6月29日(月)、いよいよ満を持して小岩のI整形外科内科病院へ。
電車に乗ることなど到底できない状態ですから、
相方の運転で東京の西の端から東の端へ、首都高速を乗り継いで行くことになりました。
スカイツリーやあのアサヒビールの社屋を見ながら、その道のりの遠いこと遠いこと1時間40分。
狭い待合室には順番を待つ患者がひしめいていて、席を立てば座席がなくなるほどですす。
受付で持参したレントゲンとMRIのデータを提出すると、
ほどなくして、うちの撮り方でレントゲンを撮り直しますのでとのことで、撮り直し。
たしかにK大学病院の撮り方とは角度や姿勢がかなり違いました。
待つこと3時間以上、ようやく診察の順番が来ました。
医師は、一つ一つ腰部脊柱管狭窄症について説明してくれました。
私のMRIの画像では、
第4椎骨と第5椎骨の間が非常に狭くなっているとH総合病院で説明を受け、
画像は、そこがほとんど開いていないほど狭くなっている印象でした。
I病院では、ぜひとも私の狭窄の状態を聞きたいと思っていたので訊ねました。
「MRIの画像で見ると、狭窄状態はどの程度酷いのでしょうか?」
すると医師から、意外な答えが返ってきました。
「MRIの画像の状態で手術をするかしないかは決まりません。
もっと酷い人でも、
良くなったり悪くなったりを繰り返しながら一生過ごしてしまう人もいるし、
もっと画像が良い人でも痛みに堪えられなくて手術する人もいます」
痛みの感じ方は人それぞれだから、確かにそうかもしれません。
どうしても手術を避けたいなら、
生活に気をつけながら、なんとか一生を過ごしていくのでしょう。
「いまある症状のうち3割ぐらいの症状が残ってしまうことがありますが、
7割の症状はなくすことができます」
手術の決断を迷う私に医師は、
「1㎞歩けますか?」と尋ねました。
「とんでありません。100m位です。」
「腫れが引くと、痛くなくなることもありますけどね」
あくまで“手術した方がいいです”とは言われません。
そんなこんなの会話があって、手術することに決めました。
手術基準が「1㎞歩けるかどうか」ということではなかったのかもしれませんが、
例えにしても1㎞か100mかではあまりの違い。
このような痛い生活がまたいつ繰り返すか判らない、
ハラハラしながら制約の多い生活を送るよりも手術をしよう、そう思ったのです。
I整形外科内科病院と医師がほとんど同じ系列病院が品川にもあり、
建て替えていた建物が7月21日に開院し、22日に手術と決まりました。
とうとう手術が決まってしまった。
ホッとするような怖いような、複雑な気持ちです。
ところが自宅に戻り、それからの私。
なんだか日増しに良くなってきて、
翌々日は400m、次は800m、1200mと順調に歩行距離が伸びていき、
1700mも歩けるようになってしまったのです。
◉ 神経が通る脊髄の手術は怖い→できるものならやらないで済ませたい
◉ 手術をしてでも、いままでのように活動的でいたい
◉ ハラハラして今後を暮らすのは心配
◉ この調子で歩けるようになれば、手術しなくても大丈夫なのでは?
◉ いままだ元気でエネルギーがあるうちに手術しておいた方がいい
◉ 1人暮らしになったとき、またあの強烈な痛みが来たら、
通院、手術の手配など、1人ではできない
などなど、心千々に乱れて気が休まりません。
そこへ、友人Sさんからメールが来て、やりとりするうち、
〈その1〉で書いた6人の狭窄症の知人うち、手術をした人の話が話題に出ました。
そのHさんは発病後10年間を経て、狭窄症のために早期退職もし、手術をした人です。
私よりもずっとよく彼を知っているSさんが言うには、
「彼の辛い状況はずっと見てました。
でもいまは良くなって、スキーもやるようになったのよ」とか。
ひゃ~、私の迷いMAX、手術してそんなに良い人もいるのね。
スキーなんて転倒したら大変なのに、あんな危ないものさえできるように?
私もまた思い切り泳ぎたいなぁ、旅行もしたい。
いまのうちにやってしまおう。
しかしここで、姉の友人の話が頭をよぎります。
彼は静岡でもっとも狭窄症の手術実績がある有名総合病院を選び手術しました。
一番優秀と言われる医師の執刀だったはずなのに、
当日その医師が不可能となり、急遽別の医師に交替したそうです。
手術後、排尿後膀胱に半分残尿してしまう症状が出てしまい、
いまも排尿の毎に自分で残りを採る事態に。
痛みも残ってしまい杖が離せないという、とんでもない生活になっています。
そういう例を身近に知っているだけに、迷いはまたまたグジャグジャにかき回され、
まるでマーブル紙のように渦を巻いてしまうのでした。
フィレンツェで見た美しいマーブル紙、もうあれを買いに行くことも叶わないのかしらん。
それとも・・・。
でも、今日は逆戻りして歩くと痛かった。
単純に回復はしていかないのねぇ。
まな板に乗るか飛び降りるか、中途半端な症状だけに迷う私。
あぁ、どうなるんだろう~。
ええいっ、まだるっこしい、我ながら往生際が悪い!!
私って、こんな性格だったのかしら?
