あみたろう徒然小箱

お気に入りのモノに囲まれ、
顔のつぶれたキジ猫と暮らせば、あぁ、極楽、極楽♪

痛い生活 その5 〈腰部脊柱管狭窄症〉    「エイッ!」

2015-07-17 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
エイッ。
私は決断しました。
エイッと崖を飛び降りるんじゃなくて、手術台の上に飛び乗るのです。

6/29にI整形外科内科病院を受診し手術を決めて以来、
その後、次第に回復していきました。
それゆえに、手術を予約してからの2週間、手術か否か迷いまくりました。
手術決断時の歩行距離はたったの100m、
その後歩行距離は順調に伸びていったのです。
受診翌々日は200m、その翌日は800m、1200m、1400m、1700m
ちょっと痛みが出て1100m、1400m、1900m・・・・。
あぁ、悩ましい。
体のこわばりがある起床後1、2時間の立位の痛みはあるものの、
以前のように痛みが酷く声も出せないなどということはなく、
横になればまもなく回復します。

現状では1500mぐらい歩けるのですが、
困るのは歩き始めてみないと、今日はどのぐらい歩けるのか、
どのぐらい歩いたら痛みが出るのかが、自分でも判らないこと。
ベンチで5分休めばスイスイ楽に歩けるようになることもあれば、
歩いてみたらやはり痛いときもあります。
自分でも予測がつかないのが困りもの。
また、人が行き交う歩道や駅前を歩くのが怖くなりました。
もしも人とぶつかったら、その衝撃がまたあの酷い痛みを呼ぶかもしれない。
そういう恐怖がよぎるのです。

とは言え、この程度回復したらもうすぐじゃないか。
今後は薬と注射の保存療法で、騙し騙しやっていけるのではないか。
そう考えたら、手術を迷うのは無理ないことでしょう。
現に手術しない人もたくさんいるのですから。

その後行った手術前検査日、入院の説明をする看護師さんに尋ねてみました。
「こういう状態にまで回復しているので、いま手術を迷っているんです」
「それならキャンセルしましょうか? 全然かまいませんよ~♪」
嫌味でもなんでもなく、軽やかな返事が返ってきました。
「私、こんなに迷うなんて・・・・、皆さんも迷うんでしょうか?」
おずおず尋ねると、返ってきた話が面白かった。
「そりゃあ、迷う方多いですよ。
手術の数日前に、『止めます』と断ってくる方もいますし、
入院してベッドの上で『止めます』という人もいますよ
ヒャ~ッ、上には上がいるじゃありませんか。ha・ha・ha!
自分の優柔不断さに嫌気が差していたのですが、
すっかり安心して嬉しくなってしまいました。
やらなければ痛みの恐怖に恐れる日々とは言え、
命に関わるという手術ではありませんから、誰しも迷うのは無理ありません。
看護師さん、付け加えて曰わく。
「変更があるなら(取り止めるなら)、入院3日前まではこの電話へ、
 前々日か前日ならこちらの電話に連絡してください♪」
説明は軽やか、手慣れたものです。

しっかし、しかし、私はついに決断したのでした。
腰部脊柱管狭窄症を経験した何人かからの情報を聞き、それが後押ししたのです。

1)10年間患い、ペインクリニックにも通い続けたH氏。
 いまは元気に海外旅行も行き、スキーも楽しんでいる。
2)姪のお義母さま、友達の知人女性とも、手術後元気に暮らしている。
3)かつてスポーツクラブで知り合ったかなり年配の女性。
  息子に背負われてやっと病院へ。手術後はスポーツクラブで元気にストレッチ。
4)小学校時代の友人の兄上、手術をしていまは元気。
5)高校時代の友人は脊柱管すべり症で保存療法、良くなったり悪くなったりの繰り返し。
  常に痛み止めの加減に留意する暮らし。
  腰痛の痛みを知り、世の中には我慢できない痛みがあるのだと知った。(解る、解る)
6)高校時代の友人の義弟。手術しないでいるが、いつも強い痛み止めを離せない。
  こんなに強い薬を飲み続けると、そのうち胃に穴があいてしまうと言われた。
7)今回、I整形外科内科病院で知り合った腰部脊柱管狭窄症のAさん。
  50代から10年間良くなったり悪くなったりを繰り返し、強烈な痛みの中で来院。
 いつも悪くなるきっかけは様々だったそうだけど、
  今回は友人に誘われてバス旅行に行ったとき、出先で痛くなり動けなくなったとか。
痛みをこらえつつ彼女が繰り返し言うには、
 「腰部脊柱管狭窄症は治らない!! 
   絶対に、良くなったり悪くなったりを繰り返す!
  あぁ~痛い、痛いのよぉ~~」と、痛みに声は縮緬気味ながら断言するのでした。
  妙に彼女に親近感を覚える私。

