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あみたろう徒然小箱

お気に入りのモノに囲まれ、
顔のつぶれたキジ猫と暮らせば、あぁ、極楽、極楽♪

痛い生活その後〔30〕 過労による大不調のあとに

2019-09-23 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症

いつも通る道にアスパラガスが群生している。アスパラガスの繊細な枝振りは夜の灯りに映える

鳥たちがすっかり食べてしまった南天の実の跡は線香花火に似ている。青い実は別の植物

5月以来4か月間「痛い生活」を書いていないから、
“最近は調子は良いのだろう”と思ってくれていた人がいるようです。
(こんな私を気にかけてくれてありがとうございます)
ところがどっこい、私は忍の一字の健気な生活を送っていたのです。
自分を健気などと表現するのは憚られますが、
痛みがあっても知らんぷりに徹し、
もうこういう生活が日常となったのだと諦め、
日々せっせとウォーキングに励んでいたのです。
だって、痛くてもウォーキングをしていないと、その後の衰えがかえって激しい。
だから知らんぷりして歩くのです。
自分のためとはいえ日々痛みに耐えて、私ってやっぱり健気!

どう痛いかというと、歩くと体のあちこちが軋み、
一歩ごとに腰部と体のそこここが痛いという状態です。
“軋みが出る”ってイメージが湧かないと思いますが、そうとしか表現ができないのです。
脊柱管狭窄症はその方面の名医にかかって2度も手術し、
変形性股関節症は大きな総合病院のベテラン医を紹介してもらって手術、
いずれも結果は良く、そこそこの状態となりめでたしめでたしでした。
そもそも特に脊柱管狭窄症はスッカラカンに治ることはまずないのですから、
このぐらいの状態を我慢できないことはありません。
立っていることをたった10分しかできず、
倒れ込むように椅子に腰をうずめていた術前に比べれば、いまは上出来。
とはいえ、そんなこんなであまり遠出はできず、
せいぜい隣駅の百貨店に行くとか、
大好きな大学通りの雑草を眺めてはおいしいものを食べに行く。
そんな暮らしがずっと続いていました。
たまに欠かせない行事があると、意を決して行くのですが、
その後のダメージがとても大きいのです。
いまの私の場合、過剰な疲れが思いがけないところに突出して現れます。
今回は、欠かすことができない親族の葬儀でした。
横浜の現地まで相方の運転で2時間近く、
あちらでは、葬儀、初七日の法要の後、骨揚げまで執り行うので5時間を要します。
ふたたび大渋滞の中を2時間以上かかって帰宅。
このヤワな体にはあまりに負担が大きかったようです。
翌日から腰に手を当て「痛い、痛い、痛い」を連発することに。
これでは最低限のウォーキングすらできません。
体を横たえてばかり、大変なことになってしまいました。

3日め、いつも通う治療院(てくらぼ整骨院)に行きました。
院長は「背中が硬くなっていますねぇ」と、入念にほぐしてくれました。
いつもだったら痛くない箇所が強烈に痛み、体に大きな変化が起きたことが判ります。
そのあと待望のEMS治療器(プロテクノEMS)。
こんなにこじれてしまった私の酷い腰痛ですが、この治療器はとても効果がありました。
(説明文/筋肉に通電して各治療を行う。循環促進作用、有酸素運動、深層筋賦活作用、リラクゼーション、筋の弛緩、鎮痛効果、無酸素運動、バランストレーニングなどの効果が望める)
結局、治療器を当ててもらったあと、なんと気持ちの良かったことか。
芯の芯まで電気が行き届き、体が歴然とほぐされ改善されたのが実感できました。
この治療器はふつう整形外科などに設置されていて、
街の治療院で治療できるのは珍しく、
現に多摩地方でプロテクノEMSを使用している治療院はここだけです。
それがこんなに近くにあったのですから、
強力にこの治療院を薦めてくれた相方の教え子(中国人)に感謝、感謝です。

治療翌日から腰の状態がぐんと良くなりました。
状態を見て、3日後にふたたび施術を受けました。
5、6日後のことでした。
「あれっ? 腰がすごく軽い!」
歩幅も自然に広くなり、足がスイスイと前に出てとても楽。
軽やかにウォーキングできるようになりました。
なんだか突然急に体調がUPしました。
どうしてこうなったのかが不思議です。
だって、行事に行く前の体調よりずっと良くなっているのですから。

ということで思いがけずここ数日間、
柱管狭窄症+変形性股関節症になって以来5年半で、もっとも良い状態です。
てくらぼ整骨院の院長曰く、
「いったん悪くなったあと、一気に良くなったんですね」
深く沈み込んだあと、ど~んと浮き上がった感じ。
こんなことってあるのですねぇ。
でもとりあえず、めでたしめでたし。

このまま行くとは思えず、
思わず「腰神様、どうかこのまま続いてくださいな」と祈る私でした。

痛い生活その後〔29〕 灯台もと暗しだった?

2019-05-22 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症

紅葉の花がこのような実となる。赤い竹とんぼのような形が可愛い

桜の木の下の花群、白の集合に惹かれる

数十年前はどこにでもあったコンフリー。地味な釣り鐘型の花が魅力。葉をてんぷらにしてよく食べた

さて、整骨院の話に戻ります。
そこは国立駅のすぐ横徒歩1、2分。
複合高周波EMS(NEOテクトロン)施術器がある「てくらぼ整骨院」です。
ちょっと覚えにくい名前の整骨院ですが、
テクニックラボラトリーの略だそうで、つまり技術実験室とか技術研究室の意味。
それにしても、もう少し馴染みのある名前付けてもらいたかったですね。
人に教えるのに一苦労。
さて、多摩地方でこの機械を持っているのは当院だけとか。
たしかに、検索窓に「NEOテクトロン&国立市、国分寺市、立川市、府中市、日野市・・・・」などと多摩地方の都市の名前を順次入れていっても、
私が通い始めた整骨院しかありません。
多摩地方と言っても非常に広く、
なんと26もの都市があるのですから、多摩初と胸を張って謳うのも無理もありません。


NEOテクトロンのサイトを見ると、以下のように説明されています。
「従来の低周波治療器に、高い電流を流して、深部組織まで十分に刺激し、痛みの緩和に効果のあるハイボルテージが加わりました。急性期から慢性期まで幅広く活用でき、「痛みをとる」「筋肉をほぐす」ということに関しては抜群の効果を発揮します。また、従来のEMSとは異なり深層の筋肉に対してもアプローチが可能なので、運動がしたくても出来ない方や、筋力が弱った患者様に対しての筋力トレーニング効果、筋萎縮改善及び可動域の改善が期待できます。そして痩身・ダイエットを希望する方にも効果を実感しやすいとして、非常に人気の高い高周波治療器です。」

じゃ、実際に筋金入りの慢性疼痛の私や如何に?
これが私にはとてもよく効いたのです。驚きです。
加えて、ここの院長(と言ってもまだ若い)の施術と何故それをやるのかの論理だった説明にも非常に納得がいきます。
というわけで4年かけて痛い生活を送ってきた私に、福音となる治療院かもしれません。
もちろん完全に痛みがゼロになるわけではありませんし、
施術を受けていなければ戻ることもあり得るのですが、
それにしてもここまで歴然と改善されたのは初めて。

変形性股関節症による人工関節置換術を受け人工関節となって4か月。
次第に良くなっていく時期だとは言え、
ここに通い始めてから歴然と変化が出たのですから効いていると言って過言ではないでしょう。
開院してからまだ2年しか経っていませんし、
その2年間の間だって、となりのケーキ屋さんにしょっちゅう行っていたのに、
もうこの手の治療院に目を向けることを止めてしまった私の目にはまったく入って来ませんでしたでした。
それにしても灯台もと暗し、うちからたった3分の近さにあったとは。

私を説得してくれた中国人Lさんの熱意に“太感謝了”でした。

痛い生活その後〔28〕 もしかしたらの予感がする?

