あみたろう徒然小箱

お気に入りのモノに囲まれ、
顔のつぶれたキジ猫と暮らせば、あぁ、極楽、極楽♪

痛い生活 その1 〈 腰部脊柱管狭窄症 〉

2015-06-26 | 痛い生活 脊柱管狭窄症&変形性股関節症
なんと、重い腰部脊柱管狭窄症になってしまいました。
つい1か月半前には想像もしなかった暮らしになっています。

なんとなく遠くに腰痛があるような気がしていたのですが、
毎日起床後に15分のストレッチ体操、週1回の水泳、
隔日ぐらいで5、6000歩のウォーキングを励行していました。
さてこれから太極拳もやろうと、クラブに入会の通知をした直後のこと、
4月半ば、左臀部と太腿後ろに強い突っ張りを感じました。
これは何だろう。
何か異常が起こっているに違いないと思いましたが、
常日頃信頼している接骨院で施術されると軽減されていたので、
そこそこの生活を保っていました。

ところが5月23日、日頃励行していた15分間のストレッチ体操に、
聞きかじった新たな体操を加え、やり終わった直後のこと、
“あっ、何か起こった!”
それから腰に痛みが始まりましたが、それでも2000歩ぐらいは歩くことができました。

腰に、何か普通でないことが起こっていると感じました。
早く、然るべき病院を受診しないと・・・・。

あれやこれや予定をすべてキャンセル、
キャンセルするうち、あの人もこの人も、
これほど腰部脊柱管狭窄症の人が多いのかと思うほど、身近に同志がいることが判明。
こういう共通点も困ったものですが、いまの私には妙に親近感が湧きます。
そうして知った6人の同志の中で、手術までした人はたった1人。
私もそうならなければ良いけどなぁ~。
と、この時点ではまだ希望を持っている私でした。
~わずか1か月足らずで、“考え甘かった”と思い知ることになろうとは~

インターネットで検索しまくりました。
脊髄疾患の治療を得意とし、手術数も多い定評ある総合病院の整形外科を探しました。
紹介状がないと受け付けない病院、
予約診療しか受け付けず、予約は1か月先という病院も多く、外さざるを得ません。
何しろ、待ったなしの痛みの強さなんですから。
~この時点では、もっと強烈な痛みが来るとは思わず、
これも考え甘かったといずれ思い知ることになるのです~


5月25日、電車とタクシーを乗り継いで、
1時間弱で行くことができるK大学附属病院の整形外科を受診しました。
多摩地方で上記の条件に合った病院の1つです。
初診日は3時間近く待ち、撮影したレントゲンを見て医師はひと言「歳なりの脊髄ですね」。
紹介状なしで受診しているので、医師は若~い医師です。
「先生、痛みに堪えられません。MRI、なるべく早くしてください。」
「MRIの結果がどうであれ、やることは同じですよ。」
痛み止め、ブロック注射以外にないということよね、やはり・・・。
それはそうだろうけど、この痛み、なんとかならないものかしらん。
3週間後にMRIの予約を入れて、それまでの間は痛み止めを処方されました。

しかし、服用の効果は全く見られません。
この間の痛みたるや大変つらいもので、
朝起きたあとの3時間ほどはとりわけ酷い状態です。
立っていられるのは10分ぐらい。
その後次第に左臀部と左太腿が強く突っ張って痺れ、
痛みで立っていることができなくなります。
臀部から太腿にかけて、中心にドライアイスを入れられたような痛み、
と言えばいいでしょうか。
脚は足裏まで痺れています。

救いは、横になっていると10分ほどで痛みが収まることですが、
この間、痛い左側を下にすると痛みが酷く、かといって右が下でも痛く、
あれこれ試した挙げ句、もっとも腰に楽な姿勢、痛みを軽減してくれる姿勢は、
仰向けに寝て、腰をソファに極力近づけて両脚をソファの上に乗せ、
脚を90度に曲げた状態にすること
 でした。
つまり力を抜いて脚を鉤の手に曲げる体勢です。、
後日知ったさる病院の脊柱管狭窄症のサイトで、
これが腰の緊張を取り除くもっとも良い姿勢だと知りました。
ソファの代わりに座布団を5、6枚積んで、その上に脚を乗せてもいいそうです。
私はこの体勢を見つけるまで10日あまり、
あっちへ転がりこっちに転がり、まさに七転八倒でした。

激しい痛みに堪えているときは、知らぬ間に呼吸を忘れているものですね。
息を詰めていることに気づき、「ハァ~」深呼吸をして全身を弛緩させ、また痛みに堪える。
そんな時間が過ぎるうち、いつしか痛みが消えてまた立ち上がる。
そしてまた10分もすれば、「痛い、痛い」と転がる生活が続くのでした。

痛みが始まってから1か月間、
それでも、この痛い生活が受け止めきれません。
4月半ばまでは、普通に暮せていたのに何故?
私がこんな生活になってしまうなんて・・・・・信じられない。
これだけの強烈な痛みを味わうことになるなんて・・・・。
とまぁ、詮ないことをグジグジと咀嚼し続ける私。

QOL(Quality of Life/生活の質)は大きく損なわれ、
ほとんど50mも歩けない暮らしが続きます。

 「痛い生活」つづく

階段は、あと数段にご用心! 