などなど・・・・。
最後の7)の女性、ダメ押しの背中ドンでした。

リスクを伴うこと、再発の可能性もあることを承知の上で、  
私が手術を選択した理由を整理すると、以下のようなことからです。

◎脊椎の狭くなった箇所(狭窄部分)が広がる(改善すること)ことは、
 物理的に削り取る以外、決してない。
◎痛み止め、痺れをとる薬、血流を促す薬、ブロック注射などの
 保存療法を選択したとしても、いつまた悪化するか判らない。
◎悪化するきっかけは、何かも判らない、いつかも判らない。
◎今後のQOLは大きく損なわれ、常に悪化の不安を抱えて過ごすことに。
◎再びまたあの強烈な「痛い生活」が始まったとき、
 生活面、通院、手術等、今回のように対応できるか判らない。
◎選択したI整形外科内科病院は、
 脊柱管狭窄症の内視鏡手術(MEL)でもっとも実績をもっている。
内視鏡手術は普通の切開手術に比べ、患者に負担がかからない。
 切開部分1.8㎜と小さく、手術時間も30~40分と短い。
 手術後4~7日で退院でき、回復も早い。

ではでは、エ~イ。 

痛い生活 その4 〈腰部脊柱管狭窄症〉

2015-07-08 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
6月29日(月)、いよいよ満を持して小岩のI整形外科内科病院へ。

電車に乗ることなど到底できない状態ですから、
相方の運転で東京の西の端から東の端へ、首都高速を乗り継いで行くことになりました。
スカイツリーやあのアサヒビールの社屋を見ながら、その道のりの遠いこと遠いこと1時間40分。

狭い待合室には順番を待つ患者がひしめいていて、席を立てば座席がなくなるほどですす。
受付で持参したレントゲンとMRIのデータを提出すると、
ほどなくして、うちの撮り方でレントゲンを撮り直しますのでとのことで、撮り直し。
たしかにK大学病院の撮り方とは角度や姿勢がかなり違いました。

待つこと3時間以上、ようやく診察の順番が来ました。
医師は、一つ一つ腰部脊柱管狭窄症について説明してくれました。
私のMRIの画像では、
第4椎骨と第5椎骨の間が非常に狭くなっているとH総合病院で説明を受け、
画像は、そこがほとんど開いていないほど狭くなっている印象でした。
I病院では、ぜひとも私の狭窄の状態を聞きたいと思っていたので訊ねました。
「MRIの画像で見ると、狭窄状態はどの程度酷いのでしょうか?」
すると医師から、意外な答えが返ってきました。
「MRIの画像の状態で手術をするかしないかは決まりません。
もっと酷い人でも、
良くなったり悪くなったりを繰り返しながら一生過ごしてしまう人もいるし、
もっと画像が良い人でも痛みに堪えられなくて手術する人もいます」
痛みの感じ方は人それぞれだから、確かにそうかもしれません。
どうしても手術を避けたいなら、
生活に気をつけながら、なんとか一生を過ごしていくのでしょう。

