あみたろう徒然小箱

お気に入りのモノに囲まれ、
顔のつぶれたキジ猫と暮らせば、あぁ、極楽、極楽♪

境川PAの猫たちは表情豊か

2012-09-26 | 猫 ・ cat ・ ねこ


このところ猫話が続いたところでもう一つ。
私の好きな野良猫エリアを。

年に2、3回、中央高速道路を通って、安曇野の定宿に行きます。
その際にたびたび休憩するのが、境川パーキングエリア。
ここには何年も前から野良猫が10匹前後いて、
境川SAで休憩するトラック便の運転手さんが、わざわざ持参のキャットフードをあげたり、
パーキングで飲食する人たちが、食べ物をポイと投げてあげたりする。
そんなふうに、あたたかく見守られている猫たちです。

人間との距離が程良い猫たちはなかなか表情豊かで、
気持ちが良いとのんびり寝転んだり、ゆったりと身繕いしたり。
その様子を見ると、ほんわかと癒やされます。
この茶トラは、日だまりの芝生で気持ちよさそうに万歳しながらお昼寝。
茶トラの肉球って、可愛いですね。
私は茶トラにご縁が薄いので、じっくり観察させてもらいました。
耳の内側が美しいピンク色をしているのに感動した猫ちゃんです。
写真を撮ろうと近寄る私に、まったく警戒しません。
かといって撫でさせたり、こちらの足元にすり寄ることもなく、
程よい距離が心地よい猫たちです。


さて、先の茶トラはいよいよ起き上がり、
ベンチ代わりに置いてある丸太に乗って、ひとしきり身繕い。
寝転がっているときと起きているときの、印象の落差が激しい子ですねぇ。
そばには白猫もいますが、猫同士で喧嘩するのを見たことがありません。
境川SAの猫社会には、順位と力関係がしっかり確立しているようです。


ボスの風格を漂わせるキジトラもいます。
この面構えは雄でしょう。


誰にともなく食べかけを上げようと手をさしのべると、「それは俺のだぜっ!」と近寄ってきました。
目力が、なかなかの迫力。


柱の蔭から、欲しそうに覗き込むキジトラ。

フワフワの毛を見るに、まだ生まれて数ヶ月かな?
人間でいうと幼稚園ぐらいでしょうか?
この子猫もいずれ、境川SA猫社会の順位に組み込まれていくことでしょう。
それまで何とか食べて、しっかり育ってね。


遠く離れた方にも、そちらなりの猫の交流が展開されています。
暖かな陽だまりの午後、平和な猫の情景を楽しめる境川でした。


 


シャム三毛ママの子どもたち

2012-09-24 | 猫 ・ cat ・ ねこ


実家の庭は周りを高い塀に囲まれているため、猫たちの格好の憩いの場になっていました。
これは2年ほど前までよく来ていたシャム三毛ママの親子の話。
シャム三毛母さんはシャムと日本猫のミックスのようです。
かなりの美猫ですが、根っからの野良猫か、
あるいは捨てられてからが長いためか、自分から餌をねだることはありませんでした。
プライドが高いというか、気位が高い風情がなかなか。
さすがにお腹が大きくなってくると、我が子のためにはそうもいっていられず、
じっとこちらを見てきちんと座り、何かをくれのを期待する様子がありました。


シャム三毛ママは、しばらくの間、後ろ足の先がブラブラになっている雄猫を伴侶としていました。
それがこちらの「ライオン丸」。
毛足が長いグレーの雑種で、ライオン丸はどこかで飼われていたためか、
野良猫にしては非常に愛想が良く、性格の穏やかな甘えん坊でした。
不自由な足を引きずってようやく塀に飛び上がる姿は胸を打つものがあり、
ほかの雄猫とけんかをしていると、私は早速家から飛び出して行き、ライオン丸の加勢をしました。
ねだられるに任せ、こっそり餌をあげていたのですが、
不自由な足が壊死してしまったのか、そのうち姿が見えなくなってしまいました。