エイッ っと、決められない自分がもどかしい。
呆れて性格までしみじみ見つめ直す始末。
逡巡の日々はつづくのでした。
「痛い生活」まだつづく
電車に乗ることなど到底できない状態ですから、
相方の運転で東京の西の端から東の端へ、首都高速を乗り継いで行くことになりました。
スカイツリーやあのアサヒビールの社屋を見ながら、その道のりの遠いこと遠いこと1時間40分。
狭い待合室には順番を待つ患者がひしめいていて、席を立てば座席がなくなるほどですす。
受付で持参したレントゲンとMRIのデータを提出すると、
ほどなくして、うちの撮り方でレントゲンを撮り直しますのでとのことで、撮り直し。
たしかにK大学病院の撮り方とは角度や姿勢がかなり違いました。
待つこと3時間以上、ようやく診察の順番が来ました。
医師は、一つ一つ腰部脊柱管狭窄症について説明してくれました。
私のMRIの画像では、
第4椎骨と第5椎骨の間が非常に狭くなっているとH総合病院で説明を受け、
画像は、そこがほとんど開いていないほど狭くなっている印象でした。
I病院では、ぜひとも私の狭窄の状態を聞きたいと思っていたので訊ねました。
「MRIの画像で見ると、狭窄状態はどの程度酷いのでしょうか?」
すると医師から、意外な答えが返ってきました。
「MRIの画像の状態で手術をするかしないかは決まりません。
もっと酷い人でも、
良くなったり悪くなったりを繰り返しながら一生過ごしてしまう人もいるし、
もっと画像が良い人でも痛みに堪えられなくて手術する人もいます」
痛みの感じ方は人それぞれだから、確かにそうかもしれません。
どうしても手術を避けたいなら、
生活に気をつけながら、なんとか一生を過ごしていくのでしょう。
「いまある症状のうち3割ぐらいの症状が残ってしまうことがありますが、
7割の症状はなくすことができます」
手術の決断を迷う私に医師は、
「1㎞歩けますか?」と尋ねました。
「とんでありません。100m位です。」
「腫れが引くと、痛くなくなることもありますけどね」
あくまで“手術した方がいいです”とは言われません。
そんなこんなの会話があって、手術することに決めました。
手術基準が「1㎞歩けるかどうか」ということではなかったのかもしれませんが、
例えにしても1㎞か100mかではあまりの違い。
このような痛い生活がまたいつ繰り返すか判らない、
ハラハラしながら制約の多い生活を送るよりも手術をしよう、そう思ったのです。
I整形外科内科病院と医師がほとんど同じ系列病院が品川にもあり、
建て替えていた建物が7月21日に開院し、22日に手術と決まりました。
とうとう手術が決まってしまった。
ホッとするような怖いような、複雑な気持ちです。
ところが自宅に戻り、それからの私。
なんだか日増しに良くなってきて、
翌々日は400m、次は800m、1200mと順調に歩行距離が伸びていき、
1700mも歩けるようになってしまったのです。
◉ 神経が通る脊髄の手術は怖い→できるものならやらないで済ませたい
◉ 手術をしてでも、いままでのように活動的でいたい
◉ ハラハラして今後を暮らすのは心配
◉ この調子で歩けるようになれば、手術しなくても大丈夫なのでは?
◉ いままだ元気でエネルギーがあるうちに手術しておいた方がいい
◉ 1人暮らしになったとき、またあの強烈な痛みが来たら、
通院、手術の手配など、1人ではできない
などなど、心千々に乱れて気が休まりません。
そこへ、友人Sさんからメールが来て、やりとりするうち、
〈その1〉で書いた6人の狭窄症の知人うち、手術をした人の話が話題に出ました。
そのHさんは発病後10年間を経て、狭窄症のために早期退職もし、手術をした人です。
私よりもずっとよく彼を知っているSさんが言うには、
「彼の辛い状況はずっと見てました。
でもいまは良くなって、スキーもやるようになったのよ」とか。
ひゃ~、私の迷いMAX、手術してそんなに良い人もいるのね。
スキーなんて転倒したら大変なのに、あんな危ないものさえできるように?
私もまた思い切り泳ぎたいなぁ、旅行もしたい。
いまのうちにやってしまおう。
しかしここで、姉の友人の話が頭をよぎります。
彼は静岡でもっとも狭窄症の手術実績がある有名総合病院を選び手術しました。
一番優秀と言われる医師の執刀だったはずなのに、
当日その医師が不可能となり、急遽別の医師に交替したそうです。
手術後、排尿後膀胱に半分残尿してしまう症状が出てしまい、
いまも排尿の毎に自分で残りを採る事態に。
痛みも残ってしまい杖が離せないという、とんでもない生活になっています。
そういう例を身近に知っているだけに、迷いはまたまたグジャグジャにかき回され、
まるでマーブル紙のように渦を巻いてしまうのでした。
フィレンツェで見た美しいマーブル紙、もうあれを買いに行くことも叶わないのかしらん。
それとも・・・。
でも、今日は逆戻りして歩くと痛かった。
単純に回復はしていかないのねぇ。
まな板に乗るか飛び降りるか、中途半端な症状だけに迷う私。
あぁ、どうなるんだろう~。
ええいっ、まだるっこしい、我ながら往生際が悪い!!
私って、こんな性格だったのかしら?
エイッ っと、決められない自分がもどかしい。
呆れて性格までしみじみ見つめ直す始末。
逡巡の日々はつづくのでした。
「痛い生活」まだつづく
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