「いまある症状のうち3割ぐらいの症状が残ってしまうことがありますが、
7割の症状はなくすことができます」
手術の決断を迷う私に医師は、
「1㎞歩けますか?」と尋ねました。
「とんでありません。100m位です。」
「腫れが引くと、痛くなくなることもありますけどね」
あくまで“手術した方がいいです”とは言われません。
そんなこんなの会話があって、手術することに決めました。
手術基準が「1㎞歩けるかどうか」ということではなかったのかもしれませんが、
例えにしても1㎞か100mかではあまりの違い。
このような痛い生活がまたいつ繰り返すか判らない、
ハラハラしながら制約の多い生活を送るよりも手術をしよう、そう思ったのです。

I整形外科内科病院と医師がほとんど同じ系列病院が品川にもあり、
建て替えていた建物が7月21日に開院し、22日に手術と決まりました。
とうとう手術が決まってしまった。
ホッとするような怖いような、複雑な気持ちです。

ところが自宅に戻り、それからの私。
なんだか日増しに良くなってきて、
翌々日は400m、次は800m、1200mと順調に歩行距離が伸びていき、
1700mも歩けるようになってしまったのです。
 ◉ 神経が通る脊髄の手術は怖い→できるものならやらないで済ませたい
 ◉ 手術をしてでも、いままでのように活動的でいたい
 ◉ ハラハラして今後を暮らすのは心配
 ◉ この調子で歩けるようになれば、手術しなくても大丈夫なのでは?
 ◉ いままだ元気でエネルギーがあるうちに手術しておいた方がいい
 ◉ 1人暮らしになったとき、またあの強烈な痛みが来たら、
  通院、手術の手配など、1人ではできない
などなど、心千々に乱れて気が休まりません。

そこへ、友人Sさんからメールが来て、やりとりするうち、
〈その1〉で書いた6人の狭窄症の知人うち、手術をした人の話が話題に出ました。
そのHさんは発病後10年間を経て、狭窄症のために早期退職もし、手術をした人です。
私よりもずっとよく彼を知っているSさんが言うには、
「彼の辛い状況はずっと見てました。
 でもいまは良くなって、スキーもやるようになったのよ」とか。
ひゃ~、私の迷いMAX、手術してそんなに良い人もいるのね。
スキーなんて転倒したら大変なのに、あんな危ないものさえできるように?
私もまた思い切り泳ぎたいなぁ、旅行もしたい。
いまのうちにやってしまおう。

しかしここで、姉の友人の話が頭をよぎります。
彼は静岡でもっとも狭窄症の手術実績がある有名総合病院を選び手術しました。
一番優秀と言われる医師の執刀だったはずなのに、
当日その医師が不可能となり、急遽別の医師に交替したそうです。
手術後、排尿後膀胱に半分残尿してしまう症状が出てしまい、
いまも排尿の毎に自分で残りを採る事態に。
痛みも残ってしまい杖が離せないという、とんでもない生活になっています。
そういう例を身近に知っているだけに、迷いはまたまたグジャグジャにかき回され、
まるでマーブル紙のように渦を巻いてしまうのでした。
フィレンツェで見た美しいマーブル紙、もうあれを買いに行くことも叶わないのかしらん。
それとも・・・。


でも、今日は逆戻りして歩くと痛かった。
単純に回復はしていかないのねぇ。
まな板に乗るか飛び降りるか、中途半端な症状だけに迷う私。
あぁ、どうなるんだろう~。
ええいっ、まだるっこしい、我ながら往生際が悪い!! 
私って、こんな性格だったのかしら?
エイッ っと、決められない自分がもどかしい。
呆れて性格までしみじみ見つめ直す始末。
逡巡の日々はつづくのでした。


 「痛い生活」まだつづく

痛い生活 その3 〈腰部脊柱管狭窄症〉

2015-07-05 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
6月23日、
K大学病院の紹介で、比較的近くにある東大和市のH総合病院に行きました。
受診したH総合病院の先生は経験の長いベテランで、大変素晴らしいお人柄でした。
何が素晴らしいかというと、判断明確で説明が明解、
疑問には的確な答えが即返ってきます。
患者の手術への逡巡を非常によく理解してくれ、
当病院や当医師の実績や手術の内容等を、
包み隠さずざっくばらんに話してくださるのです。
K大学病院から持参したレントゲンとMRIのデータと、
私の歩行・立位の短さと痛がりようを見て開口一番、
「これは手術ですね」
「えっ? 手術っ?」
まだ、投薬とブロック注射などの保存治療が続くと思っていたので、
そんなに早く手術か否かの判断が出てくるとは考えていなかったのです。

