中国にはおめでたいとされる吉祥文様がいくつかあるのですが、
その代表的なものが桃で、不老長寿の意味があります。
ほかにも、蝙蝠(こうもり)、寿、金魚、柘榴(ざくろ)、卍(まんじ)などたくさんあって、
たとえば、コウモリと桃と卍などが組み合わさったおめでた尽くしの器もあります。
私はどうも現実の生物を思い出してしまうのでコウモリは好きになれないのですが、
コウモリ(蝙蝠)の「蝠」という字は、
幸福の「福」(fu / 二声)とまったく同じ発音になるため好まれています。
気味悪い蝙蝠も、単色でかなりデフォルメした線書きだとデザイン的に美しいのですが、
それでも現物の姿が目にチラつくのは否めません。
私がいちばん可愛いと思うのは桃の柄で、
ツンと上を向いて2つ描かれているものがほとんどですが、
中には、この飯茶碗のように下を向いて描かれているものもあります。
1995年から一年間、雲南省昆明市に滞在していました。
桃文様の器は、レストランの超安価な食器などにたまに見られるものの、
探してみると意外に見つかりません。
地元の中国人に、桃文様の器があったら欲しいと頼んでみたり、食器屋を覗いてみたり・・・。
あるとき、町外れにある骨董街を見ていると、とある店でこの飯茶碗を見つけました。
乗ってきた自転車を停め置き、硝子ケースに入っているこれを指差して、
「看一看」(ちょっと見せてください)と店番の小姐(シャオジエ=お嬢さん)に言いました。
中国の陶磁器は、日本の陶磁器と比べるとかなり雑な造りのものが多く、
これも絵付けはまあまあとはいえ、磁器肌を見るとかなり安価な感じで、
釉薬にはあちこち気泡が入った跡があり、上等とはとうてい思えません。
せっかく出会ったのだし、私の好きなミントグリーンの地色というのも気に入って、
「這是多少銭?」(これいくら?)と小姐に訊ねました。
いかにも田舎から出てきたばかりといった感じの小姐の返事は、「10元」ということでした。
当時のレートでいうと100円ぐらい。
なにしろ、下働きの小姐たちの月給が80元(800円)という時代ですから、
まぁ妥当かなと考えました。
私は中国ではガンガン値切るのですが、
店番の小姐を困らせるのはどうかと思い、そのまま10元で手を打つことにしました。
小姐は新聞紙で茶碗を包み、私に手渡す寸前のことでした。
どこかで油を売っていた老板(ラオバン/主人)のおっさんが帰ってきて、
小姐をギャギャ~ッと叱り飛ばし、「これは150元(1500円)だ」と言うのです。
私が「10元ですよ」と言うと、ますます激しい口調で小姐を叱っています。
中国語のしゃべり方は日本語のそれに比べるととても激しく下品に聞こえるのですが、
その剣幕を聞くうちに、私はがぜん店の主人に闘志が湧いたのです。
なにしろ中国では、外国人と見るとかなり値をふっかけてきます。
そこでこちらは言い値の3分の1の価格なら買うと言い、
向こうはそれでは売れないと激しい口調(と、日本人には聞こえる)で怒ってきます。
そこでこちらは少しずつ値を上げて交渉し、
最後は2分の1ぐらいで手打ちというのが多いのです。
言い値の2分の1でも売らないというなら、
「那、不要!」(じゃ、要らない!)と言っていさぎよく帰ります。
すると、だいたいの場合追いかけて来て、
“仕方ない。その値段で良いから持って行け”と妥協してくる。
しかし私は、相手が“仕方ない・・・”などと言いながら、
口の端がほころんでいるわずかな表情の変化を決して見逃さないのだ。
とまぁ、このパターンがほとんどでした。
ところが10回に1回ぐらいは追いかけて来ないこともあって、
ほんとに欲しかったものだったりすると、「ありゃりゃ、しまった」ということもあるのですが、
そんなときは、これはご縁がなかったのだと諦めるのです。
こんなとき、向こうは向こうで、
日本人にしちゃぁ、手ひどく値切るすれっからしだなぁと思ったことでしょう。
で、話の続き。
この欲張り主人はなかなかの強者で、桃好きの私の弱みをどこかで察知したようです。
なにかしら未練の秋波を出していたんでしょう。
それを嗅ぎ分けた主人は、なかなか妥協しません。
これは私の大失敗。
最終的には100元(1000円)という言い値の3分の2で手を打った私。
あぁ、情けない。今でも腹が立つ。
とは言っても、2分の1の75元とはたった250円の差。
しっかし、こういうときは意地の張り合いなんだから、そういう問題じゃないんです。
外国人と見て何でも高くふっかけて来るのを見ると、
「なにくそ。私はそんな高値にホイホイ乗るお人好しじゃないよ~」と闘志が湧くのです。
困ったことですが、これは、中国で信じ難い出来事に遭遇するうち身についてしまったのです。
私が帰った後、きっとあの小姐は、
「相手は外国人じゃないか! もっと高く言わなきゃダメじゃないか!」と叱られたことでしょう。
そんな出会いを背負った桃文様の飯茶碗ではありますが、
いまでは懐かしく、あの小さな骨董屋での顛末を思い出します。
鼻煙壺には特に吉祥文様がよく描かれていて、私が持っている桃柄はこの2点。
瑠璃色の鼻煙壺の裏側には、やはり吉祥文様の柘榴が描かれていますが、
これは画像をUPする気になれないほど可愛くないのでCUT。
飯茶碗といい、瑠璃色鼻煙壺といい、盛り上げ技法で描かれた桃が妙にリアル。
写実であっても美しくデフォルメして描く日本の陶磁器の絵付けとはかなり違いますね。