2019-05-19 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
カエデの葉は日を追って緑深くなる

葉の合間から見る太陽。大学構内のあちこちに自転車。こんな所にも・・・

道のどこにでも咲く雑草ナガミヒナゲシ

4年ほど前からずっと、腰痛による痛みに悩まされる生活でした。
そのうち変形性関節症が加わり、どちらに対しても手術をしました。
多少の波はあれど、痛みは常にあり、歩くことが辛くなりました。
町行く人を見て、何故あんなに楽々と歩けるのだろうと思うばかり、
痛い状況しか解らなくなった現況が不思議にさえ思いました。
途中、鍼灸に通ったり、カイロプラティックに通ったり、
あそこの整骨院が良いと聞けば行き、こちらの接骨院が良いと聞けば出向き。
しかし、どれもこれという結果が得られないまま、
そういう療法に期待するのを止め、数年が経ちました。

毎朝起きると、腰痛体操、変形性関節症のための体操、片足立ち運動、
エアロバイク10分を励行、
ほとんど毎日2~2.5㎞のウォーキングをしています。
それらをせっせとやらないとさらに体力が落ち、もっと自分が苦労するからです。
年齢による体力の衰えと自分が持つ症状による体力低下。
これに抗するには日々の努力しかありません。

そんなとき、ある中国人女性からこんなことを言われました。
「ストレッチや体操、ウォーキングなどで体を鍛えるのは良いのですが、
それならそれに応じて体をほぐさなければダメですよ」
そのLさんは相方の教え子です。
相方がやっている勉強会に参加するため、我が家に月に1回やって来ます。
そもそもは私と相方が中国に住んでいたときの通訳でした。
かなりの頻度で雲南省の辺境地に少数民族調査に出向いていたのですが、
日本語と中国語の通訳はLさん、
現地では中国語と少数民族語の通訳を調達してのW通訳でした。
その後、Lさんは日本に来て、相方の大学を受験し教え子となりました。
そのように非常に縁の深い人で、いまでは日本に永住しています。

中国に住んでいたときから揉みほぐしや指圧などの施術を受けていたとか。
いまでも都心の居住地で日本人から施術を受けているそうです。
そこはとても施術の腕が良いそうですが、私には遠すぎる。
そこでLさん、
「私、この近くで整骨院か接骨院を探してきます」
「整骨院と接骨院は同じでどちらも国家試験が必要ですから、レベル的にこういうところを選ばないとダメです」
あとで聞いたところによると、整骨院や接骨院は治療を目的に施術するが、
整体などは治療まではできないということでした。
彼女はこの辺りの整骨院と接骨院を訪ねてまわり、
いろいろ質問をした結果、うちから徒3分という近さに整骨院を探してきて、
「施術の機械も先端のものを揃えているし、いろいろ訊いてみたらここが良さそうです。でも2回施術を受けてみて何も変化がなかったら合わないのかもしれないので、それ以上は行かないでください」というのでした。
その手の治療にまったくやる気がなかったものの、
若い頃からこういった治療をよく受けていて、日本でも施術を受け、
ときに私の体を上手に揉んでくれる中国人の彼女の意見は説得力があり、
「じゃ、ダメ元で行ってみようかな」と心を動かされた私。

それにしても中国人ってすごいですね。
中国に滞在していたとき、
私たちは知り合い程度の中国人には大変警戒心を抱いていました。
折あれば私たちを騙してお金をせしめようとするケースが、ままあったからです。
でもよく知り合って心から信頼できる間柄になると、
中国人の情の示し方は日本人の比ではありません。
熱意ある身の挺し方、自分を犠牲にすることをいとわない。
そういう熱い付き合いができる人にいままで2名ほど出合いました。
そのうちの一人がLさんで、
彼女はその後日本の大学を受験し、相方の教え子となりました。

さて、その整骨院通いが始まって重い腰痛&股関節を患う私はどうなったか、
長くなるのでつづきはまた・・・。

痛い生活その後〔27〕 ある頃からふわんと楽になる 

2019-03-07 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症


先日、梅一輪一・・・と書いた大学構内の梅の木(1/14撮影)。今回訪ねた2/21には満開でした

退院後約一週間強、術後24、5日となった頃でしょうか、
家庭内の複雑な動作でも傷めない要領を少し習得できてきました。
人工関節を入れた傷も癒えてきたからか、そのころから急に楽になりました。
それまでの特徴であった同じ姿勢で横になっていたり、しばらく座っていた後、
痛くて足を着けない、歩けないという症状も減っていったのです。
最初はちろん室内でも杖を使う生活ですが、
その杖もだんだん手放して歩くようになり、
そのうち杖なしの方が歩きやすくなってきました。
思い切って駅前の喫茶店でモーニングセットを食べてみたり、
急に暖かくなってきたから、池の鴨たちに早くパンをあげないと北に帰ってしまう。
それまでの辛い生活では思いもしなかった次のステップを感じます。
ウォーキングに励んで股関節を馴らすため、
調子の良い日は大学構内の池まで足を伸ばし、鴨にパン切れを大量に投げてみたり・・・。


残っていたのは10数羽。思いがけない数に感激。右端の石の上で甲羅を干すミドリガメの親分たちには、パン切れはあげないのだ
鴨にパンを投げ与えているときが一番幸せでした。
池に近づいてポンポンと手を叩くと、
三々五々くつろいでいた鴨たち、「あ、あのオバサンだ。久しぶりだなぁ~」
と、スイスイ寄ってきます。
水の中をよく見ると大きな鯉が泳ぐ姿も見てとれます。
石の上で甲羅を干しているミドリガメたちには上げたくないけれど、
鴨と鯉にはたっぷり食べてもらいたい。
“あぁ、私の日常が戻ってきた”・・・感慨深いひとときでした。


【人工股関節置換術:余話】
●足が長くなった話
人工関節は、 「ステム」「ボール」「ソケット」「ライナー」という4つの部品からできています。
悪くなった股関節を切りとり、この部品を入れるわけです。部品はチタン合金やセラミック他の素材で作られています。
左右の足がピタリ同じ長さというひとは少なく、多少は長短があるということですが、
私の場合は1.5~2.0㎝も差があったのです。
今回手術をした右側が短く、パンツを買って裾上げしてもらうとき、
いつも1、2㎝短くしてもらっていました。
「右足の長さを2㎝長くしておきましたから、これで左右同じ長さになりましたよ」
術後、執刀医の説明を受けました。
「最初は右足を長く感じるかもしれませんが、そのうち慣れますよ」
確かに歩いてみると右足は下駄を履き、左足にはペタンコ靴を履いているみたいです。
説明されなければ、手術の失敗かと思い違いをするかもしれません。
のちにどうやって長くするのかを尋ねると、
大腿骨に差し込む「ステム」の長さで調節する、のだとか。
“この人の足はかなり短いから、長~い「ステム」で伸ばしてあげよう・・・”なんてね。

