一瞬どうしたもんかと考えていたら、
若い医師が強~く推す、東大和市のH総合病院に決まってしまいました。
ありゃりゃ、どうして私ってこうなんだろう。
御身大切な、ほかならぬ自分のことなのに。
もしも手術となったら、M医療センターに紹介してもらおうっと。

5種類の薬を飲みつつ、翌週、H総合病院に行くことになりました。
複雑な思いで、痛い体にむち打ち騙し騙しK大学病院から帰宅。

翌週受診したH総合病院のベテラン医師の判断により、急展開が待っていたのです。

 「痛い生活」まだつづく

痛い生活 その1 〈 腰部脊柱管狭窄症 〉

2015-06-26 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
なんと、重い腰部脊柱管狭窄症になってしまいました。
つい1か月半前には想像もしなかった暮らしになっています。

なんとなく遠くに腰痛があるような気がしていたのですが、
毎日起床後に15分のストレッチ体操、週1回の水泳、
隔日ぐらいで5、6000歩のウォーキングを励行していました。
さてこれから太極拳もやろうと、クラブに入会の通知をした直後のこと、
4月半ば、左臀部と太腿後ろに強い突っ張りを感じました。
これは何だろう。
何か異常が起こっているに違いないと思いましたが、
常日頃信頼している接骨院で施術されると軽減されていたので、
そこそこの生活を保っていました。

ところが5月23日、日頃励行していた15分間のストレッチ体操に、
聞きかじった新たな体操を加え、やり終わった直後のこと、
“あっ、何か起こった!”
それから腰に痛みが始まりましたが、それでも2000歩ぐらいは歩くことができました。

腰に、何か普通でないことが起こっていると感じました。
早く、然るべき病院を受診しないと・・・・。

あれやこれや予定をすべてキャンセル、
キャンセルするうち、あの人もこの人も、
これほど腰部脊柱管狭窄症の人が多いのかと思うほど、身近に同志がいることが判明。
こういう共通点も困ったものですが、いまの私には妙に親近感が湧きます。
そうして知った6人の同志の中で、手術までした人はたった1人。
私もそうならなければ良いけどなぁ~。
と、この時点ではまだ希望を持っている私でした。
~わずか1か月足らずで、“考え甘かった”と思い知ることになろうとは~

インターネットで検索しまくりました。
脊髄疾患の治療を得意とし、手術数も多い定評ある総合病院の整形外科を探しました。
紹介状がないと受け付けない病院、
予約診療しか受け付けず、予約は1か月先という病院も多く、外さざるを得ません。
何しろ、待ったなしの痛みの強さなんですから。
~この時点では、もっと強烈な痛みが来るとは思わず、
これも考え甘かったといずれ思い知ることになるのです~


5月25日、電車とタクシーを乗り継いで、
1時間弱で行くことができるK大学附属病院の整形外科を受診しました。
多摩地方で上記の条件に合った病院の1つです。
初診日は3時間近く待ち、撮影したレントゲンを見て医師はひと言「歳なりの脊髄ですね」。
紹介状なしで受診しているので、医師は若~い医師です。
「先生、痛みに堪えられません。MRI、なるべく早くしてください。」
「MRIの結果がどうであれ、やることは同じですよ。」
痛み止め、ブロック注射以外にないということよね、やはり・・・。
それはそうだろうけど、この痛み、なんとかならないものかしらん。
3週間後にMRIの予約を入れて、それまでの間は痛み止めを処方されました。

しかし、服用の効果は全く見られません。
この間の痛みたるや大変つらいもので、
朝起きたあとの3時間ほどはとりわけ酷い状態です。
立っていられるのは10分ぐらい。
その後次第に左臀部と左太腿が強く突っ張って痺れ、
痛みで立っていることができなくなります。
臀部から太腿にかけて、中心にドライアイスを入れられたような痛み、
と言えばいいでしょうか。
脚は足裏まで痺れています。

救いは、横になっていると10分ほどで痛みが収まることですが、
この間、痛い左側を下にすると痛みが酷く、かといって右が下でも痛く、
あれこれ試した挙げ句、もっとも腰に楽な姿勢、痛みを軽減してくれる姿勢は、
仰向けに寝て、腰をソファに極力近づけて両脚をソファの上に乗せ、
脚を90度に曲げた状態にすること
 でした。
つまり力を抜いて脚を鉤の手に曲げる体勢です。、
後日知ったさる病院の脊柱管狭窄症のサイトで、
これが腰の緊張を取り除くもっとも良い姿勢だと知りました。
ソファの代わりに座布団を5、6枚積んで、その上に脚を乗せてもいいそうです。
私はこの体勢を見つけるまで10日あまり、
あっちへ転がりこっちに転がり、まさに七転八倒でした。

激しい痛みに堪えているときは、知らぬ間に呼吸を忘れているものですね。
息を詰めていることに気づき、「ハァ~」深呼吸をして全身を弛緩させ、また痛みに堪える。
そんな時間が過ぎるうち、いつしか痛みが消えてまた立ち上がる。
そしてまた10分もすれば、「痛い、痛い」と転がる生活が続くのでした。

痛みが始まってから1か月間、
それでも、この痛い生活が受け止めきれません。
4月半ばまでは、普通に暮せていたのに何故?
私がこんな生活になってしまうなんて・・・・・信じられない。
これだけの強烈な痛みを味わうことになるなんて・・・・。
とまぁ、詮ないことをグジグジと咀嚼し続ける私。

QOL(Quality of Life/生活の質)は大きく損なわれ、
ほとんど50mも歩けない暮らしが続きます。

 「痛い生活」つづく