くだんのシャム三毛ママは、別の伴侶を見つけたとみえ、
次に産んだのはキジトラ猫1匹と白黒2匹の3匹でした。
ママは3匹の子猫たちを目を細めて見守り、
庭はコロコロとボールのように駆け回る子猫たちの運動場のようになっていました。
同じ兄弟でも、性格の個体差は顕著です。
白黒猫2匹は私の姿がチラッと見えるだけでサッと姿を隠し、近づくことすらしないのですが、
キジトラは窓際まで近づいてきて、じっとうちの中を観察するような猫でした。

だんだん大きくなり、こうやって一人でやって来るようになりました。
つぶらな瞳も体もどこもが丸っこくて、ほんとに愛くるしい姿でした。

そのうち独り立ちし、親子で一緒にいる姿は見られなくなったのですが、
3兄弟はとても仲が良く、こんなふうに身を寄せている仲良しの姿が良く見られました。
キジトラはすっかり青年になり、顔立ちもキリリとしてきました。


それから2年、いまでは空き家になってしまった実家の庭に、猫の姿はほとんど見られません。
シャム三毛ママの姿ももうなくなってしまいました。
人が住んでいないと庭も猫の憩いの場にはならず、ただの通り道になってしまうようです。
野良猫にとっては、人がいない庭の方がずっと安全だと思うのですが、
野良猫とは言え、人との関わりが全くない庭は魅力がないということなんでしょうか?

ザクロを食べたのは誰だ?

2012-09-18 | よもやま話


ついこの前のブログで、思いがけずザクロ(柘榴)の話が出ました。
それは中国の吉祥文様について書いていたブログで、
特に好きな桃文様にの茶碗にまつわる話でした。

鼻煙壺には吉祥文様が描かれることが多いので、
持っていた桃文様の裏側が、たまたま柘榴だったわけです。
中国の磁器文様は露骨にリアルなものが多く、あまり日本の磁器のようなデフォルメをしないので、
どうもいま一つ好きになれないリアルさがあるのですが、
その鼻煙壺の裏側のザクロはひときわリアルで、しかもなんだか気味が悪い。
だからそのザクロを、「画像をUPする気になれないほど可愛くない」と書いたのです。
その証拠が冒頭の画像で、“気味が悪い”という私の感想に賛同してくださる方もいることでしょう。
ザクロの画像はCUTすると書いたのに、なぜ敢えてUPしたのか。

それは・・・、
遠く忘れていたザクロの記憶がむくむくと蘇ってしまったからです。
私の中のザクロの記憶は、遠く小学生の頃にまで遡ります。
それ以来、私にとってザクロは禁断の果実となっていました。
そのぐらいザクロにまつわるこの話は、
かなり“ 憚られる、汚い、恥ずかしい、いじましい ”です。

        ☆ ☆ ★ ☆ ☆ 

小学校の頃、私はまだザクロを食べたことがありませんでした。
どの家にもあるという果樹ではないし、かといって当時は店に売っているものでもなく、
透明感のある赤い実の一粒一粒に魅了され、しだいに憧れの果実となっていったのです。
聞くところによると、“ザクロは人間の血の味がする”という噂もあり、
一度でいいから食べてみたいという思いが、どんどん膨らんでいったのです。

そんなときです。
突然思いがけない場所でザクロの実の一粒と出合いました。
それは、誰からも見られない、こっそり食べても絶対見つからない秘密の場所。
小学校のトイレの床の隅っこに、一粒のザクロがコロンと落ちていたのです。
私は目を見張り、半透明の魅力的な赤い実に目が釘付けになりました。
赤い実を見つめながら、とりあえず本来の用事を済ませ、しばらくじっと考えました。
小学生の小さな心を揺すぶった赤い粒、あのときの葛藤はいまも忘れられません。
あぁ、なんと言うことでしょう。
どうにも誘惑に勝てず、私はその一粒をつまんで口に入れたのです。