痛い生活その後〔26〕 ふぅ~、なんて大変なの

2019-03-05 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症


 
平凡だけど一番好きな椿は「やぶ椿」。すべての園芸椿の元となっている古い品種。これはいま大学通りに咲いているやぶ椿

変形性関節症の人工関節置換術を、ちょっと甘く見ていたのかもしれません。
こんなに大変で痛い手術だとは夢にも思いませんでした。
もう2度とこりごり。(と、いまは思っています)
痛いといっても手術が痛いというわけではありません。
私が甘く見ていた原因は、調査不足と事前に知ったある情報から。
(あとで判ったことですが、これはMIS手術後の情報でした)
手術をした後に判ったのですが人工股関節置換術には3種類あったのです。
手術の後に判ったって遅い!!
まず、太ももの付け根を7㎝ほど切開するタイプと、
お尻を三日月型に切開するタイプがあります。
が、もう一つ、脊柱管狭窄症の手術で言えば低侵襲手術に当たるタイプがあったのです。
股関節の場合は最小侵襲手術(MIS:Minimally invasive surgery)と言います。
私がお世話になった総合病院の整形外科の廊下には、「MISはやっておりません」
という張り紙があったそうですが、
痛みに耐え、ようやく念願の手術を迎えて無我夢中だった私はそれに気づかず、
のちのち相方から聞いて知りました。
しかしMIS同様、私の手術も筋肉を切っていないといいますから、
普通にバッサリ切開する(お尻を切るケースがそれ)よりずっと楽だったのでしょう。
また、同じ病院でも執刀する医師によって太もも付け根切る派とお尻切る派がいて、
人工関節(インプラント)も日本製を使う医師、アメリカ製を使う医師などいろいろ。
でもそんなこと、中に入ってみなければ判りません。
元の職業柄か、なにかというと情報収集に励むタイプの私ですから、
病室のベッドの上で集まった情報に目からウロコのこともありました。
まな板に乗った後では遅いわい。

人工股関節置換術は術後に何かとケアが必要になることがあるから、
有名で上手だけどあまりに遠すぎる湘南鎌倉人工関節センターより、
自宅から車で10分の都立多摩総合医療センターにと決断したのです。
そこは多摩地方の人たちが頼る総合大病院で、股関節の名医もおられるからです。

術後は、心電図、尿の導入管、点滴などを挿入された状態ですから、
寝返りも打ちにくく不自由で、それはどの手術も同様です。
自己血の採血はとても速いのに、それを体に戻すのはとても時間がかかります。
朦朧とした頭で天井を見上げると、
赤い血液の袋はいつまでも点滴スタンドにぶら下がっていて、
数時間してやっと一袋(400cc)が終わったと思うと、またもう一袋。
この長さには辟易しました。

翌日初めて立ち上がったとき、人工関節を入れた右足の痛みは例えようもなく強烈でした。
思わず口をしかめ、なんでこんなに痛いんだろう、MISじゃないから?
というのは、湘南鎌倉人工関節センターでMISで手術した友人から、
「術後初めて立ったとき、まったく痛みがなくて驚いたのよ」と聞いていたからです。

さて入院して16日間後(術後15日め)に退院し、
やっと家に帰ることができると喜んだのもつかの間、
それからが思いもかけない不自由で痛い日々の始まりでした。
入院中の動きは至って単純です。
[ベッドから降りてトイレに行く][戻ってきてベッドに横になる]
[リハビリ室に行く][練習のために廊下を歩行器や杖で歩く]
しかし自宅での動作は思いのほか複雑です。
いたって慎重に動いていたのですが、
突然予期しなかった強烈な痛みが右足付け根を襲うことがしばしば。
手術で足の付け根を切った場合は前に脱臼しやすく、
お尻の場合は後ろに脱臼しやすいということです。
医師からは脱臼しないようくれぐれも注意するよう言われました。
私は足の付け根タイプなので、後屈動作は前に外れやすく、
背伸びして上の物を取る(体を後ろに反らす)、横座りをする、
体を無理にひねるなども要注意。
「脱臼したときはあまりに痛いのですぐに判るから、
そうなったら救急車を呼んで急いで救急外来に来てください」とは医師のことば。
そういうわけで脱臼しないよう、
また右足付け根に痛みが来ないようにと細心の注意を払っていたのに、
突然に「ギャーッ」と悲鳴を上げるほどの痛みが襲ってくるのです。
こうなると翌日はもうダメで、翌々日にようやく痛みが収まるという状態です。
手術をしたのに、術前より数段痛くて動きも不自由です。

退院3日目の夜のことでした。
いつも横向きに寝るときは手術した右側が上になるよう左向きに寝ていたのですが、
そろそろ右向きに寝てもいいかなと思い、右を下にして横向きになりました。
“全然痛くない。これでいいんじゃないの?”
右下、左下、仰向けと、ふつうに寝返りを打って寝た翌朝のことでした。
右足を床に着けたときの飛び上がらんばかりの強烈な痛みに呆然としました。
杖で支えても右足を床に着くことができません。
なぜこんなことに? これじゃ手術前より格段に酷い痛みじゃないの!
これが回復するのに2日かかりました。
またあるときは、台所のキャスター付きの椅子に座ったまま、
右手前にあるレードルを取ろうとしたら、
ギクッと右足付け根に痛みが走り、「ギャ~ッ」。
あぁ、手術前より4、5倍も痛いのは何故?
ふとした動作の他に、しばらく横になって体を休めたり、
腰掛けていた後は右足が痛くて着けないことがしょっちゅう。
つまり、動かさないでいると右足の付け根が痛くなって足を着けなくなるのです。
それでも動いていれば楽になってくるけれど、
マグロじゃあるまいし、常に動くことなんてできない。

ちょうどこの頃、友人たちからメールが次々届きました。
「退院後の調子はいかが? 楽になったでしょう?」 
実はこれこれしかじかと現状を書くと、
その返信の端々にはどう慰めや励ましを書いたらいいんだろうの戸惑いが漂っています。
そりゃ、無理もありませんよね。

この恐ろしい嘆きの痛い生活は一週間以上続きました。      つづく

痛い生活その後〔25〕 待ちに待ったまな板の上に乗る日

2019-01-26 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
 ラナンキュラスの花びらがハラハラと落ちて

腰部脊柱管狭窄症で痛みに苦しんだ後、2度の手術を経てようやく楽になった私。
今度はなんと変形性関節症の痛みに耐えています。
狭窄症の痛みも痛かったけれど、変形性関節症の方がずっと辛い。
だって、悪い方(私の場合は右)足を地に着けると痛いからあまり歩けない。
毎朝、変形性関節症のためのストレッチと、
狭窄症のためのストレッチを各10分、そのあとにエアロバイクを20分。
それも両手に重りを付けてせっせと動かしながら。
それでも痛いとあまり歩けないから、どんどん足が萎えて筋肉が落ちてしまう。

痛み止めは3種類ほど変えました。
あるものは酷い便秘になってしまうし、あるものは胃痛が起こる、
それでいまはなんとか耐えられるインテバンを服用。
痛みをこらえながら歩いていると腰痛も酷くなるので、
慢性疼痛薬として知られるサインバルタも服用しています。
サインバルタはもともとはうつの薬なのだけれど、
いまでは、長く続く慢性疼痛には必ず処方されるようになってきました。
それでも痛みに耐えられない日は特別痛いときのためにと処方された座薬も使います。
あぁ、こんなにまでして痛みから逃れようとしているのに、
日に日に動ける範囲は狭くなり、
とうとうやっとの事で生活動作ができているという状態です。
杖を着いていてもちょっと油断すると転んでしまうのですから。
大学構内の奥にある鴨のいる大きな池に行く元気もなく、
むなしく大量の鴨のためのパンの角切りが部屋の隅に乾いているだけ。
「どうか私が帰ってくるまで鴨ちゃん北国に帰らないでね」
ほら、こんなに準備してあるのよ

こう不自由になってくると、じっくり本を読むこともあまりできず、
TVを見るとかPCを開くとか程度のことでしょうか。
あぁ、何と自堕落な生活なの!

