goo blog サービス終了のお知らせ 

あみたろう徒然小箱

お気に入りのモノに囲まれ、
顔のつぶれたキジ猫と暮らせば、あぁ、極楽、極楽♪

ミャオ族のろうけつ染め

2012-12-27 | 少数民族あれこれ

前回紹介した刺繍を刺したのは郎独村の村長の奥さんで、
私が訪問したときはちょうどろうけつ染めをやっていました。
それがこの画像↑
ろうけつ染めに打ち込んでいる村長夫人を私が撮ろうとしているのを見て、
庭先で遊んでいた子どもたちがバラバラバラッと駆け込んできて、こちらをきっと睨んで仁王立ち。
私はこのときの子どもたちがカメラを見据える目つきと、手仕事の情景の対比が大好きです。

少数民族の子どもたちはだいたいにして人懐こいことが多く、
すぐに手をつないできたり、おやつのヒマワリの種をこっそり分けてくれたりします。
ところがこの村の子どもたちはニコリともしません。
カメラを見据える目にも力がこもっています。
もちろん、それは敵意を持っているというわけでは全くないのですが、
私はこの子どもたちの目にとても惹き付けられました。

村長の奥さんに聞いてみると、ミャオ族の女性にとって刺繍とろうけつ染めは必須条件で、
それらが出来ない女性はお嫁に行けないんだそうです。
刺繍は4歳から習い始め、ろうけつ染めは難しいので7歳からだとか。
たしかに、ミャオ族のろうけつ染めの繊細さは、他の民族のそれに比べ群を抜いています。

このろうけつ染め↓は、ミャオ族のろうけつ染めの中でも特にレベルの高いもので、
どの村のものかは判らないのですが、郎独村の女性が染めたろうけつ染めではないのです
ただ、貴州省のミャオ族のものであることは確か。
こちらもエプロン型に仕立て、前垂れ飾りとします。

これは上二つの文様↓

これは下の文様↓


染めは村によって文様が違いますが、
手仕事上手のミャオ族のろうけつでもこのぐらいの模様の荒さのもの↓がほとんどです。


先に挙げたろうけつ染めは特別のレベルだということがだということがよく判りますね。



苗(ミャオ)族の緻密な刺繍

2012-12-26 | 少数民族あれこれ


中国には55の少数民族がいて、彼らは独自の民族衣装を着ています。
中でも、最も緻密な刺繍やろうけつ染めで群を抜いているのがミャオ族です。
北京の故宮博物館の中には、特別にミャオ族館があって、
いかに彼らの手仕事のレベルが高いかが伺えます。

私が相方の少数民族調査の助手(撮影係、取材補助、社交係、衛生係)をするために仕事を止め、
雲南省昆明市に1年間住んだのは1995年から1996年、
その間には1か月に1~2回ペースで辺境地に住む少数民族を訪ね、
相方の専門分野である少数民族の神話と歌垣を採集していました。
辺境地への旅は並大抵の苦労ではなかったのですが、それにも増して収穫が多く、
異文化や無垢で温かな少数民族とのふれ合いには語り尽くせない思い出があります。
帰国後の1996年以降も年に1~2回のペースで、
雲南省、貴州省、湖南省、四川省などに通い続け、民族調査は30回近くに及びます。

さて、少数民族の村に入ると、女性たちが手仕事をしている場面に出会うことが多く、
これは貴州省凱里の近くにある郎独村の村長の奥さんが刺繍したもの。
上部の両端に長い紐を付けてエプロンに仕立て、腰に締めて前垂れ飾りとします。
めったに来ない外国人が来たというので、
奥さんは、これを買ってくれないか? と私に持ちかけました。
雨の日や農閑期しか針を持つ暇はないから、完成までに約1年間かかるそうです。
「言い値で買ってはいけませんよ。
外国人は高く買ってくれると思うから、今後のためにも良くない」と通訳に言われ、
日本円で1000円というのを800円に値切りました。
それでも私にとっては、1年間の成果がそれかと思うと気が引けたものです。

そもそも村長に取材している最中の出来事だったので、慌てて交渉成立したのですが、
持ち帰ってよく見ると、まだ完成途中でした。
これが完成形の部分↓

これが未完成の部分↓

よく見ると、まだまだ埋めるべき箇所が空いていることがよく判りますね。

この刺繍の素晴らしいところは、驚くべき緻密な模様です。
エプロンの縁に近い周囲は、いわゆるクロスステッチを使うことが多く、
2本の糸に刺繍糸を掛けて模様を作っていて、これは一般的ですが、、
主要部分は、1本の糸に刺繍糸を渡しています。
だからこのように非常に小さな色の点になるのです。
う~ん、これなら1年がかりというのも無理ないですね。

ミャオ族の刺繍にはまだまだ素晴らしいものがたくさんありますが、
これは私がとても印象が深かった刺繍。

次回は、これを刺繍した村長さんの奥さんが登場します。

愛する小鳥

2012-12-20 | goods ・インテリア


私のパソコンの隣には、文具を入れる小さな戸棚があって、その上にはいつもこの小鳥がいます。
この小鳥、ただの小鳥じゃない優れもの、3つの機能を持っているんです。
5年ほど前、フィレンツェの町の外れにある、小さな文具&テーブルウェアなどのgoods店で買ったもの。
この小鳥、種類は10種類近くあったのだけれど、ビビットカラーのこの小鳥を選びました。

正面を向くとこんな感じ↓


ご覧のように真下は平らじゃないから、どんな微妙な動きにも反応して、ゆらゆらと動きます。
真っ逆さまに置いても、ちゃんと立ち上がる。
いわゆる「起き上がりこぼし」になっているんです。

真後ろはこんな感じ↓
真後ろを見ると、ちょうど下側が穴が空いていますよね?
ここから音が出る仕組みになっていて、
この小鳥が動くと内蔵されている笛がピヨピヨピヨと啼く仕掛けになっています。


そればかりじゃない↓
体の部分には磁石が仕込まれているので、ゼムクリップ留めを兼ねているんです。


とまあ、小さいのに3つも機能を持つ小鳥、
今日も私のパソコンの隣でたまにピヨピヨと啼いています。
どうと言うことのない小鳥だけれど、いるだけで何となく元気づけてくれる感じが好き。


今どきの大病院って・・・こうなの?