口の中に広がる酸っぱい味は、確かにちょっと血の味に似ていました。
その感想は、私の胸をさらに高鳴らせました。

いまでも鮮明に思い出すのは、薄暗がりの床に転がっていたあの赤い一粒。

あぁ、それにしても、あんなところでこっそりザクロを食べたのは誰だ?
1人は確かに私だったけれど、最初にこっそり食べて、ポロリとこぼしたのは誰だ?
あなたがそんなことをしなければ、私にとってザクロは禁断の果実にはならなかったのだ。

恥ずかしい、汚い、憚られるこのザクロ話。
誘惑に勝てなかった、小学生の少女がいたのです。
ああ、いじましい。

猛暑の南イタリア、黒猫が振り返る

2012-09-16 | 猫 ・ cat ・ ねこ

先月、猛暑の南イタリアに行ってきました。
猫好きで、岩合光昭さんのファンでもある私、いろいろ猫ショットをトライしました。
と言っても慌ただしいツァー旅行、観光地にはそうそう猫がいるわけではなく、収穫はわずか。

ところでヨーロッパはどこも記録的な猛暑で、スペインでは45℃だったとか。
バスでの移動中、あの山もこの牧草地も猛暑による自然発火で山火事だらけ。
走っている高速道路の路肩脇まで焼け焦げていたりして、
山火事の煙がバスの中に流れ込んでくることもありました。

ヨーロッパは湿度が低いから、あまり暑さを感じないでしょう? とよく言われますが、とんでもない。
南イタリアは海が近いので湿度が高いのです。
ましてシシリー島は周囲が海なので、湿度が高くてベタベタ。
紀元前の遺跡で有名なシシリー島のアグリジェントに29年住むガイドさんによると、
彼女が住み始めて以来の猛暑だそうで、観光当日の気温は42℃だそうです。
遺跡ですから、日陰なんてありません。
私たちツァー客はその42℃の炎天下を1時間半も歩き続けて観光をしたのです。
あぁ、くわばらくわばら。
おそらく半年分ぐらいの汗をかいてしまったけれど、
辛く感じるどころか、体がリセットされた爽快感が残ったのが不思議。



さて、猫に話を戻すと、
こちらは世界遺産アルベルベッロの住宅群にいた黒猫で、日陰で涼んでいました。
冒頭の画像もこの黒猫です。
そのうちある家の前に座り込んで身繕い。


こちらはキジトラと白のコンビの、どうということのない猫(猫ちゃん、ごめん)。
カメラを向けられるのがうっとうしくて、逃げようかここに留まろうかと迷っている様子。
心穏やかでない顔つきが、それを物語っています。

短毛種とは言え、いずれも細身の猫が多いですね。




桃の器との出会い

2012-09-15 | テーブルウェア



中国にはおめでたいとされる吉祥文様がいくつかあるのですが、
その代表的なものが桃で、不老長寿の意味があります。
ほかにも、蝙蝠(こうもり)、寿、金魚、柘榴(ざくろ)、卍(まんじ)などたくさんあって、
たとえば、コウモリと桃と卍などが組み合わさったおめでた尽くしの器もあります。
私はどうも現実の生物を思い出してしまうのでコウモリは好きになれないのですが、
コウモリ(蝙蝠)の「蝠」という字は、
幸福の「福」(fu / 二声)とまったく同じ発音になるため好まれています。
気味悪い蝙蝠も、単色でかなりデフォルメした線書きだとデザイン的に美しいのですが、
それでも現物の姿が目にチラつくのは否めません。