手術を決められて3か月、ようやくそれがあと数日という所にまでやって来ました。
大量の出血に備え、自己血を800CCも貯血してあります。
入院までに2度の自己血採血を含め5回も病院に行かなければなりません。
病院に電話すると、現在のインフルエンザ大流行でどこの病院も大変なことになっていて、
希望しておいた個室も到底約束できませんということでした。
急患が多いこの時期、ドタバタの入院になってしまいそうです。
でも私は、少なくともいまの痛みから少しでも解放されたい。
クロールと背泳ぎしか(バタフライは腰痛に、平泳ぎは股関節に良くない)
泳げなくても、プールで泳ぎたい。
大好きな国立の大学通りを、沿道の家の庭の花を見ながらゆっくり歩きたい。
私を待っている池の鴨に「オバサンは元気で戻ってきたよ」と知ってほしい。

どうかこのささやかな楽しみを再び!! でもちょっと欲張りかもね。

痛い生活その後〔24〕 「キャイ~ン」ふたたび

2018-12-08 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
大学構内の大好きなモミジ
いつも惚れ惚れと眺める兼松講堂(伊東忠太設計のロマネスク風建築)
あちらにもこちらにも銀杏の葉が降り注ぐ
椅子の大木の見応えある年輪
次々と待ち構える落葉

犬なら「キャイン、キャイ~ン」、猫なら「フンギャ~ッ」 
そう啼いてこの痛みを訴えるんじゃないでしょうか。

友人と話していると、
「あぁ、もう今年は幾日もないのね。時間が経つのが早くてイヤになっちゃうわ」
と言うけれど、いまの私は逆。
「早く時間が経ってくれないかしら」

脊柱管狭窄症になって2度の手術を経てようやく、
痛い生活からずいぶん解放されたと喜んだのもつかの間、今度は変形性関節症だって。
これって、脊柱管狭窄症よりもっと痛い!
愚痴ってもどうにもならないのは解っているのですが・・・・。
初期のそこそこの痛み時期をあっという間に越え、
医師によると、画像を見ると2期と3期の間なんだそうです。
もちろん人によって痛みの感じ方も違うのですが。

まず起床後、右足付け根が痛くて足を着けない、
ひょっとした動きで右足の付け根が伸びることがあると、アイタッ。
それがどの動作の時なのかが明確に判らないので、突然キャインと痛みがやってくる。
起床後すぐリビングで20分、変形性股関節症に良いというストレッチをやり、
腰痛にも良いストレッチを一通り加え、それからエアロバイクを15分。
エアロバイクをこぎながら、
手首に450gずつの重りを巻いて腕のストレッチも平行させる。
痛いからと歩かないでいると余計に悪くなるので、
杖を使いながら間欠跛行であちこちのベンチに座りつつ大学通りを散歩。
往復1㎞も歩けば腰がズーンと痛くなり、腰掛けつつ家路につく。
しかも厄介なことに、歩き始めてみないと調子が良いのか悪い日なのかが判らないのです。

医師から股関節に負担を掛けないようダイエットをしなさいと言われるのですが、
この程度の運動量では到底痩せません。
大好きな間食も止め、おやつは緑茶か珈琲かたまに紅茶。
相方のお茶に添える甘いお菓子を睨みつつ手も出さず耐える私でした。
ご飯は子ども茶碗に半分、あとは肉や魚のタンパク質と野菜、納豆など。
努力に努力を重ね、ようやく痩せたのはたったの1.5㎏です。
痩せるのって大変なことなのですね。ふぅ~。
じっと立っていると両足の付け根とふくらはぎまで痛くなってくるので、
歯を磨くのも、洗髪後のドライヤーも椅子なしではいられない。
台所仕事はキャスター付きの椅子に腰掛けて。
外を歩くときも腰掛けられる場所を念頭に入れておき、
腰が痛くなって我慢できなくなる前に腰掛けます。
あぁ、不便ったらない生活。
個人差こそあれ、変形性関節症の人ってこういう痛みに耐えているのですね。

さて、手術を見込んだ上での病院選びですが、
人工股関節の草分け「湘南鎌倉人工関節センター」はあまりに遠く、
いまの私には、山を3つ4つ越えないと行けないほどに思えます。
いろいろ紆余曲折ありまして・・・、うちから車で10分ぐらいで行ける、
「都立多摩総合医療センター」にすることにしました。
ここの整形外科は優秀で、股関節の名医というとすぐ名の挙がる先生がいます。
しかしその先生は副院長になってしまいあまりに忙しいので、
その下でバンバン手術をなさっている医長が執刀医になりました。
ここは患者が殺到していて、どんなに早くても手術は3か月後なんだとか。

手術は1年待ちと言われる「湘南鎌倉人工関節センター」に行き、
1か月後に手術をしたというラッキーな友人がいて、彼女の場合はこうでした。
初診のとき偶然、1か月後に人工関節手術のキャンセルが出たんだそうです。
しかも執刀は名医である院長。
なぜそんな棚ぼた話が転がり込んだかというと、
その手術日はその名医の執刀を各地から医師が見学に来る日だったんだとか。
患者がいなくなっちゃ困るじゃありませんか。
そこでタイミング良くやって来た初診の彼女にすぐに声がかかったというわけです。
もちろん彼女は即答、1か月後に執刀というとても希有なケースです。

私の場合、手術は再診の時から3か月後の1月末ということになりました。
担当医に、
「先生、キャンセルが出たらぜひとも私をお願いします。痛くて痛くて」と言うと、
「キャンセルが出たとしても、スケジュール的に無理です」淡々した返答。
確かにこの病院、手術日が決まってから、手術前の総合検査日、手術内容の詳しい説明日、
入院サポート日(麻酔、薬剤、術前の深呼吸練習ほか)などがあって、
自己血の採血日2日間 と合計で5日間も受診しなくてはならず、
それをクリアしてようやく手術となるのです。
これでは突然キャンセルが出たとしても、こなしきれません。
「じゃ2回に分けての採血を、一遍にやってくださっても良いです」と言うと、
「そんなことをしたら、体が弱ってしまってかえって良くありませんよ」
キャンセル待ちの夢もあえなくしぼんだのでした。

それでも諦めきれない私。
医長を紹介してくれたこの病院のお馴染みの先生に、
「先生、『キャンセルが出たら○○さん(私)を入れてやってください』と頼んでください」(にゃん)と言ったら一笑に付されてしまいました。
「この病院で手術すると決めたからにはそれは無理ですよ。
どんどん患者が押し寄せてくるんだから、良い病院は手術待ちが長いのが普通です」
それにしても我ながらしつこい。
ダメなものはダメだと判っているのに・・・。 

あぁ、早く時間よ経て。あっという間に来年になってしまえ。
・・・そうこうするうちにとうとう12月になり、手術まで2か月を切りました。
こうなってくると不思議なもので、足の痛みが強くなってきているというのに、
「このぐらい痛いと手術のしがいがあるわ」なんちゃって。
ちょっとヘンテコなゆとりが出てきたのでした。
でも、あまり痛くなるとそんなこと言っていられなくて、ゆとりが吹っ飛ぶます。

早く来い来いお正月!

痛い生活その後〔23〕 「なんでこうなるの?」

2018-08-27 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
 大学通りの緑はこの上なく深くなり、たまたま道に落ちた葉が軽く色づいたりしている。涼しい秋よ、来~い! 

古い話ですから知らない人の方が多いと思いますが、
40数年前のテレビの人気番組に
『~コント55号のなんでそうなるの?』というのがありました。
欽ちゃんこt萩本欽一が妙なイントネーションで言うセリフ、
「なんでそうな~るの?」が耳に残りました。
いま、私は「なんでこうなるの?」を実感しています。

7月半ばに「縄文」展覧会で腰を酷使した翌日に出現したこの症状、
まさかの【変形性股関節症】でした。
起床時に足の付け根が痛むというのは、典型的な症状なんだそうです。
最初この症状は何だろう?と、脊柱管狭窄症のときと同じ戸惑い。
・・・・それにしても、脊柱管狭窄症で手術2回もしたというのに、
展覧会を愉しんだからといって、すぐに次が用意されているなんて、
あんまりじゃないの?
とにかく朝起きると足の付け根が痛くて、杖を使わないと歩けません。
「イタタ」とリビングにやって来て、
毎朝のストレッチを15分ほどやると、足の付け根がほぐれるのか、
その後は杖を使わなくても歩けるようになります。
しかし日中でもしばらく疲れて横になっていたりすると、また痛くなる。
歩けるようになっても、腰回りにはきしむような痛みが。