2015-06-01 | よもやま話
つい最近のこと、知人が家の中の階段を降りていて、
あと2、3段というときに踏み外して足首を骨折しました。
10年ほど前にも、友人が自宅の玄関先の階段を踏み外し、
かかとに複雑なヒビが入ってしまったことがあります。
こちらもあと1、2段だったそうです。
生協の共同購入で配達された卵を、
数軒で分けるため両手に持って降りていたんだとか。
お二人とも日頃からゴルフやウォーキングに勤しんでいる方です。
両手に物を抱えて階段を降りると、足元が見えないんですよね。
どちらも歩行に重要な部分で体重がかかりますから、痛烈な痛みがあったそうです。

ここからは私の、ちょっと気が抜けた骨折話。
骨折したのはいままで2回、いずれの場合もそのときは全く痛みがなく、
骨が折れたという実感はありませんでした。

初めて骨折したのは20年近く前のこと、鎖骨骨折でした。
骨折部がズレなかったためか、痛くも何ともなかったのです。
しかしこれは、骨折した地域がまずかった。
ところは中国奥地の辺境地、日本から3日間かかる(現在は2日間)山奥。
雲南省の北東端にある、ロコ湖(ルグフ)岸辺の村で、
モソ人の妻問い婚の調査をした帰りでした。

高地にある調査地からの帰路は下り坂の連続、
運転手はガソリン代を節約するため、「ニュートラル」で一本道を下って行きます。
ギアがニュートラルに入っているのに気づき、
惰性が加わり猛スピードで走る恐怖におののいていたその矢先、
前方から人民解放軍のジープが登って来ました。
「あっ、正面衝突!」
と思ったものの声が出ません。
運転手は、とっさにハンドルを右に切り車は土手下に。
左側は山なので、右側通行の中国ではこちらが土手下に落ちる以外ありません。
途中で質の悪いコンクリートの電信柱をなぎ倒し、スピードが落ちたのが救いでした。
このとき後部座席には三人、左端に私の相方、中央に通訳、右端に私でした。
スピードが落ちた車は右回転で横転し、裏返しになって止まりました。
横転の瞬間、哀れ私の肩に隣2人分の体重が一気にかかり、鎖骨が折れました。


土手下に横転した私たちが乗っていた車。上の道にあるのは相手のジープ。
画像にはないが、さらに右には細いコンクリートの電柱が倒れている
 


私たちの車の運転手さん、車をのぞき込んで「あぁ、これからどうなるんだろう・・・」と呆然 

人民解放軍は事故の相手が外国人と知り、
「だいじょうぶか?」と、さかんに訊いてきます。
(一般中国人にはいつも横柄なのに、外国人と知り慌てたようです)
「没関係! 没関係!(だいじょうぶ、だいじょうぶ)」
私は元気に答え、一眼レフで状況を撮りまくっていました。

ところが、彼らと別れたあと1時間もすると、じっくり痛みが襲ってきて、
その後は「痛い、痛い」の連発、そのうち痛みで声も出せない状態に。
3日後にようやく帰国し大病院の救急にかかるまで、
大変な労力と痛みに耐えることになったのです。

さて、2回目はいまから5年前、実家のある静岡市でのことでした。
スーパーの駐車場で車を降り、勢いよく入り口に向かっていたとき、
車止めに気づかずに蹴つまづき、派手に前のめりに転倒。
倒れた瞬間、左手を地面に着きました。
このときも全く痛みを感じなかったのですが、左手の小指が動きません。
絶対に折れていると確信した理由は、
倒れた瞬間、左手の小指が裏返って手の甲にぴたりと着いてしまったから。
これは、人間の手ではあり得ない形。
1回目の骨折時に無痛だった経験から、これは折れたと確信したのです。
「買い物どころじゃない!」
折れた小指を立ててハンドルを握り、
119番で教えてもらった、日曜担当医の元に車を走らせました。
 
左/静岡での応急処置。
右/レントゲン写真。下半分は手の甲、上の左端小指の根元が骨折(気持ち悪い人は見ないでくださいね)
 

1、2回目とも、事後のリハビリは大変でしたから、
もう骨折はクワバラくわばら。

最近よく聞くのは階段の踏み外しです。
それも、あと数段という気の緩みから来るものが多い。
『徒然草』の「高名の木登り」で、
木登り名人が言う「過ちは、やすきところになりて、必ずつかまつる」
危なくないところになって気が緩み、ミスが起こるのは今も昔も同じ。
階段で言えば、あと2、3段というところでしょうか。
現代もこの教えを肝に銘じ、階段は最後の数段にご用心。


『徒然草』 木登り名人(一〇九段)
高名の木登りと言ひし男、人をおきてて、高き木に登せてこずゑを切らせしに、いと危ふく見えしほどは言ふこともなくて、降るるときに軒たけばかりになりて、 「過ちすな。心して降りよ。」 とことばをかけ侍りしを、 「かばかりになりては、飛び降るるとも降りなん。いかにかく言ふぞ。」 と申し侍りしかば、 「そのことに候ふ。目くるめき、枝危ふきほどは、己が恐れ侍れば申さず。過ちは、やすきところになりて、必ずつかまつることに候ふ。」 と言ふ。
あやしき下臈なれども、聖人の戒めにかなへり。鞠も、難きところを蹴出だしてのち、やすく思へば、必ず落つと侍るやらん。