医師が続けて話されたことは、
まだ手術への下調べが不十分な私がまったく考えていないことでした。
「僕ならこれならこれは内視鏡手術でやります。
内視鏡手術は患者への負担が最も少なく、
普通の手術では切開部分は開口部10㎝、手術時間1時間ですが、
内視鏡手術だと開口部4㎝ですみます。
ただし、手術時間は2時間かかるから、僕にとっては負担は大きいんだけど・・・」
続けていろいろな話をしてくださり、
気さくなお人柄を見てどんどん質問すると、以下のことが判りました。

◎(自分は)昨年から内視鏡手術を始めた。年間手術数は10例。
◎普通の切開手術と内視鏡手術の結果予後に変わりはない。
◎狭窄部分が2か所までなら内視鏡でやることができる。
◎腰部脊柱すべり症もある場合には、固定術をするので内視鏡手術はできない。
◎日本で一番上手な内視鏡手術の先生は、和歌山県にいる。
 (そちらに行きたければ紹介しますよというニュアンスで)
◎近隣のM医療センターを希望するなら紹介するが、
 M医療センターは慶応系だから内視鏡手術はやらない。

診察後は尾骨へのブロック注射2回目をし、大学病院と同じ処方の薬を出してくれました。
これで、合計40日間の痛み止め等の服用となります。
しかし、これまでちっとも痛みが軽減されないし、歩行距離もどんどん短くなってきました。
1回目のブロック注射の効果も、痛みが少し減ったのはたった3日。
薬とブロック注射による保存療法は、いまのところまったく効き目がないようです。
私どうなるんだろう、やはり手術・・・、ますます心細くなってきました。
手術は背骨中枢部に神経が通る脊髄の手術ですから、
自分としてもじゅうぶんに納得がいく病院や医師を選びたい。
そう考えるのはもっともなことではないでしょうか。
早急に内視鏡手術について調べなくては。

診察室を出て病院備え付けの車椅子を降り、向かいの調剤薬局に行くのはやっとのことです。
待合室で待つ間、椅子の座面が臀部に当たりなんと痛いことか。
狭窄症になり、腰に痛い椅子か優しい椅子か、そういうことに非常に敏感になりました。

帰宅し、深夜目覚めて眠れぬままに考えたことは、内視鏡手術のことばかり。
先生はとても素晴らしい人柄だったけれど、
昨年から始めて年間10例ということは、もしかしたら私は11例目?
うーん、人柄と手術とは別の問題です。
ほかならぬ私の脊髄に関する手術のこと、よくよく考えなくては・・・・。
手術となったら、うちに近く実績も定評ある、
国立病院機構のM医療センターをと考えていたけれど、
こうなったら脊髄の内視鏡手術っで実績の多い病院や医師を探さなくては。

ここからは懸命に検索。
「腰部脊柱管狭窄症 名医 評判」などと検索すると、
だいたい筆頭にヒットするのは、
みのもんたさんを手術した国際医療福祉大学三田病院の福井康之先生です。
ほかにも いくつかの病院や先生が。
だいたい3つほどのサイト
を参考にしました。もう一つはこちら
腰部脊柱管狭窄症手術で有名な、
九段坂病院の中井先生がリストアップされていなかったり、
こちらにはあの先生が載っていなかった。
こういうリストはけっこう安易な基準面があり、
他の要素も大いに絡むのだという話もあり鵜呑みにはできません。
あちらにもこちらにも確実にヒットする病院や医師がいいのかなと思ったり・・・。
検索の結果は玉石混淆のページが出てくるので、
こちらが如何に取捨選択をするかは非常にたいせつです。