私の手術データを持っているので、脊椎関節病院の股関節専門の医師を受診すると、
「股関節は決して良くなることはない。
あなたの段階では手術をする人は10人中1人か2人ですが、
もしテニスなど何かスポーツを楽しみたいなら手術という選択肢があります。
でなければ、行動を狭くし痛みを起こさないように生活を変えることです。
いずれもっと悪くなってくれば手術です」
事実そうなんでしょうが、何だか夢が打ち砕かれたような、
もうやりたいこともできないのかと落胆しつつ帰宅しました。

良くなることはなく、いずれ行き着くのは手術というなら、
手術に長けた病院はどこなんだろう。
古い友人が今年始め、人工関節を入れる股関節置換術を受けたところ、
左足膝から下が麻痺してしまい、いまも全く感覚がないといいます。
2週間の入院といわれたのが3か月にもおよび、
今もって不自由な生活を余儀なくされている。
それを目の当たりに見たり、
「股関節の手術はかなり技術が高いスタッフが組める病院で受けなければならない」
などと読んだりすると、病院、医師の選択を痛感せざるを得ません。
人工関節の手術をした友人に聞くと、大船に良い病院があるということでした。
その病院、湘南鎌倉人工関節センターを調べたところ、
日本でもっとも人工関節の手術件数が多く(by『週刊朝日 病院調べ』)、
もっとも早く人工関節置換手術に特化した病院を設立したのだとか。
手術のチームスタッフもベテラン揃いとのこと。
大船というのは我が家からはとても遠いのですが、
北海道や九州から来る人のことを思えば、それは贅沢というもの。
ある酷暑の日に出かけました。

アスファルトからメラメラと立ちのぼる熱気で体が火照る日でした。
自宅からタクシーも使って2時間弱、汗を拭き拭き初めての場所への遠出はきつかった。
受診した医師が言うには、
「画像を見る限りまだ初期段階で、まだ手術のときではない。
いずれくる手術を考え、筋肉強化のリハビリをして半年後に受診を」
ということで、再診の予約をとり、じっくりリハビリを指導されました。
結局3か所の股関節を診る整形外科の意見によると、初期だと一致していました。
その後、地元の整形外科にリハビリをお願いしようとしたのですが、必要ないとか。

でも、以前は2~3キロはウォーキングしていた散歩大好きな私なのに、
杖をついて300mも歩くと痛くて帰りたくなってしまう。
散歩どころか、近くの病院にも車で行く始末、これではどこにも行けません。
痛い右足に負担を掛けないように、家の中で杖を使うこともしばしば。
超運動不足の日々です。
なにしろ歩くと足には体重の4.8倍もの重量がかかってくるのだとか。
どの医師からもまずはダイエットと言われ、4㎏減を目指しているのですが、
こんなエネルギーを使わない生活では到底痩せられず、悪戦苦闘です。

それにしても初期だというのに、こんなに不自由で痛い生活なの?
う~ん、私の今後や如何に???

痛い生活その後〔22〕 縄文の代償-----新たな痛みとの闘いが

2018-08-02 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
●アジサイが青くなったらお別れのとき
他のアジサイがまっ盛りというのに、アナベルは早々に緑色に変化
 


最初は緑気味になり、そのうち青くなったらお別れ

縄文のすばらしさにいまだ酔っている私。
もう当分「縄文」の展覧会はないでしょう。
“無理してでも行って良かった”と、いまでも大満足です。
会場にはたくさんのソファがありますから、
腰痛の私は当然、しばらく見ては腰を下ろし、
すぐまた見に行き、しばらしてまた腰を下ろし・・・・。
それでも途中で“あぁ、腰が限界!”と何度思ったことでしょう。
こんな無理をしてはいけませんね。
解ってはいても、もう2度と見られない「縄文」展だと思うと、ついつい。
だってこれ、生涯最後の充実した縄文展かもしれない。
さすが東京国立博物館での縄文展、大変密度高いものでした。

ところがところが、その代償はとても大きなものでした。
最近、起床後に右脚の付け根が痛み、歩きにくいことがままあったのですが、
その翌日から最悪のものとなり、起床後しばらく右足を床に着くことができません。
以前買っておいた杖を引っ張り出し、
それを突いて右足をかばうとようやく歩ける、そんな状態です。
右脚を床に下ろすごとに「イタッ! イタタ」
やっとの思いでリビングへ移動できます。
そこで毎朝20分行っているストレッチ運動をすると、かなり楽に。

カイロプラティックの先生によると、
“眠って同じ姿勢でいる間に筋肉が硬直して血流が悪くなる”のだそうです。
確かにそうなのでしょう。
伸ばしたり縮めたり動かし続けると、あらっ、というほど楽になるのですから。
しかしそれでもカラリと痛みが消えてしまうわけではありません。
そのあと、朝のウォーキングに出かけると、右足付け根にそれなりの痛みを感じます。
こんな妙な痛みがなければ、朝のウォーキングはどんなに爽快かと思うのですが。
無いものねだりはせずに痛みと付き合う以外ありません。
カイロプラティックの先生によると、
左脚の悪さをかばうために右脚に負担がかかり不具合が起こるのだとか。
私は骨盤にゆがみがある(右が上がり水平でない)ので、
自分の好きなように普通に歩くだけだと却って傷めることになる。
自分の体に応じた歩き方をしないと、
健康のためにと励むウォーキングが却ってマイナスになってしまうのだとか。
もっと右脚に負担がかからない歩き方をしなさいと、
歩き方のレクチャーを受けました。
「右脚に負担を掛けないようにするため、左手を前に出し、右手は普通のまま。
肩胛骨を狭め、膝を曲げてまず脚踏みし体勢を作ってから歩き始める。
足は踵から下ろさないから膝を伸ばす踵ノッキングはしない。」
この歩き方を励行していれば、おのずと右脚付け根の痛みが解消されていく、と。

このカイロプラティックの先生は、患者の体に教えられて40数年という超ベテラン。
体をカイロプラティックで治してもらうのではなく、
自分で生活姿勢を矯正し健康を獲得していかなければ、腰の不具合は何度でも繰り返す。
ひいてはそれが脚の不具合につながる、という考え方です。
「あなたの腰はたいしたことはないです。
もっともっと歩けない動けないという人が来ています。
なにはともあれ、一番良いのは水中ウォーキングです」と慰められたのですが、
「何? 水泳を週一やっているッ?」
いやなものを見たかのように先生の顔がサッと曇り、
「僕はそういうの、一番嫌いだ!
毎日行きなさい、どうしてもダメなら最低週に2回。
週一なんかやって何になるんです?」と叱られ、しんみりとする私。
手術を2回、痛い鍼治療に10回以上、それでもうまく治らなかった腰痛。
しばらくはカイロプラティックの先生の言うように、
自分の姿勢や動作の癖を治していきたいと思います。
あぁ、腰痛って、やっかいなものですね。

このあと、つづく

痛い生活その後〔21〕 何でもやってみよう!