2012-12-11 | よもやま話
整形外科に行く必要があり、都立多摩総合医療センターに行きました。
風邪などは近所の町医者ですましてしまうから、
大病院には7,8年ぶり? いえ、それ以上かもしれません。
久々に行ってみて、まぁ、驚いたこと驚いたこと。
いまどきの大病院って、こうなってんの? というお話です。

まず、整形外科受付に電話をかけ、私の症状に合った専門医の予約を取ります。
いよいよ当日、初診受付に行くと、
「病院見取り図、予約案内、受付から帰宅まで」のパンフレットを渡されます。


赤いストラップ付きケースと「呼出機」を渡され、「呼出機の説明」パンフレットを渡されます。
呼出機には必要なすべての指示が表示され、それに従って患者が動くというシステム。
だから患者は皆、赤いストラップのついた呼出器を首から掛けています。


しばらくロビーのソファで待っていると、ビビーッと軽いバイブレーション付きで呼出器に指示がきました。
「16番待合室でお待ちください」
黄色い「確認」ボタンを押すと鳴り止みます。
16番待合室に行くとまもなく「3番診察室にお入りください」との指示が。
診察のあと、医師は次の予約日と処方箋をファイルに入れてくれ診察は終了。
医師の指示のもと、血液検査とレントゲンを撮ることになりました。
今度は「15番(採血室)の前でお待ちください」との指示。
15番に行くと、待ち時間はたったの1分でした。
それが終わると「20番の前でお待ちください」との指示。
20番の前に行くと「○番の扉からお入りください」
で、あっという間に検査2つは終了。

会計にファイルを出すと、会計終了のお知らせも呼出器に表示されます。
まもなく「会計が終わりましたので、6番自動支払機でお支払いください」と。

<自動支払機が並ぶ6番コーナーに行き、支払機の口に呼出器を入れると、
一瞬でストンと落ちて、まもなく金額が表示されます。
支払い機で支払うと予約票と領収書が出てきて終わり。
受付から、ここまでたったの40分。
あっちへこっちへの効率よい指示で、本を読む暇さえありません。
検査がなければ、受付してから20分で終了ということもあります。

この呼出器の良いところは、院内どこにいても指示がわかること。
安心してトイレに立てますし、売店にも行けます。
「○○さん、△番診察室にお入りください」などという呼び出しの声は全くないから、
院内は至って静かで落ち着いた雰囲気。
耳が聞こえない方はバイブレーションが付いていますから、見落とすことがありませんが、
目が見えない方のための対策がどうなっているかはよくわかりませんでした。

それにしても久しぶりに大病院にかかった私、いまどきの大病院ってこんなふうになっているの? 
と、いたく感心してしまったという次第です。

それで思い出したのが、古い話で恐縮ですが1996年当時のこと。
中国雲南省昆明市に住み、そこから辺境地の少数民族調査に通っていたときのことです。
山道で対向車との正面衝突を避けるため、私たちの車はとっさに土手下に転がり落ちて衝突を逃れました。
車に3時間ほど揺られ、近くの市の総合病院に行ったら、鎖骨を骨折していることが判りました。
痛みに耐えつつ、1日かけて昆明市に戻り、すぐ大病院へ。
そこは大変な大混雑で病室は満員、廊下にまでベッドを置いて入院している人たちがいます。
ベッドの下には血だらけの洗面器が放置されているという状態。
受診の順番が来たら、医師から「診察室が空いていないから、廊下で上半身を脱ぎなさい」と言われて仰天しました。
さすがに相棒が拒否し、何だか判らない部屋に連れて行かれ、包帯できつくぐるぐる巻きに。
しかしあまりにきつく巻かれて手先が痺れてくる始末で、骨折の痛みどころではありません。
手を尽くして航空券を取り帰国し、立川災害医療センターという大病院に行ったら、
なんとそこの天井にはカルテを入れた箱がレールでスイスイ走ってる。
唖然として見とれているうちに診察の順番が来ると、
医師は「この縛り方はひどいなぁ」とすぐに包帯を解いてくれ、鎖骨骨折用の固定用具を填めてくれました。
あぁ、楽ちん、楽ちん。鎖骨を守りつつ普通に動けるのですから。
(その後の1か月は、包帯できつく縛った後遺症に悩まされました)

立川のその病院でトイレに行ったら、これまたショック。
な、なんと美しくて清潔なこと!
すさまじい中国トイレ事情の中で暮らしていた私は大感激。
(いまから思えば普通のトイレでしたが・・・)
「私、こんなにきれいなトイレだったら、床舐めることだってできちゃう」
と、同行者に言って失笑されましたっけ。

ま、今回の大病院行きはそんな落差はもちろんなかったけれど、
大病院のシステムというのは、ドンドン変わっているんだなあと痛感、
で、思わずあの衝撃を思い出したというわけです。