私がいちばん可愛いと思うのは桃の柄で、
ツンと上を向いて2つ描かれているものがほとんどですが、
中には、この飯茶碗のように下を向いて描かれているものもあります。

1995年から一年間、雲南省昆明市に滞在していました。
桃文様の器は、レストランの超安価な食器などにたまに見られるものの、
探してみると意外に見つかりません。
地元の中国人に、桃文様の器があったら欲しいと頼んでみたり、食器屋を覗いてみたり・・・。
あるとき、町外れにある骨董街を見ていると、とある店でこの飯茶碗を見つけました。
乗ってきた自転車を停め置き、硝子ケースに入っているこれを指差して、
「看一看」(ちょっと見せてください)と店番の小姐(シャオジエ=お嬢さん)に言いました。
中国の陶磁器は、日本の陶磁器と比べるとかなり雑な造りのものが多く、
これも絵付けはまあまあとはいえ、磁器肌を見るとかなり安価な感じで、
釉薬にはあちこち気泡が入った跡があり、上等とはとうてい思えません。
せっかく出会ったのだし、私の好きなミントグリーンの地色というのも気に入って、
「這是多少銭?」(これいくら?)と小姐に訊ねました。
いかにも田舎から出てきたばかりといった感じの小姐の返事は、「10元」ということでした。
当時のレートでいうと100円ぐらい。
なにしろ、下働きの小姐たちの月給が80元(800円)という時代ですから、
まぁ妥当かなと考えました。
私は中国ではガンガン値切るのですが、
店番の小姐を困らせるのはどうかと思い、そのまま10元で手を打つことにしました。
小姐は新聞紙で茶碗を包み、私に手渡す寸前のことでした。
どこかで油を売っていた老板(ラオバン/主人)のおっさんが帰ってきて、
小姐をギャギャ~ッと叱り飛ばし、「これは150元(1500円)だ」と言うのです。
私が「10元ですよ」と言うと、ますます激しい口調で小姐を叱っています。
中国語のしゃべり方は日本語のそれに比べるととても激しく下品に聞こえるのですが、
その剣幕を聞くうちに、私はがぜん店の主人に闘志が湧いたのです。

なにしろ中国では、外国人と見るとかなり値をふっかけてきます。
そこでこちらは言い値の3分の1の価格なら買うと言い、
向こうはそれでは売れないと激しい口調(と、日本人には聞こえる)で怒ってきます。
そこでこちらは少しずつ値を上げて交渉し、
最後は2分の1ぐらいで手打ちというのが多いのです。
言い値の2分の1でも売らないというなら、
「那、不要!」(じゃ、要らない!)と言っていさぎよく帰ります。
すると、だいたいの場合追いかけて来て、
“仕方ない。その値段で良いから持って行け”と妥協してくる。
しかし私は、相手が“仕方ない・・・”などと言いながら、
口の端がほころんでいるわずかな表情の変化を決して見逃さないのだ。
とまぁ、このパターンがほとんどでした。
ところが10回に1回ぐらいは追いかけて来ないこともあって、
ほんとに欲しかったものだったりすると、「ありゃりゃ、しまった」ということもあるのですが、
そんなときは、これはご縁がなかったのだと諦めるのです。
こんなとき、向こうは向こうで、
日本人にしちゃぁ、手ひどく値切るすれっからしだなぁと思ったことでしょう。

で、話の続き。
この欲張り主人はなかなかの強者で、桃好きの私の弱みをどこかで察知したようです。
なにかしら未練の秋波を出していたんでしょう。
それを嗅ぎ分けた主人は、なかなか妥協しません。
これは私の大失敗。
最終的には100元(1000円)という言い値の3分の2で手を打った私。
あぁ、情けない。今でも腹が立つ。
とは言っても、2分の1の75元とはたった250円の差。
しっかし、こういうときは意地の張り合いなんだから、そういう問題じゃないんです。
外国人と見て何でも高くふっかけて来るのを見ると、
「なにくそ。私はそんな高値にホイホイ乗るお人好しじゃないよ~」と闘志が湧くのです。
困ったことですが、これは、中国で信じ難い出来事に遭遇するうち身についてしまったのです。
私が帰った後、きっとあの小姐は、
「相手は外国人じゃないか! もっと高く言わなきゃダメじゃないか!」と叱られたことでしょう。
そんな出会いを背負った桃文様の飯茶碗ではありますが、
いまでは懐かしく、あの小さな骨董屋での顛末を思い出します。


鼻煙壺には特に吉祥文様がよく描かれていて、私が持っている桃柄はこの2点。
瑠璃色の鼻煙壺の裏側には、やはり吉祥文様の柘榴が描かれていますが、
これは画像をUPする気になれないほど可愛くないのでCUT。