2018-06-16 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症



治療院に行く途中の府中の農家の前庭、地植えのサボテンの花。透き通るような花弁に思わず見とれて・・・

とうとう「痛い生活その後」も21回目になってしまいました。
せいぜい10回ぐらいで卒業と思っていたのですが、考えが甘かった。

2回目の術後4、5か月のうちは、“痛い痛い”と、
何かというと腰に手が行き、まるで典型的なお婆さんフォーム。
腰が疲れるにつれ痛くなり、つい横になってしまう。
横になると疲れと痛みが取れて、また復活できます。
でも横になればなるほど筋肉は落ち、良いことなんてないと解っている焦り。
あぁ、やっぱり腰痛って容易なことではないのだと思います。
そのようなことを痛感し書いたのは3月のことでした
術後半年経った、いまは6月。
執刀の院長先生も「時間が経てばよくなっていきますよ」と言っておられましたが、
確かに3か月めと半年とでは違います。

たった10分しか立っていられなかった状態は2回目の手術のあと大きく改善され、
小一時間は立っていられるようになりました。
1、2キロ連続で歩いても、
「座りたい、座りたい」とベンチを探して目が泳ぐようなことはなくなり、
術前の私から見れば大変な変化です。
でも、しばらく歩いていたり何か疲れることがあると、ダメージは腰に来ます。
そんなときはグタッと横になって腰を休めると、腰がホッと一息つくのが判ります。
その程度なら何とかやっていけるかもしれないと思い始めていたとき、
こんな話に出合いました。

ブロック注射の薬の効き目(キシロカインかカルボカインか)で苦労したことを、
30年ほどお世話になっている歯科衛生士の方に話しました。
キシロカインは歯の麻酔によく使われる薬だったからです。
私はキシロカインは効かないと思ったのに、
「いえ、キシロカイン、効きましたよ」と言います。
何が何だか判らなくなりました。
それはとにかくとして・・・・
「ブロック注射と言えば・・・」と、彼女が話し始めました。
あるとき全く腰が立たなくなり、
ブロック注射をしても何をしても効果がなく途方に暮れたそうです。
彼女のお姉さんが産後の体調不良でとても苦労していたとき、
それを治してくれたカイロプラティックの先生がいたそうで、
ぜひにと勧められ、その先生の施術を受けたのだとか。
骨盤のゆがみを指摘され矯正してもらううち症状はなくなり、
再び歯科衛生士として働くことができるようになったということでした。
こうなったら何でも試してみたいと思っていた私、
「私もその先生にやってもらえるかしら?」
「紹介者がいないと受けない先生だから、私からの紹介と言ってください」
で、私はカイロプラティックの治療院に行ったのでした。

非常に信頼している整形外科医にそれを話すと、
「カイロプラティックというのは国家資格が必要ないから、施術レベルが判らない。
もしやるのなら、よほど選ばないといけませんよ」ということでした。
うーん。大丈夫かなぁ~。
確かに、カイロプラティックは資格無しで開業可能だから危険もありうるとか。
ネット上にもいろいろな情報があります。
でも、歯科衛生士の方とそのお姉さんの成果を信頼して、やってみることにしたのです。
これ以上3度めの手術はなんとか避けたいと思ったからです。
自分に何が効くのかは判らないけれど、良いかもしれないと思うものはやってみよう。
それにその先生、開業して40数年というベテラン。
40数年前といえば、
日本ではカイロプラティックという治療はほとんど知られていなかった時期。
そこらの開業したての治療師とは違うみたいです。

施術内容は省くとして、ゆがんでいる私の骨盤と首を矯正した結果、
30~40%改善されたといって良いでしょうか。
また調子が悪くなったら来てくださいと言われ、翌週また行きました。
状態がやや戻ったかなという感じだったからです。
2回目でさらに20%ぐらい楽になり、3回目でさらに20%ぐらい。
施術を受ける前からいうと70%前後の改善でしょうか。
執刀医の院長がおっしゃるように、術後の経過には次第に良くなることを考えると、
相乗効果もあったかもしれませんが、これは思いがけない結果でした。

もちろん、腰の状態がスッカラカンに良くなったなんてことは言えません。
歩いていれば常に腰を意識せずにいられないし、
疲れてくると、腰の辺りにきしむように痛みを感じる。
しかし、カイロに通い始める前は、毎日腰に湿布を貼らずにいられませんでした。
特に手術の痕跡辺りが痛くなることが多く、
ほとんど毎日モーラステープ40mg(経皮鎮痛消炎剤)を貼っていました。
でも、施術後は全く貼る必要がなくなりました。
それほど強いダメージを受けなくなったからです。
昨日はらっきょう2キロを漬けたし、台所仕事も快適にできるようになりました。

そんなわけで、腰痛になって以来できなかった初夏の漬け物の仕込みをやり、
いまは思いがけなくほどほど快適な日々を送っています。

痛い生活その後〔20〕 重い腰痛持ちにアッケラカンの日は無し

2018-03-24 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
このぐらいの咲き方のときは、満開へのわくわく感がたまらなくいい
大木の幹に小さく顔を出す桜は特に可愛い
大学通りの桜の樹は、3月24日、1分咲きから4分咲き
真っ赤なひらひら花弁の椿。椿の品種名はあまりに多く、あまりに似ていて判らないことばかり

この椿を見ると、京干菓子の「らくがん(落雁)」を思い出す。甘そう~

レンギョウも花盛り
例年、桜の木の下には菜の花がいっぱい。これは桜の肥料になる
あるお宅の前に咲くこのビオラが大好き。青紫+赤紫の2色に白い縁取りがすてき
このお宅の鉢植えはセンスが良いから要注目。今回は葉も花も白ベースバージョン


そろそろ腰痛その後を書こうと思っていたら、その後はいかがのコメントをいただきました。
そりゃそうですよね。
2回目の手術をして“今度は良いかも”と書いてそのままほったらかし。
“腰痛をすっかり忘れてか、少数民族のことなんて書いているんだから、
きっと良くなったのね?”
と思われる方がいるのは無理ありません。

と~んでもありません。
2度目の手術でかなり改善されたものの、
「すべて世はことも無し」なんてことは全然ありません。
ただ、2度目の手術前のように、
たった10分しか立っていられない、
連続歩行は800メートルが限度、
合計2キロも歩くと腰が疲れ、横にならずにいられないということはなくなりました。
だからいまはレジに並んで買い物もできるし、
街角で偶然出合った人と10~20分立ち話もできます。
これだけでも私には夢のよう。
座っていることは以前からそこそこできていましたが、
いまも30分以上になると腰が疲れてくるので、
なるべく体を動かすよう心がけています。

数日前首都圏に雪が降った日、箱根は30センチも積もり、
交通麻痺の様子をTVで取材していました。
70代後半ぐらいの年配の女性が駅前の行列に並び、
「もう4時間もタクシー待ちしているんです」と話すのを見て、
“わぁ、こういう元気なお年寄りもいるんだぁ”と驚嘆してしまいました。
からだの状態って年齢ではなく個人差がホントに大きいんですね。
私の場合、神様が腰に意地悪したのね。

状態は、さきに書いたようにずいぶん楽になりました。
たとえば、2キロぐらいは連続歩行が可能です。
合計で3.5キロ以上歩くと、早く横になりたいと感じ、
家に戻るとぐったりと疲れた腰を休めます。
たいした用事でもないのに、家の近くででも3日連続で所用があると、
3日目にはかなり腰が疲れてきて、明日は家から出ないで体を休めようと強く思う。
これでは旅行は無理ですね。
今までの数少ない旅行は一泊で、車で行くか新幹線とタクシーを使ってのお大名旅行。
歩いてゆったり花見を楽しもうなんてとんでもありませんでした。
特にそぞろ歩きは苦手で、追い立てられるような早足だとなんとかやっていける。
そんなふうでした。

で、最近痛感するのは、重い腰痛持ちになると手術するにせよそうでないにせよ、
いずれにしてもアッケラカンと良くなることはないのでは?
すっかり良くなった人でも足の痺れは取れにくいそうで、
かくいう私も悪い左脚は夜遅くなってくると痺れが酷くなり、
小指から中指ぐらいまではかなり痺れてしまいます。
毎夜、入浴時に両足首をぐるぐる10回ずつ回し(転倒予防に良いのだとか)、
右手の指を左足の裏から指の間に一本ずつ入れ、前後に倒す(両足ともやる)。
それが功を奏したか、あるいは少し暖かくなってきたからか、
少しずつ改善されてきました。
でも痺れは残ることが多いと聞き、気にしていません。
あの状態から見れば、痺れなんてかわいいものです。

ここでちょっとイヤなことを書けば、
そういえば1回目の手術の後も、3か月後ぐらいはすごく良かったのです。
それからだんだん・・・・。
う~む、いまはまさに3か月後。