次に肝心な内視鏡手術。
「腰部脊柱管狭窄症 内視鏡手術 実績、名医」と検索していくうち、
小岩にあるI整形外科内科病院というのがヒットしました。
何回かヒットしたことがある病院でしたが、うちから遠い小岩にあるということと、
名前を聞いたことがない病院だったので、スルーしていたのです。
ま、和歌山の名医よりは近いけれど・・・。

最終的に注目したのは、小岩のI整形外科内科病院でした。
決め手は、以下の点です。
◎手術までの待ち時間は約1か月。
(病院によっては数か月待ちが普通です)
◎実績のある先生に紹介状なし受診できる。
◎圧倒的な手術数であること。
 (脊髄の内視鏡手術は全国の同手術の約10%。これまで5000例。年間1200例)
◎腰部脊柱管狭窄症の内視鏡手術の切開は長さ16㎜、手術時間は3、40分。
 退院までは、手術後4~7日
◎サイトを見ると、手術の目安、内視鏡手術のVTR等、
 あらゆる面の情報開示の詳しさは群を抜いている。

病院のサイトを見ると、以下のことが書いてあります。
内視鏡手術でやると、
「おおよそ手術後3週間で大分楽になり、さらに3週間経つと一層楽になります。
そして3ヶ月経つと違和感なく日常生活に戻れます。」と。
◆メリットは、
1.傷痕が目立たちません(16mm程度)。
2.術後の痛みが軽く、回復も早く、感染の危険性が小さく、呼吸器系の合併症も少ない。
3.背骨に付いている筋肉を剥がすことが最少で、脊柱の安定性を損なうことが非常に少ない。
4.退院も早く、日常生活や仕事への復帰が早期に行える。
◆デメリットは、
MEDと異なる点は、椎弓を切除しますので、MEDに比べると出血量はやや多く、手術時間もやや長くなります。 不安定性が強く、除圧のみでなく固定が必要な場合も適しません。

来週早々、レントゲン&MRIデータを持参して行くことにしました。


付録話:
神経ブロックは、薬物療法の効果が出ないときに適宜行います。
まず硬膜外ブロックを行い、これで効果がない場合は選択的神経根ブロックを行います。
脚への神経を動かしたり脚の感覚を脳に伝える神経は脊椎が連なった「脊柱管」を通っていて、
この神経の束を馬尾(ばび)といい、硬膜という膜に包まれています。
硬膜外ブロックは、尾骨近くから注入する場合と腰椎の椎骨の間から注入する場合があります。
私が行ったのは尾骨近くからの場合で、ちっとも痛くありませんでした。

ところが近所に椎間板ヘルニアの悪化で、夜中に救急車で運ばれた人がいて、
即入院となり、選択的神経根ブロックをやったそうです。
注入中、辺りが真っ白くなり、10秒ほど記憶が飛んだというのです。
この手の感想はネットでもさかんで、大の男が「ギャーッ」と叫んでしまったという例も。
その痛さは、半端なことではないみたいです。

「先生、そのブロック、私やりたくないです」と言うと医師は苦笑しながら、
「こまった情報を仕入れてきちゃったなぁ。
それじゃ言いますが、これ(選択的神経根ブロック)をやった人の10人中8、9人は、
あれをやるぐらいなら手術の方がいいと言いますよ」だって。
あな、恐ろしや~。
そんな恐ろしい注射なら、手術がいい。
私は、そんなふうに考えたのでした。


 「痛い生活」まだまだつづく

痛い生活 その2 〈腰部脊柱管狭窄症〉

2015-07-02 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
1)4月中旬から左臀部と左太腿に強い張り(腰部脊柱管狭窄症の特徴的症状)を感じる
2)4月末に聞きかじったストレッチをやり、直後から強い痛み
3 三鷹にある、脊髄関係の疾患対応が有名なK大学付属病院を受診、レントゲン撮影。
  3週間後にMRIの予約を取る。痛みはますます強くなり、立位、歩行に困難をきたす 