飯茶碗といい、瑠璃色鼻煙壺といい、盛り上げ技法で描かれた桃が妙にリアル。
写実であっても美しくデフォルメして描く日本の陶磁器の絵付けとはかなり違いますね。



石の記録

2012-09-05 | goods ・インテリア


いろんなものが好きですが、入手方法は買うだけに非ず。
拾ってくるものもあって、これがまた楽しい収穫です。
枯れ枝、葉っぱ、石、貝殻などですが、もっとも熱心なのは何といっても石。
初めて訪れた土地でふと地面に落ちている石を見つけ、
魅力ある形をしていると、ご縁というか出会いを感じてしまう。
石には力があって、○○は清浄だとか、○×は金運とか言うようですが、
そういうものには特に興味はなくて、道端や山奥に落ちている石ころに魅力を感じます。

小さい頃、海岸に行くとたびたび貝殻を拾いました。
故郷の静岡にある相良海岸は、波が高いせいかいろんな貝殻がたくさん落ちていました。
波打ち際で貝殻拾いをしながら、もうちょっと、もう少しと歩き続け、
気がついたら戻るべき出発地点は、遙か遠い湾の彼方で驚いたことがあります。
三保の松原の豊富な石も、きれいなものが多い。
ときに摩耗したガラスが、磨りガラスの美しい玉になっているのも宝物です。
沖縄に行ったときは、白い砂浜に落ちている貝殻に混ざり、
波で摩耗した珊瑚がゴロゴロ転がっていて、これもまたよく拾いました。

その後、1995年から10数年間、中国少数民族の神話や歌垣調査の助手暮らしをしていて、
中国南西部の雲南省、貴州省、四川省、湖南省などの辺境地を20数回にわたって訪ねました。
そのとき調査の合間に、あちこちで待ちぼうけを食わされました。
交通事故による通行止めが開通するのを道端でひたすら待ったとき、
山奥で故障した車を運転手が必死に修理するのを、長時間待ち続けたことも。
山道を山羊の群が通るのを待っていることもあったし、いろんな楽しい待ちぼうけがありました。

そういうとき、ふと足元を見ると特徴ある石が目に留まることがあって、
なにやら話しかけられているような気がするのです。
ご縁を感じると捨てられず、ずいぶんたくさんの石が私の手元に留まっています。
どこで拾ったか忘れないうちにと、防備録として作ったのが冒頭の石の額。
それぞれの石と記録を見ると、そのときの自然の様子が蘇ってきます。

特に、水玉模様が可愛いこの小さな石が一番のお気に入り。
1989年に西表島に行ったときに租納村の海辺で拾ったとあります↓
租納村の節祭りは、一番好きな祭りです。

こちらは1996年、貴州省凱里ミャオ族の村で、石好きの私のために通訳が拾ってくれた石。
幾重にも重なった平行線が魅力↓


さてその後、石拾いはしばらく収まっていたのですが、
つい先日、イタリアのポンペイに行ったら、ベスビオ火山の噴火石が売っていました。
これまで石を買ったことがなかったから、
お土産物屋に売っている、というのがあまり嬉しくないのですが、素通りできなかったのです↓


それは、日光が当たると美しいブルー色が浮かび上がり、とてもきれいに見える石だから。
もう一つは、11㎝×10㎝×8㎝という大きさに比して、500g弱と軽かったからです。
これなら、旅先でも持ち歩ける。
そのとき私はしばらく一人で行動していたので、くわしく通訳してもらうことができず、
詳しいことは判らないのですが、ベスビオ火山の噴火による岩石であることは確か。

ベスビオ火山の噴火は、30万年前から始まり、西暦79年に大規模な噴火をして、
ポンペイ(Pompeii)とエルコラーノ(Herculaneum)の町を埋没させました。
その後1631年まで活動を停止したものの、1632年以後今日まで規則的な噴火を繰り返しているというから、
この火砕岩石がいつの噴火のものかは判りません。
大昔の噴火の痕跡はいまも地形に残っていて、その辺りだけ軽石のようなガサガサの層になっています。
この石は、軽さともろさと青く光るキラキラが特徴です。

というわけで、収まっていた私の石好き、10年ぶりに復活の夏となりました。