あれは何故そうなったのかしらん?
また下り坂が来るのかしら?
いやいやそんなふうに再発を恐れていると、かえって腰に良くない。
腰痛には脳も関係しているというじゃないの!
忘れたふりをしていよう。
でも頭の何処かにその懸念がもたげてくる。
重い腰痛持ちの心に“快晴”という文字は無いのだ。
などと心千々に乱れ、考えないようにと仕向ける我が身憐れなり。
・・・なんて、思っている私です。
さてさて、どうなりますか。

神様、もうそろそろその魔法の杖を私の腰からどかしておくれ。



痛い生活その後〔19〕 その後は雲の中だけど・・・

2018-01-23 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症

土砂降りの翌日(1/18)は至る所ガスが立ちこめていた。大学の時計台もガスにかすんでいる
兼松講堂だってこの通り。手前の梅の木には2、3輪の梅が咲いていたのだが、これじゃ見えない

鴨が待つ池の近くに進むと、こちらもかすんで幻想的
「おーい、おーい。オバサンが来たよ~っ」と声をかけると、今年の鴨は例年より反応が悪いけれど、それでもスイスイやって来た

さてさてその後の体調は、先回書いたように切羽詰まらなくなったのだけれど、
特に変わったことと言えば、以前より座っていることが苦手になったようです。
座っていると腰がモジモジつらくなってきて、ゴソゴソ動かさずにいられません。
自宅にいるときは良いのですが、
外出先でじっと座って待たなければならないときはちょっとつらい。

それともう一つ、腰が疲れてくるとつい横になって腰を休めたくなる頻度が増えました。
確かに切羽詰まらなくなったけれど・・・・。
院長によると、時間が経てば良くなるということだったから気軽に待ちますが、
10分しか立っていられない生活よりはいい。

ところで具体的な院長の指示を書き留めると、
「コルセットは2か月もやっていればいいでしょう」
たくさん服用していた薬は
「もうどれものまなくていいです。気休めに痛み止めを週間分出しておきましょうか?」
水泳も屈伸運動もOKでした。

腰痛の人って皆さんそうだと思いますが、
腰が痛くなったり張ってきたりしてきたとき、
横になって腰を休めるということが多々あると思います。
一年後の私の腰、どうなっているかしらん?

もっと良くなってきたら、あれもしたいこれもしたいという願いがいっぱいあるけれど、
とりあえずいまはそれをさておき、
もうちょっと暖かくなってきて、泳いだりもっと散歩したり、
可能になったら座る時間が長い講座も聴きに行って・・・・。
あれこれ考える私です。
あぁ、そんな日々、早く来てほしい。
だけどいまは我慢、我慢。
大学の池にいる鴨が北に旅立つ頃になったら、きっと何か変化があると信じて。

雪が降らない故郷で育ったから、私は雪との対応の仕方ができていません。
ほんとはウォーキングに行きたいのだけれど、
この町にも25㎝ぐらいの雪が降って、いまは町中がステンステンと滑りそうな感じ。
いくらコルセットしていても、こんなときに滑ったら大変。
脊椎にどんなダメージを与えるでしょう。
今日はじっと我慢で籠城です。

痛い生活その後〔18〕 術後の調子&院長のアドバイス

2018-01-14 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
 
なんで柴犬? と思われるかもしれないけれど、大好きな柴犬を紹介。これが一番好きな犬写真。特に黒柴の魅力は格別。大学通りで出合って、思わず写させてもらった黒柴チャン。な~んて可愛いの? と胸キュン。毎日眺めても飽きない


黒柴は目の上の白い眉が特徴的。お公家さんの眉のようで、「四つ目」とか「まろ眉」と呼ばれるのだとか。実は茶柴も同じ模様を持っているのだけれど、黒いから特に目立つのだそう

「いぬと私のココロつながる-わんちゃんホンポ」より転載

さて手術してから24日後、稲波脊椎関節病院の術後初検診。
血液検査とレントゲン検査をし、院長の診察を受けました。
私が持って行った質問事項は、
1.手術跡少し上にできた飛び出しは何? このところやや凹んできたが・・・
2.今後の薬の服用は?
3.コルセットはいつまで着用するのか?
4.床まで手を付ける屈伸運動はしていいのか?(この屈伸が大好き)
5.水泳はいつ頃から可能か?(あぁ、泳ぎたい)

現在の調子は、以下のように説明しました。
10分しかできなかった静止立位が3、40分は可能になった。
数百メートルしか連続で歩けなかった歩行、いまでは1キロぐらいは可能。
痛いわけではないが、後腰中央が張るのか凝るのか疲れが出て腰掛けたくなる。


これらの報告と、血液検査、レントゲン画像を見て院長は、
「順調ですね。腰の張りもいずれ無くなっていきますよ」と。
そんなに何もなくなったら、あまりにもうまく行きすぎ。
そんなに良いことを望んではいなかった。
手術したからって、諸手を挙げて楽ちんになるとも思っていなかった。
それほど高望みしていなかったというのが私の正直な予想だったのです。
だって、腰痛の大半は原因不明だというし、
腰痛で手術した人が長い間つらい思いをしているのをたくさんみているから、
手術をしたからといって“ハイ治りました”ということはめずらしいと思うし、
私はそんなに素直じゃない。
長い痛い生活の中で培ったのは、あまり期待しすぎないことだったのです。
治るかもしれないと期待すると、その後の状態に失望してつらいのです。
腰痛が治ったとしても痺れが残るのは普通だから、
残りたければ、どうぞたっぷり残ってくださいな。
私は高望みはいたしません。
それがこの痛い生活から身についたことでございます。
(・・・と、腰痛の神様に言っている私)

で、具体的にいまは、切羽詰まることがありません。
ただし、なにかというと腰が疲れてきて、
つい横になって腰を休めたくなってしまいます。

これは腰痛の方どなたもそうだと思います。
いずれそれは改善していくと院長はおっしゃるので、もしそうなったら嬉しいですが、そうならなかったとしても、私はこの結果には満足。
日常の動作で切羽詰まる要因がないだけで、どれだけ楽なことでしょう。

今回、術後1か月弱で受診して、
強く残った院長のアドバイスがあります。
「いつも背筋を伸ばしているように」
姿勢を良くするということは何度も言われたことがありますが、
院長の理由が非常に説得力がありました。
「背筋を伸ばしていると腰が疲れてくるでしょう?
 つまりそれだけ腰回りの筋肉を使っているということになるのです」
そうやって腰回りの筋肉を使うことによって、
日々筋トレをしていることになるという話。
もちろん背筋を伸ばす姿勢は腰痛には良いのですが、
そうすることによって筋肉も鍛えるという説得力ある説明。

さて、今後の私の状態はどうなるのかしらん?
疑い深くなった私の行く末は?