以上が、これまでの経過です。

痛い生活が続く日々、今回はその2。

MRIを待つまでの3週間は、ほんとにつらいものでした。
特に起床後3時間は酷く、午前中いっぱい強い痛みが続くことも。
10分ほど立っていると次第に左脚と左臀部が痛くなり、左脚から足の裏まで痺れてきます。
こうなると横になる以外なく、10分間ぐらい例えようがない痛みが続きます。
この間の痛みは強く、何をして無駄。
観念して息を殺す以外ありません。
そのうち痛みが消えてまた立つと、再び痛みに堪えかねる→横になるの繰り返しでした。

6月12日は、待ちに待ったMRI撮影の日。
それまでの3週間、痛み止めを処方されましたが、全く改善の方向は見られません。
この頃になると50mすら歩けず、ひたすら自宅に籠もる生活です。
あちこちの筋肉は落ち、どこもマシュマロ状の柔らかさ。
病院に行くには相方に車に乗せてもらい、受診機に診察券を入れる。
つぎに地下のMRIの受付に行き、MRIの撮影。
書類を持って2階の整形外科受付に提出。
MRIの画像を見て若い医師は、「腰部脊柱管狭窄症ですね」と病名を告げ、
さらに薬を追加してくれ、
痛み止め、炎症止め、血流改善、末梢神経の薬など、
5種の薬を服用することになりました。

薬の処方箋を病院向かい側の調剤薬局に持って行くため歩いたのですが、
信号の途中で痛みに音を上げ、拷問のような痛みに堪えつつ病院に辿り着いた途端、
入り口の車椅子に倒れ込むように腰掛けました。
ハァ~ハァ~。
こんなことなら、最初から車椅子を使えば良かった。

ようやくのことで自宅に戻り、処方された5種類の薬を服用するもとんど改善の兆しはありません。
痛みの頻度も歩行の短さもそのまま。
楽なのは座っていることと寝ていることでした。
(だからこんなふうにブログを書いていられるのですが・・・)

ところで相方は私より4最年上、
いずれ自分が私に何らかの介護をしてもらえるものと信じていたようですが、
思いもかけず私の“痛い生活”を中心に毎日が進むことになりました。
家事、歩行の付き添いに始まり、あちこちへ私の代理で出向き、
てんてこ舞いの毎日を送ることになってしまったのです。
彼にとっては考えもしなかった大誤算、
しかし歳を重ねるということは、こういうことなんですね。

さて次の受診日6月18日
薬を飲んでも効き目がなく、ますます痛がる車椅子の私を見て、
医師はブロック注射をすることにしました。
ブロック注射は尾骨からで、これは余り痛くないタイプです。
注射はどうということなく終わり、
まだまったく手術が視野に入っていなかった私は、
前夜から一生懸命考えていたことを切り出しました

「先生、こんな不自由な動きと強い痛みで小一時間かかるここに来るのは大変です。
うちから車で15分ぐらいで行ける武蔵村山市のM医療センターに紹介してください」
もちろん、M医療センターが脊髄疾患の治療、手術に関して、
脊柱管狭窄症など脊髄関係の疾患に関して大変優秀な病院であることは調査済みです。
少なくともK大学病院の若~い医師よりはずっと良いはず。
すると思いがけず医師は、こう言います。
「お宅は国立駅の近く? M医療センターでもいいけど、
それなら、もっと近くにH病院がありますよ。そこを紹介しましょう」
ノーマークの病院名を挙げられ、戸惑いました。
この辺が私の優柔不断なダメなところなんですが、
一瞬どうしたもんかと考えていたら、
若い医師が強~く推す、東大和市のH総合病院に決まってしまいました。
ありゃりゃ、どうして私ってこうなんだろう。
御身大切な、ほかならぬ自分のことなのに。
もしも手術となったら、M医療センターに紹介してもらおうっと。

5種類の薬を飲みつつ、翌週、H総合病院に行くことになりました。
複雑な思いで、痛い体にむち打ち騙し騙しK大学病院から帰宅。

翌週受診したH総合病院のベテラン医師の判断により、急展開が待っていたのです。

 「痛い生活」まだつづく