痛い生活その後〔17〕 手術直前のとんだドタバタ

2018-01-11 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症

散歩コースの大学構内には無数の松ぼっくりが落ちている。こちらはおなじみの赤松松ぼっくりの後側ってこんなに平らに踏ん張っている
松笠には一つ一つこんな模様があるなんて知らなかった

入院すればあっという間で、翌日手術です。
当日は10:45からの手術と言われていました。
院長にとってはこの日2件目の手術となるようです。
1件目の手術が始まる直前、院長が病室にやって来ました。
「△◎さん、胸のレントゲンに以前にはなかった影が2つあるんですよ。
 腫瘍ができているかもしれません。
 (今日やる)手術はたいしたことではないんですが、胸の方を先に考えますか?
 それともこの手術はやりますか?」
いつも明るい印象の院長ですが、
さすがの私にも言葉の裏に何か良からぬことが起こっているらしいと判りました。
“悪性腫瘍ができているのかもしれない”ということを。
それでも、「こちら(いまからやる腰痛手術)をやってください」と即答しました。
胸の影は非常に深刻だけど、
いまの私にとっては腰の状態は毎日切羽詰まっているのです。
10分も立っていられないということは、
確実に座れなくては電車には乗ることができない、レジで並ぶこともできない。
街角で知人と会っても立ち話はもちろん、他の人と団体行動ができないのです。
何はともあれ座るベンチがなくては不安、腰が疲れてきたらどうしようもない。
細かく挙げたらきりがありません。
コンビニで立っていられなくなって棚の前にしゃがんだら、
万引きと間違えられたのかさっと店員がやって来て私の隣にしゃがんだあの日。
道で立っていられなくなって、駐車場の車と車の間にしゃがんでしのいだあの時。
悲喜こもごもの思い出はどっさり。
せめて立位10分を20分に延ばしてくれ~い。

「ご主人は何時ごろ来ますか?  来たら一緒に画像を見て話しましょう」
まもなくやって来た相方と別室に行き、院長と画像を見ながら話しました。
「ここに2か所気になる影がありますから、
 腫瘍ができていることを考えたほうが良いでしょう」
来る早々聞かされた相方、私同様きょとんという感じでした。
そこでも私はまず今日の手術をしたい旨を言いました。
で、ここでふと思い出したのです。
以前特定健診を受けた際、医師から言われたのでした。
「前になかった影があります。すぐCTを撮ってきてください」
検査先でCT技師が言うには、「以前骨折したことがありますね?」
そういえばだいぶ前、副院長が神経根の高周波熱凝固をしてくれた翌日、
ベランダにいつもない物が大量に積んであって足先が引っかかり派手に転び、
胸の脇を思いきりベランダのシンクの縁に打ち付け、
呼吸ができなくなったことがあったっけ。
胸の強い痛みがなくなるまでに1か月半もかかりました。
それから一年後の画像を見ると、なんと2箇所も骨折していたのだとか。
それを院長に話すと、
「そういえば骨に沿って影がありますね。
 念のためすぐCTを撮りましょう。今日手術するにしても安心してやりましょう」
CT技師からはまた同じことを言われ、
この2つの影はぶじ骨折の跡と判明しました。
それにしても骨折の跡って、一年も経つとこんなに影が大きくなるのねぇ。
骨折するとその部分の骨が太くなると聞いたことがありますが、
ぽっこりと膨らんで丸くなっていました。

院長は最初の手術に入り、私はその次を安心して待つ身となりました。
めでたし、めでたし。
いざ手術室で私がまだ意識があるうちに院長と顔を合わせると、
“まったくもう、驚かせて・・・”というふうに破顔しておられました。
人騒がせな胸の影でした。

痛い生活その後〔16〕 それは暮れに突然やって来た

2018-01-04 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
散歩コースの定番、一橋大学構内の兼松講堂はロマネスク様式。池には氷が張っていた
今年も、奥の池には20羽近いマガモがゆったり。せっせと餌を持ってこなくちゃ
緑豊かな構内でみつけたヒマラヤスギの松ぼっくりは、長さ10センチと巨大。3日後、ハラハラと音を立てて解体してしまった

あちこちブロック注射をしてみたものの、原因箇所は特定されません。
これ以上打つ手はないのだと思った私は、担当医に尋ねました。
「腰痛に長けたペインクリニックをご存じありませんか?」
もうペインクリニックに頼って痛みを軽減してもらう以外ないのでは?
「(△さんは)この病院の手術第一号ですからねぇ。
 今度は院長から別の視点で診てもらいましょう」
もうすっかり手段はないと諦めていたので、思いがけない提案でした。
静止立位限度がたった10分というのは、生活に制約がありすぎるのです。
ありがたい提案でした。

すぐ院長の予約をとったものの、
10月中旬からの1か月以上前庭神経炎という聞き慣れない病気になり、
(三半規管の故障と症状が酷似し、快復に約1か月)
めまいと吐き気に悩まされキャンセルに次ぐキャンセル。
院長の診察を受けたのは12月になってのことでした。

初めて診察を受けると、院長はこのように言われました。
「あなたはこの病院の開院第一号で手術をした人ですからね。
なんとしてでも治さなくちゃ」
まぁ、なんとありがたいお言葉。
偶然だったとはいえ、第一号で良かった!
私は開院日に入院、その翌日に手術したのでした。
「ネットを見ると、良くなっていないようだし・・・」
さりげなく言われたのですが、院長はこのブログをご覧になっているようです。
ブログにコメントくださった方には、
この稲波脊椎関節病院で手術なさった方が何人かおられたのですが、
そういえば、“院長からブログを教えられました”という方がいましたっけ。

副院長のY医師がなさった14回のブロック注射を確認し、
画像確認と症状の聞き取りをした上で、
すぐ原因箇所を特定するためのブロック注射に入りました。
1.神経根ブロック(S1)
  ブロック後、一番痛くなる行動をしてみる。
  私の場合は立位10分が限度なので、待合室で立っていた。
  いつも通り、5分ぐらいで左脚付け根外側に痛みが来て、10分で限界。
院長にそれを報告。すると「神経根の別の部位をブロックします」と。
2.神経根ブロック(L5)
  結果は同じでした。すると院長は、
  「歯医者で麻酔は効きましたか?」
  「はい、効きました」
  「じゃ、□△をやってみましょう」と言います。
 えっ? 一日に3箇所も? 
ずっと1日1箇所だったからたいそう驚き、思わず笑っていました。
私はブロック注射慣れした、いわばすれっからし腰痛患者。
「先生、なんでもやってください」すぐ口をついて出ました。
3.仙腸関節ブロック
今度は仙腸関節でした。
  どうも院長は神経根と仙腸関節を強く疑っておられるようです。
しかし結果は同じ。症状になんの変化ありません。
  ブロック注射の処置室にいる看護師に、尋ねてみました。
  「ブロック注射を1日3回もやる人っているの?」
  「ない、ない、ない」と言下に否定。
3回目の診察室、結果を報告すると院長は一呼吸置き
「今日はこのぐらいにしておきましょう。
 これ以上やると、何が何だか判らなくなってしまう」

さて一週間後、再び院長の診察に行き、その後何も変化がないことを報告しました。
う~むとしばし考えた上で、院長は再度同じ問いを言いました。
「歯医者で麻酔は効きましたか?」
「はい、効きました。だいぶ前ですけど」
院長は少し離れていた看護師に、
「◎◎さん、キシロカインじゃなくて、
 濁音が入った何とかカインというのがあったでしょ?」
彼女は何処かに電話で会話をした後、判ったのが【カルカイン】という薬でした。
うむ、確かに濁音が入っている!
院長はこの病院の患者の膨大なデータ表をザーッと見て、
「う~ん、こことここにいる」
それは41歳の女性と85歳の男性のデータでした。
よく使う麻酔薬【キシロカイン】が効かないタイプかもしれないということのようです。
と疑った院長は、【カルボカイン】を使ってブロック注射。
処置室を出て行くとき、「今度は効いてくれよ・・・」とつぶやきました。
カルボカインとやらを使ったブロック注射のあと、
静止立位15分経過しても痛くなりません。
あれれ、初めての体験です。

診察室に戻り報告すると院長は、“とうとうやったッ”という表情を見せ、
「じゃ、来週手術というのはどうですか?」
「はい、お願いします」
来週手術という展開の早さに驚いたものの、こんなにありがたいことはありません。
だって、院長の執刀はこんなに早く可能になるものではないのですから。
「先生、来週となると・・・ちょっとそれは・・・」あわてて看護師が口をはさみます。
大変な混雑のこの病院で来週に押し込むというのはどんなに大変でしょう。
院長は即一蹴、晴れて来週入院という運びになりました。
なんというめくるめく展開、あっけにとられながらもありがたい。
大晦日まであと2週間という年の瀬、
改めて開院第一号の手術をした我が身の幸運(?)を思ったのでした。